医療法人 恒和会 宗内科・循環器科:神奈川県大和市鶴間にある循環器専門医による内科、循環器科クリニック tel:046-293-7774 fax:046-262-4445 E-mail: naika@yamatoclinicmall.com

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8月22日日曜日。晴れ。今日も30℃超え。

今日は、朝から東京ビッグサイトで8月20日から開催されている第11回国際鉄道模型コンベンションへ。主催はNPO法人日本鉄道模型の会、後援は国土交通省とJR各社。

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最近はNゲージ(線路幅9mm)が主流ですが、12mmや16.5mmゲージも少々。各社新製品を中心に展示。

イモンは12mmの165系電車や20系客車が走行中。天賞堂は細かく造り分けた11種類のプラスチック製のC58を展示。

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同じく天賞堂のサウンド付きのダイキャスト製C62は3重連でデモ走行中。

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カツミは電車編成物や電気機関車を中心に展示。こちらは真鍮製。

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毎年出展している早稲田大学理工学部職員鉄道模型同好会は、いつものように巨大レイアウト。

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コントロールパネルも本格的。さすが理工学部?。

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小川精機の3.5インチゲージ(線路幅89mm)のC62は実際に石炭を焚いて蒸気で走行しますが、重量90kg。キットでなんと定価198万円~。

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高校の参加も約30校。それぞれ頑張ってます。

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日台鉄路愛好会では台湾の新幹線などが走行中。

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こちらはドイツの車両たち。

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昼前に会場をあとにして、ゆりかもめでお台場海浜公園で下車。

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デックス東京ビーチの6階、7階は中華料理店などが集まった「台場小香港」。不思議な空間です。休日にもかかわらず、比較的空いていて穴場かも。その中の1店で昼食。

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一旦帰宅後、夕方から赤坂へ。休日の赤坂は割と空いています。

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夕食は赤坂サカスのヴィラモウラでポルトガル料理。

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魚介類中心の料理で美味でした。

今日は盛りだくさんの一日で疲れました。カロリーオーバー気味でしたが、今日の歩数は16000歩超え。まあ、いいかなぁ~!?。

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8月17日火曜日。晴れて今日も蒸し暑い酷暑。大和でも36~37℃を越えて猛暑日になりました。

休み明けのクリニックは、風邪症状の方が多め。皆さんクーラー負けの様です。休み中に薬を切らしてしまった方がちらほら。暑さが続いて脱水気味になったためか、はたまたビールが美味しくなったためか、痛風発作を起こした方が複数来院されました。熱中症気味の日焼けした球児も。皆様水分補給は小まめにお願いしますね~。

ところで今回の休みは、イタリアまで遠征して参りました。今回は鉄道旅行ではありませんが、もちろんローマではテルミニ駅を押さえて参りました。25年ぶりの再訪です。

下の写真はテルミニ駅の正面。開業は1863年だそうですが、ショッピングモールやレストランが入って明るく近代的。

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ご存知の様にテルミニ駅は映画「終着駅」で舞台になったところ。イタリア最大の駅で、ホームは29番線まで。他のヨーロッパ主要駅と同じ様にホームは行き止まりの頭端式です。

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やって来る列車は新旧多彩。いずれもデザインは個性的。

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イタリアは鉄道先進国で、高速列車が沢山走っています。下の写真はETR500。デザインはフェラーリのカーデザイナーのピニンファリーナによるもの。営業最高速度は300km/h。

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2008年から営業運転が開始された最新のETR600は空気抵抗を考慮した日本の新幹線にも似た流線形。デザインはジウジアーロが担当。

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構内の端には1985年に登場した振り子式のETR450が。既に第一線からは引退しています。デザインは1970年代なので、古めかしいカエル顔。それでも営業最高速度は250km/h。

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ほんの短時間だけでしたが、名車の数々が見られました。

「わざわざイタリアまで行ってまた電車かいっ!」なんてあきれた声が聞こえて来そうですが、ちゃんと他も見て参りました。今後少しずつアップしていきますね~。

テルミニ駅はスリのメッカですが、電車を見ている最中は油断しまくり。それでも被害には遭わず~。

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7月14日水曜日。曇りのち晴れ。朝は涼しかったものの日中は晴れて蒸し暑さが戻って来ました。

クリニックは朝から混雑。水曜日は近隣の医療機関で休みのところが多いためか、風邪の方が多い時は予約外の方が多くなってしまいます。今時も結構風邪の方が多いので、夕方まで混雑が続きました。

ところで、上野と札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」を、長年に亘り牽引してきたEF81型電気機関車が、この程ついに引退することになりました。下り列車は昨日が最終日だったそうです。

下の写真は福島駅に停車中の上り「北斗星」(2010年5月3日)。

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EF81は昭和43年から製造された交直両用(つまり交流でも直流でも電化区間なら走れる)の電気機関車。当初は日本海側で使われていましたが、青函トンネルの開通(昭和63年)と同時に誕生した寝台特急「北斗星」の牽引機に抜擢されました。

下の写真は秋の東北線内を南下する「北斗星」(白河~久田野。2008年9月21日)。

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北斗星牽引機には車体に流れ星のマークがペイントされています(田端にて。2010年1月28日)。外観だけでなく、長距離高速走行に備えた専用の装備。

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後継機は新鋭EF510形500番代。近代的なハイテク機です。ブルー塗装でイメージ一新。流れ星のマークもちゃんと踏襲されています。これはこれで楽しみ~。

(鉄道ファン8月号特別付録新車カタログ2010より)。

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明朝に上野に着く上り「北斗星」がEF81牽引による最終列車。最終任務には87号機があたっている模様。今頃青森を発車して盛岡に向かっている頃でしょう。

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7月10日土曜日。昨夜の悪天候から一転して晴れて暑くなりました。クリニックは午前中はほどほどの混雑でしたが、予約の方はほぼ時間通り。めまいや全身倦怠感を訴える方が多かったのは暑さのせいでしょうか。午後は予約外の方は少なめで平穏でした。

さて、ここのところ連日のように各地で豪雨による被害のニュースが伝えられていますが、今から5年前の2005年7月の今日は、豪雨の山口線に出かけていました。いつもの様に週末を利用した夜行日帰り旅行です。

7月9日土曜日の診療終了後、東京駅から「サンライズ出雲」に乗り込みました。梅雨末期特有の活発な梅雨前線が気にはなりましたが、切符は取ってしまったし予定通り実行することに。

「サンライズ出雲」は定刻22:00に東京駅を発車。岡山から新幹線に乗り継いで、新山口まで行く予定でした。ところが深夜に静岡県内に入ったところで豪雨のため東海道線が運転見合わせに。長時間停車の後に何とか運転再開になったものの、夜が明けてもまだ東海道線内。結局、新大阪から新幹線で振替輸送ということになりました。

予定よりもやや遅れて、新幹線で新山口に着くとやはり雨。レンタカーを急いで借りて走り始めると、前が見えないほどの豪雨に。予定していた仁保~篠目の山中の勾配区間での撮影は諦め、その先で車の中から、列車の通過時だけ一瞬窓を開けて撮影をすることに。豪雨の中、少々遅れながらもC571とC56160の重連が展望車のスイテ49を従えてやって来ました!。

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雨粒が写り込むほどの豪雨です。山道を下って来たところなので、煙はあまり出ていません~。

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折角ここまで来たので、引き返さずにこの先も行くだけ行ってみることに。撮影予定だった長門峡駅付近は、雨がひどくてそのままパス。線路沿いに車を走らせていると、徳佐駅のあたりで雨が小止みになったので、道路際に車を止めてしばし待っていると、豪快に煙を噴きながら列車がやって来ました。

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通過後は、のんびり車を走らせて、この列車の終点、津和野へ。津和野では帰路に備えて2両の機関車の方向転換や運転整備が行われていました。帰りは機関車の前後が入れ替わり、前がC56160、後ろがC571になります。

C56160は、本来ローカル線の小単位の列車や構内の入れ替えなどに使うための小型機。

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現役時は小海線や飯山線での活躍が有名です。 IMG_0248

整備を終えると、ターンテーブルで方向転換。

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復路で後ろに付くC571と挨拶を交わして・・・。

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今度はC571がターンテーブルに乗り、方向転換。前にも後ろにも自在に走れるディーゼル機関車や電気機関車より、だいぶ世話が焼けます。

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整備線に入って、整備を受けるC571。石炭を前へ掻き寄せています。

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雨が降り続く中、復路を撮影するために、来た道を戻りましたが、雨は強まるばかりで、路面の濁流が危険な状態。撮影は諦めて新山口までそのまま戻ることにしました。ところが途中の大歳あたりで小止みになったので駅で待機。しばらくするとC56160を先頭にした重連が到着しました。特急「スーパーおき」はすれ違いのための運転停車。

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発車時は“音”は大迫力でしたが、終点間近のためか“煙”は無し。

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最後尾は3軸ボギー台車の展望車。その昔は東海道線を走っていた車両です。これがその日の撮り納め~。

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悪天候で今回の写真は今一つ。でもこの日の豪雨で、九州や中国地方で大きな被害が出ていたことを帰宅後に知りました~。

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6月27日日曜日。曇り時々雨。降ったり止んだりで傘を手放せない一日。

朝は傘をさして近所をウォーキング。その後近くのスーパーまで食料品の買い出し。日曜の朝にもかかわらず朝市が開催されていて意外に混雑していました。

午後からは新宿まで買い物に。新宿駅では今月で引退が決まっている成田エクスプレス253系を見て来ました。

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1991年(平成3年)の登場時は斬新だったスタイリング、カラーリングも今ではチョッと古ぼけた感じになりました。

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個人的には、成田空港に行く際には9割方成田エクスプレスを利用していました。それだけに自分の中では特別な時にだけ乗る特別な車両。

でも登場からすでに19年もの歳月が流れました。来月7月17日に成田スカイアクセスが開通するのを睨んでか、昨年10月から後継の新型E259系が営業運転を開始。253系の一部に廃車が出始めました。

下の写真は今年の1月24日に長野の工場で解体を待つ253系の姿(再掲)。

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新型のE259系もやって来ました。外観はすっかり一新しましたが、カラーリングとロゴマークはしっかり踏襲されています。

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車体はさすがにピカピカです。

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6月30日までは全27往復中13往復が新型のE259系、残り14往復が253系で運転されています。7月1日からは全列車が一斉に新型のE259系に替わりますので、253系の活躍は残すところあと3日!。

253系は長野電鉄に6両が譲渡されることが決まっているそうで、別天地での活躍が期待されますが、残りの大半の車両が廃車の運命~。

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6月15日火曜日。午前中は晴れ間が見えていましたが、夜にはまた雨になりました。昨夜のカメルーン戦は日本の勝利に終わって何よりでした。でも少々寝不足気味!?。

クリニックは特定健診の方が多め。午後はなぜか時間のかかる方が多くて、予約時間が遅れ気味になってしまいました。申し訳ありません~。

さてシツコイですが、一昨日の日曜日の続き。大阪の交通科学博物館に立ち寄ってから、大阪~京都間を新快速で移動して、京都駅構内で昼食の後、今日の最終目的地、梅小路蒸気機関車館へ。

梅小路蒸気機関車館は、1972年(昭和47年)、鉄道100年を記念して当時の国鉄が開設。国鉄の分割民営化でJR西日本が引き継ぎました。

入口の建物は旧二条駅舎を移築したもので、明治37年築。

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入口は渋~い感じ。雨は本降りになって来ました。

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ここには扇形車庫(ラウンドハウス、大正3年築の重要文化財)と転車台(ターンテーブル)が残され、そこに現在17形式19両の蒸気機関車が保存されています。

今日はひどい雨になったためか入館者は少なめ。

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特筆されるのは19両の保存蒸機のうち7両が動かせる状態で保存(動態保存)されていること。このうち4両が交代で日に数回500mほどの構内を運転しています。

構内運転の今日の担当はD51200号機。やはり生きている蒸気機関車は魅力的~。

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今回はもう1両火の入った機関車が!。現在修理の終盤に差し掛かったC571です。こちらは今月末には試運転の上、山口線で週末を中心に運転される予定。まだ下半身の塗装が済んでいません。

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隣はやはり動態保存機のC612号機。青森機関区から宮崎機関区を経て梅小路入りした機関車。

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外側の留置線にはかつてのスーパースターC622号機。

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デフレクター(除煙板)には栄光のつばめマークが残っています。

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後ろにはC621号機を従え、あたかも重連を組んだようです。交通科学博物館のC6226号機と合わせ、今日だけで3両ものC62と対面。

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庫内には各地で活躍した機関車たちが、保管されています。

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下の写真は国鉄最強のマンモス貨物機であるD52型のラストナンバー468号機。同行の友人に撮ってもらいました。

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15時30分の最終の構内運転を終えると、D51200号機はターンテーブルに乗って汽笛を鳴らしながら転回。整備線に入って給水、給炭、火床整理の後、庫内へ。

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4時過ぎには後ろ髪を引かれながら京都駅へ戻りました。日曜日の夕方の京都駅はものすごい雑踏。17時02分の「のぞみ246号」で東京へ。一本前の「ひかり」は残り少なくなって来た300系でした。車中で京都駅の駅弁で夕食。

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東京駅を出発してちょうど24時間で戻って来ました。

京都であれだけ降っていた雨は、東京では全く降っていませんでした。我々の今回の東京への最大のおみやげは梅雨前線!?。

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6月14日月曜日。雨で気温も低め。今日から関東地方も梅雨入りです。

クリニックは朝から混雑気味。特定健診の方も多めでしたが、週末で風邪をひいた方が多かったようです。午後も同じような状況が続きました。

さて、昨日の日曜日は関西方面へ出かけていましたが、朝のうちに姫路から大阪まで特急「はまかぜ2号」に乗車したあと、大阪環状線で4つ目の弁天町で下車。交通科学博物館へ足を運びました。交通科学博物館は大阪環状線のガード下。弁天町の駅の改札から直結しているので雨にも濡れません。大人400円ですが、切符の自動販売機で一緒に買えます。ここには関東では見られない関西ゆかりの実物車両の数々が保存されています。

下はかつて東海道、山陽筋で活躍した日本最大の旅客用蒸気機関車のC62。さすがに大きい~。

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各地で活躍していた名車たちが勢揃い~。

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かつて寝台特急の「あさかぜ」や「さくら」、「みずほ」、「富士」、「はやぶさ」などの名列車に使用された20系ブルートレインの食堂車、ナシ20は週末のみ実際に食堂として営業中!。

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それにしても不思議なのは、どうやってこの狭いスペースに実物車両を入れたのでしょうか。0系新幹線が3両も。

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鉄道模型の巨大ジオラマの存在は、かつての神田交通博物館や現在の大宮鉄道博物館と同様に定番です。ガラスには多くの子どもたちと極少数のおじさんたちがへばり付いています~。

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蒸気機関車のナンバープレートで造られたオブジェ。見る人が見れば垂涎もの。

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ここには自動車や飛行機、船などの展示もあります。乗ったこともないのになんだか妙に懐かしい東名高速バスも。

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足早に1時間ほどで見学を終え、大阪環状線で大阪駅に戻りました。

今度は、昼前の新快速に乗って京都へ。大阪~京都間は昔から熾烈なスピード競争が繰り広げられた区間。JR西日本の新快速は130km運転で約30分で京都に到着。

おっとっと、間もなくワールドカップの日本対カメルーン戦が始まります。また話が長くなってきたので、続きは後日~。

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6月13日日曜日。昨日の夜遅くに姫路入り。

姫路は朝から雨模様。今日からなんと梅雨入りです。ど~も、どこかへ出かける予定を立てると悪天候になる気がします。余程日々の行いが悪いのでしょうか。

朝は、悲しいことにいつもの仕事の時と同じように早朝に目が覚めてしまったので、朝食前に世界遺産の姫路城へ。姫路城は昨年から「平成の大修理」が行われていて、工事期間は2014年(平成26年)まで。外観もしばらく見られなくなる予定。

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既にどこから見ても写真にクレーンが入ってしまいます。

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ホテルへ戻って朝食後、姫路駅へ。今回、姫路まで来た最大の目的は大阪と香住、浜坂、鳥取を播但線経由で結んでいるキハ181系の特急「はまかぜ」の山陽区間に乗ることでなのです!。キハ181系は1968年のデビューから40年以上活躍し、2011年春には新型のキハ189系に置き換えられることが決まっています。以前、山陰本線と播但線区間は乗車しましたが、先を急ぐ余り姫路から新幹線に乗り継いでしまいました。今回は心残りだった乗り残し区間の姫路~大阪間の山陽区間に乗車します。

新しく高架線になった播但線ホームへ上がると、そこには首都圏では既に見られなくなった103系のローカル電車が2両編成で停車中。

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ほぼ定刻どおり雨の中をキハ181系の「はまかぜ2号」が到着。ここで進行方向が変わり、山陽本線を大阪まで走行します。

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キハ181系はかつて奥羽本線の特急「つばさ」や中央西線の特急「しなの」、伯備線の特急「やくも」などで使用された強力エンジンを装備した気動車。山陽本線内では往年の高速走行が堪能出来るはず。

下の写真は往年の若かりし頃のキハ181系、特急「つばさ」(1973年8月、上野駅にて)。

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9時16分、気動車独特のエンジン音と小刻みの振動とともに発車。車内はリニューアルされているものの古めかしさは隠しようも無い感じです。左下はバリアフリーからは程遠い旧式の段差の大きいデッキ。昔の客車用のホームは今よりも低かったので、ステップが必要だったのです。右下は最近見かけなくなった旧式の洗面台。

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左下が普通車、右下はグリーン車の車内ですが、大きな設備の差は無い感じ。空調の騒音も大きめです。

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期待していたよりも高速走行区間は意外に少なめでしたが、複々線区間では120Km/h近くは出ていた様子。定刻の10時24分に大阪に到着~。

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ひと仕事終えましたがまだ時刻は10時代。今度は大阪環状線に乗り換えて・・・。チョッと長くなってきたので、続きは後日~。

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5月30日日曜日。今にも降り出しそうな曇り空。気温も低めで寒い~。

今日は朝のうち所用で町田まで。町田の駅頭は日曜の朝でも相変わらず人出が多くて混雑しています。新宿寄りには通行量の多い踏み切りが2つ近接していて交通量も多め。

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小田急現役車両の最古参となった5000系がやって来ました。5000系は昭和44年から製造された通勤車両ですが、改造を繰り返しながら既に40年も使われています。

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町田の相模大野寄りは繁華街とは逆側で、JR横浜線を跨ぐ築堤になっていています。勾配上ってまたまた5000系がやって来ました。

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5000系は廃車が進んでいるものの4連15本のうちまだ9本が残っています。しばらくは活躍が見られそう。

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帰りにヨドバシカメラに寄って、5月28日から予約の始まったiPadを触ってきました。想像していたよりズッシリした感じですがかなり魅力的。まだ次回の入荷の見込みは立っていないそうです。どうしようかな~。

サッカー、今日のイングランド戦は負けはしたもののチョッと面白い試合でした。ゴールキーパーの活躍が目立っていました。でも2対1の全てが日本のゴール(オウンゴールが2点)。勝った側も負けた側もスッキリしない感じです~。

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5月27日木曜日。曇り時々晴れ。

今日はフリーの休診日。今週末(5月29日、30日)と来週末(6月5日、6日)は中央線の甲府と小淵沢の間で臨時のSL列車「SLやまなし」が運転されます。先週末(22日 、23日)と25日~27日まで(つまり今日まで)、本番運転に備えての訓練運転が行われるとの情報をキャッチしました。これはどうしても出動しなければなりません。

昨夜帰宅が遅かったのでやや辛かったのですが、朝6時に家を出て新宿7時発の「スーパーあずさ1号」で甲府へ。平日なので車中は空席が目立ちます。

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甲府から普通列車に乗り換えて日野春駅で下車。なぜ日野春かというと、高校時代から頻繁にオオムラサキを見に来ていたので土地勘があるから。徒歩20~30分の線路端へ。

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日差しが暑いものの、周辺では春の蝶ウスバシロチョウがまだ飛んでいました。ウスバシロチョウはこう見えてもアゲハの仲間。

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付近ではちょうど今が田植えのまっ最中。美しい季節です。

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線路端で待つことしばし、上り勾配を大きなドラフト音を轟かせ、黒煙を上げながらD51498がやって来ました!。

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客車は短めの4両。後ろにはDE10型ディーゼル機関車がついています。D51は十分に牽引力はあるので、力を補う補機としてではなく、終点で方向転換が出来ないための帰り道の誘導用にディーゼル機関車が付いているのです。周辺に大量の煙を残して通過。

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通過後、すぐに日野春駅へ戻り普通列車で小淵沢へ。先に着いていたD51はまだホームに停車中。D51の周囲は見物や記念撮影の人が大勢。

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その後一旦松本方面に引き上げた後、バックで側線に入り、ここで機関車整備が行われます。小淵沢ではここから分岐する小海線から蒸気機関車が無くなったのが昭和48年。既に給水設備が無いので、なんと給水車から消防車のポンプを使って給水。

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今回の中央線での運転に備えて煙突の上には集煙装置(トンネル内で煙に巻かれないように、煙をスムースに後方へ誘導する装置)を装備しています。

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またデフレクター(除煙板)はオリジナルタイプから国鉄後藤工場式の切り取りタイプに変更されていますが、チョット不似合い?。

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鷹取工場の製造銘板も今回から付きました。機関車の所属を表す甲府の「甲」の文字が目新しく見えます。運転台とテンダー(炭水車)の間から八ヶ岳が小さく見えます~。

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脇を「スーパーあずさ」が駆け抜けます。現役時代にはあり得ない組み合わせ。

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客車の表示にはわざわざ「SL試運転」の標記が出ています。この12系客車は大阪万博(昭和45年)の輸送用に作られた客車ですが、実はこの客車も今となっては貴重な存在です。

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小淵沢には機関車の向きを帰る転車台(ターンテーブル)も無いので折り返し列車はディーゼル機関車が先頭で、D51は後ろにくっついて甲府まで戻ります。しかも下り坂なので煙は期待出来ないので今日はここまでで終了~。

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小淵沢12時45分発の「あずさ16号」で早々に帰路に着きました。昼食は車中で小淵沢の名物駅弁「高原野菜とカツの弁当」。自分が小学生の頃にはあった駅弁なので、既に40年以上の歴史がある駅弁でしょう。

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途中、西八王子での人身事故の影響で約30分遅れ。

電車が遅れたため?余計な「笹子餅」を車中で買ってしまいました~。“限定”の電車のラベルが目に入ってしまったので・・・。帰宅後はラベルだけそ~っとはがして・・・まだ中は食べていません。

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それでも午後3時過ぎに新宿に戻って来ました。

良い気分転換になりましたが、日射しが強かったせいか帰宅して自分の顔を鏡でみたら日に焼けて真っ赤。 明日までに“証拠”!?を隠滅できるでしょうか~。

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5月4日火曜日。晴れ。みどりの日で祝日。

2日から福島に来ています。朝は福島駅前8時発の高速バスで会津若松へ。本当は列車で移動したいところですが、乗り継ぎの関係でバスを選択。ゴールデンウィークでもバスはガラガラ。車窓からは会津磐梯山が間近に見えます。

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会津若松駅には9:23着。ここから9:37発の会津鉄道に乗車。列車は1両のみのディーゼルカーです。

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湯野上温泉駅には10:19着。桜がちょうど満開。駅舎はなんと藁葺き屋根。待合室のいろりには火が入っていました。

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ここから大内宿へ。大内宿は日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道、別名下野街道の宿場だったところ。

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全長約450mの街道に沿って、寄棟造、茅葺の民家がほぼ等間隔に建ち並んでいて見事です。

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昭和56年に宿場町としては長野県の妻籠宿、奈良井宿に次いで、全国で3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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連休で周囲の道路は大渋滞~。こういう時にはやはり公共交通機関の利用に限ります。宿場内も混雑気味で、空いている季節にゆっくり訪れたいものです。

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そこから近くの「塔の岪(へつり)」へ。「へつり」 とはこの地方の方言で川に迫った険しい断崖のことだそうです。奇岩が連なり吊り橋が架かっています。

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吊り橋の上からも眺めが良かったのでしょうが、高いところが苦手なので風景を眺めたり写真を撮ったりする気持ちの余裕がありませんでした~。

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徒歩数分のところにある会津鉄道の塔のへつり駅は湯野上温泉駅の隣駅。こちらは待合室とホーム1面のみ。

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ここから13:26発の列車で会津若松へ戻ります。

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朝下車した湯野上温泉駅へ戻って来ました。

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ここでは快速「AIZUマウントエクスプレス」鬼怒川温泉行きと交換。この車両は元は名古屋鉄道でJR直通特急「北アルプス号」として高山本線を走っていた車両。

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会津若松に戻ると磐越西線を新潟へ向かう「SLばんえつ物語」が出発待機中。

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本当はこれに乗って行きたいところです。

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でもちゃんと会津若松から郡山行きに乗って、東北新幹線で東京駅まで帰って来ました。磐越西線の峠道では桜が満開でしたが、郡山が近付くと既に散っていました。

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東京駅はやはり大混雑。のどかな風景の世界が嘘のようです・・・。

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5月3日月曜日。今日も五月晴れ。憲法記念日で祝日。

昨日福島のビジネスホテルに宿泊し、朝は福島駅発6:00の上り北斗星を駅撮り。牽引機のEF81は近々引退の予定です。

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上野までまだ3時間38分!かかります。

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ホテルで朝食後、駅前でレンタカーを借りて裏磐梯へ。レンタカーはプリウスしか残っていませんでした。五色沼まで1時間あまり。連休で多数の人出。下の写真は毘沙門沼。

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お馴染みの五色沼自然探勝路は約3.7キロの遊歩道。まだ雪が一部に残っていてぬかるんでいました。

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私自身はこれで3回目ですが、毎回印象が違って飽きません。

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沼ごとに色合いが異なります。

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昼食後は郡山石筵ふれあい牧場に立ち寄りましたが、ものすごい人出。

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牧場内も桜が満開。

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磐梯熱海から磐越道、東北道経由で二本松ICで一般道へ。安達太良高原を通って福島へ戻りました。

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夕食は福島郊外のゆず沢の茶屋で郷土料理。裏山にはカタクリの花が咲いていました。

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田楽や豚汁、漬物、おやき、ゆずみそ焼きおにぎり・・・など素朴な内容。天ぷらには先ほど見たカタクリの花が。美味でしたが、やや塩分過剰~。

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レンタカーを返却してからまた福島駅へ。札幌行きの「カシオペア」は福島19:52発。

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これを見送って今日の締めくくり~。明日夜には家に帰ろうと思いますが、どうするかまた今晩考えます~。

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4月29日木曜日。昭和の日で祝日。風は少々強めでしたが晴れて気温も高め。

朝からクリニックへ。とは言っても今日は仕事ではありません。久しぶりの運転会の日です。クリニックの待合室に組み立て式の線路をひいて各自持ち寄った鉄道模型の運転会です。9時前に家を出て10時頃から搬入作業と線路の組み立て。

診察室前の廊下に設けられたヤードには、小田急の歴代ロマンスカーが勢揃い~。模型は全て1/80サイズ。線路の幅は16.5mmです。

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だいぶ前に引退した3000系SSE車や3100系NSE車も登場。模型の世界ではまだまだ現役です。

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先日特急牽引から引退してしまったEF6438が「あけぼの」フル編成を牽いて、受付カウンター前から入口方向へ向けて疾走中。

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同じ場所を今度は小田急のロマンスカーが通過。

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その後、昭和48年に日本最期のお召列車を牽引した蒸気機関車C57117が登場。

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お召装備そのままの美しい姿。

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さらに続々と往年の名車が登場。

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走っている車両に統一感が欠けるのは各自の好みによるもの。まあテーマを決めずに自由にということで・・・。

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最近の模型では音を出せるものもあります。専用のカンタムコントローラーを使うと自由に警笛、ブレーキ音、ATS(自動列車停止装置)の警報音、線路のキシミ音、更には通過する時にドップラー効果で音の高さが変わるのまで表現出来ます。恐るべし。

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でも音を出して運転しているとかえって疲れます。

あっという間に日が傾き、撤収作業に。仕事をしていると一日が長く感じますが遊んでいる今日は短い~。明日の診療に備えてビス一本残さないように証拠隠滅は万全!?。

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4月22日木曜日。昨日とは一転、終日真冬並みの冷たい雨の一日になりました。

今日は休診日でしたが、少々仕事が溜まったので、自宅にこもって仕事をしていました。久しぶりに遠出はせず。もちろん夕食後は歩きに出ましたが、あまりに寒くて少々距離は短め~。

さて、先日天賞堂の鉄道模型マニ36(スハ32改造車、荷物室扉窓桟有、SG)を買いました。マニの「マ」は車両重量、「ニ」は荷物車を表します。

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中国製のプラスチックモデルなのでお手頃価格ですが、造りは精巧。荷物室扉窓桟の有無、SGとEGの違いで4種類のバリエーションがあり、なかなかマニアックで素人さんの入り込めない世界!?。そもそも荷物車の存在すら知らない世代の方も多いかも。SGとは従来からの蒸気暖房で東海道や山陽筋、EGは電気暖房で東北方面で主に使われていました。蒸気機関車の時代から続く蒸気暖房のために、旧型客車を牽く機関車は近代的な電気機関車やディーゼル機関車であっても蒸気暖房用のボイラを積んでいました。暖房中は電気機関車であっても蒸気を噴きながら走っていたのです。下の写真は交流電気機関車ED76が暖房用の蒸気を噴いているところ(1979年3月博多駅)。

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さて荷物車は殆どが旅客車からの改造車で、その種車によって同じ形式でも様々なバリエーションがあります。そこが大きな魅力。世の中には不思議な人たちがたくさんいて、ちゃんと参考書があります。その名も「荷物車・郵便車の世界」(株式会社モア、平成15年10月25日発行)。中は荷物車、郵便車の側面写真ばかり~。

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その中から今回のモデルのプロトタイプを探すと、マニ36106の写真が載っていました。そこで今度は古い国鉄車両配置表を探すと、マニ36106は名古屋に配属されていたことが分かります。模型に付属のインレタを使って「マニ36106」と名古屋の所属標記を転写。インレタには細かい検査標記もありますが、最近は視力の関係で少々辛い作業。

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ここまで終えると自分のモデルになったような気がします。更に実車に則した細かい改造やウェザリング塗装(実感的に汚れを再現する塗装です)まですれば良いのですが、そこまではチョッと・・・。

下の写真は昭和47年11月に宮崎駅で撮った実物写真。

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客車用の低いホーム、古い跨線橋、奥には荷物用のホーム、そして客車のテールライト。こういう昭和の駅の風景を模型で再現したいと考えています。

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4月14日水曜日。晴れ時々曇り。予報よりも気温は高め。

クリニックはここのところ平穏。風邪の方も少なくなり、予約の定期通院の方がほとんど。ほぼ時間通りで診療が進みました。

花粉症の患者さんは少なくなりましたが、私の目の粘膜は「まだまだ花粉が飛んでるよ~」と言っています。今日はそれなりに花粉が飛んでいる様でした。

診療終了後は歯医者さんへ。何故かこの季節は毎年歯医者さん通いです~。

さて今からちょうど10年前の2000年4月の今頃、福岡での学会の帰りに新幹線を途中下車、小郡(今の新山口)から山口線に立ち寄りました。

山口線は新山口から山口、津和野を通って日本海側の益田に抜ける全長100Km余りの非電化ローカル線。観光シーズンの週末を中心に蒸気機関車の復活運転が開始されたのが昭和54年(1979年)の8月、既に30年以上になります。

山口から五つ目の無人駅、小雨降る長門峡駅に降り立つとまだ桜が満開。やがて遠くから汽笛とかすかなブラスト音。C571に牽かれた「SLやまぐち号」の到着です。

2000.4.15長門峡

ごく短時間の停車ののち、重低音の迫力ある汽笛一声、豪快な蒸気を吹き上げてゆっくり加速していきます。

2000.4.15長門峡

蒸気機関車特有の熱気と石炭に香りを残して目の前を通過~。

2000.4.15長門峡

牽引機のC571は昭和12年生まれ。昭和47年の鉄道100年の記念でオープンした京都の梅小路蒸気機関車館に収容され、動態保存されていましたが、その7年後から山口線で運転されています。

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上の写真は終着の津和野でターンテーブルに乗るC571。煙突上の大きな集煙装置がチョッと目ざわりですが、今でも運転されていること自体が奇跡~。ただし現在はボイラー不具合で修繕中。代打でC56160が走っています。

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3月24日水曜日。昨夜から引き続きの雨降り。自宅近くでは桜がほころび始めましたが、真冬の様な冷たい雨になってしまいました。

クリニックは風邪の方が多めで終日混雑気味。長引く咳の方も多い様です。最近は予約の方はほぼ予約時間を遵守出来ていますが、ゆったり時間を取れなくて申し訳ありません。

夜は例によって歯医者さんへ。帰宅時もまだまだ結構な降り~。

ところで、先週末「国鉄時代」という表題の季刊誌の2010年春号が発行されました。国鉄が解体されてJRになったのが昭和62年のことですから、既に「国鉄」は死語に近いかもしれません。それでもその時代を懐かしむ奇特な人が結構いるようで既に21号。何を隠そう私も創刊号から欠かさず購入しています。

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今回は昭和50年の特集。昭和50年は現役の蒸気機関車による最後の旅客列車(表紙の写真)、貨物列車が走った年。蒸気機関車を追いかけていた人にとっては特別な年なのです。

巻頭には石北本線の1527列車。札幌からの夜行急行「大雪5号」は寝台車もグリーン車も繋いだ立派な急行編成でしたが、急行として走るのは北見まで。その先は各駅停車の1527列車として終点網走まで急行編成のままで、しかも蒸気機関車牽引で走っていたのでした。

昭和50年3月のちょうど今頃の時期、高校入試が終わったばかりの私は北海道行きを敢行。3月23日の上野発の夜行列車で24日の朝に青森着。青函連絡船で北海道に入り、室蘭本線沿線で数日過ごしたのち、3月28日の夜、札幌22時15分発の大雪5号の3号車B寝台の10番の上段に乗り込みました。この車両はもはや他では見られない貴重なA寝台とB寝台の合造車オロハネ10の505番。既に車体はだいぶ痛んでいました。

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石北峠や常紋峠などの難所を越えて北見には5時42分着。到着後はタクシー分乗で先回り。端野~緋牛内間でカメラを構えていると、先ほどまで乗車していた大雪5号が1527列車となってやってきます。

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先頭はC58418号機、客車は荷物車2両に寝台車3両、グリーン車1両・・・と続く立派な急行編成。重厚なドラフトとともに目の前を通過して行きました。

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暫くするとC58119に牽かれたローカル客車の522列車が通過。川は常呂川。

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さらにC58139に牽かれた貨物列車575列車が通過。

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下の写真はC58139のシルエットです。C58はスマートではありませんが、日本的な機関車で結構好きです。今でも秩父鉄道で週末に走る姿を見ることが出来ます。

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早いもので、あれから35年(!)も経ってしまいました・・・。

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3月12日金曜日。晴れ。朝は気温が低めでしが、日中は暖かくなりました。

午前中のクリニックは比較的平穏でしたが、午後からは混雑気味。気温の乱高下で風邪をひいた方が多い様です。

夜は、7時30分から大和市地域医療センターで開催された「平成22年度施設がん検診事前説明会」に当院スタッフと一緒に出席。今年もがん検診が4月1日から11月30日まで各医療機関で実施されます。当院では肺がん検診と大腸がん検診を実施します。

ちなみに平成21年度は肺がん検診4948名の受診に対し肺がん1名、大腸がん検診5854名の受診に対し大腸がん14名が発見されたそうです。多いような少ないような・・・。でも受診者数は絶対的に少ないですね。受診率を上げなければいけません。がん検診受診カードは3月23日に発送されるそうです。皆さんお早めに。

説明会の終了は8時30分頃。夜はやっぱり寒い~。

帰宅後夕食を食べながらニュースステーションを見ていると、金沢駅からの生中継。急行「能登」と寝台特急「北陸」の最終列車の出発の模様が放送されていました。明日3月13日は、JRグループのダイヤ改正の日。以前にも紹介しました「能登」と「北陸」は今夜がラストランになります。

このうち急行「能登」は、定期列車として最後に残ったボンネット型の特急型車両。東海道線に昭和33年から走り始めた特急「こだま」の流れを受け継ぐ流麗な外観です。

下の写真は、今年の正月に撮った始発の金沢駅に入線する急行「能登」の姿(2010年1月3日撮影)。

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金沢駅で並んだ急行「能登」と寝台特急「北陸」。今改正で2列車同時に廃止になります。

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以前は、電車特急といえばボンネット型が主役でした。以下に撮りだめたボンネット型の写真を集めてみました。

下の写真は上越新幹線開通前に上野と新潟を結んでいた特急「とき」。本列車に使われていた181系は151系特急「こだま」の流れを汲んだ正統派でした(1973.8上野駅)。

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こちらは軽井沢行きの臨時特急「そよかぜ」(1973.8上野駅)。

1973.8上野

交流電化区間にもボンネット型が踏襲されて、交流でも直流でも走れる483~489系が登場。下の写真は上野と会津若松を結ぶ特急「あいづ」。上野から黒磯までは直流、黒磯以北は交流に切り替えて走行(1975.11東北本線黒磯~高久間)。

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名古屋と富山を結ぶ特急「しらさぎ」。北陸本線も交流です(2001.8北陸本線小松駅)。

2001.8小松

直流区間のみの上野と長野を結ぶ特急「あさま」にも交直両用の489系が間合いで使用されていました(1976.4信越本線横川~軽井沢間)。

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信越本線経由で上野と金沢を結んでいた特急「白山」は常に混雑している人気列車でした(1976.4信越本線横川~軽井沢間)。

熊ノ平1976.4.5

九州では“ヒゲ”の無い顔。写真は門司港~西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結んでいた特急「有明」(1979.3西鹿児島駅)。

西鹿児島1979.3.22

博多と佐世保を結んでいた特急「みどり」。山陽新幹線博多開業までは新大阪と大分を10時間近くかけて走っていました(1979.3博多駅)。

博多1979.3.13

九州ではJRになってから真っ赤な塗色で活躍(1992.6小倉)。オリジナルの特急色でないとチョッと風格が無い感じ。

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1992.6小倉

こんなに全国で活躍していたボンネット型でしたが、新幹線の開業や老朽化によって次々と引退。定期列車で最後に残った急行「能登」も、今晩3月12日発、明朝3月13日着の列車で最後。金沢駅では1500人もの見送りの人々が集まった様ですが、大きな混乱は無かったようでした。また「昭和」の香りが消えていきます。

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3月2日火曜日。曇り中心の寒い日になりました。

クリニックは、予約外の患者さんは少なめで平穏な一日でした。のど風邪の方が数名。昼は近くの在宅患者さんのところへ往診。雨は降っていませんでしたが朝より寒さが厳しい感じ。夜は大和市医師会の理事会に出席。大きな議事は無く珍しく8時過ぎには終了~。 

さて、先日かつての食堂車の話題を取り上げましたが、現在では食堂車が付いている列車は3列車のみ。上野と札幌を結ぶ「北斗星」と「カシオペア」、大阪と札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」です。このうち定期列車は「北斗星」の1本のみ。何とも寂しい状況です。

ご存知の様に、「北斗星」は昭和63年3月13日に青函トンネルが開通した日から上野~札幌間で運転されている寝台特急。当初は2往復でしたが、今や1往復のみになってしまいました。

下の写真は1997年1月31日、札幌駅に進入するDD51型ディーゼル機関車牽引の「北斗星」 。この時は学会の帰りに札幌から上野まで乗車しました。

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北海道内は青く塗られたDD51型ディーゼル機関車が重連で牽引します。

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機関車の側面には星のマークが描かれています。

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この日は大雪で千歳空港は閉鎖。隣のホームの特急は雪ダルマのよう。

97.1.31札幌駅

札幌駅で上野行きの表示を見るのは今でも何となく違和感があります。

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この時は同行者がいませんでしたので、食堂車で1人でコースを食べる勇気も無く、 駅弁を買い込んでB寝台個室で食べました。営業終了後の食堂車を覗いてみるとチョッと後悔。

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道内での大雪の影響と“動物”が線路内にいて停車した影響で、少々遅れて上野到着。青森から上野までの牽引機はEF81型電気機関車には全く雪が着いていませんでした。

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でも札幌から走り抜いて来た客車の足回りは雪だらけ。

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以上は13年も前の写真ですが、「北斗星」は1988年の登場時から現在まで、20年以上ほとんどその基本スタイルを変えていません。そろそろ限界でしょうか。下の3枚の写真は昨年9月の写真(2009年9月札幌駅)。

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ただし、登場時から活躍してきた上野~青森間の牽引機EF81型電気機関車はもうすぐ新鋭機にバトンタッチの予定です。3月13日のダイヤ改正で金沢行きの寝台特急「北陸」が廃止されると、上野を発着する寝台特急は奥羽本線経由青森行きの「あけぼの」と不定期の札幌行き「カシオペア」、それにこの「北斗星」のみになってしまいます。

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2月26日金曜日。曇りのち雨。天気は下り坂でしたが、今日も気味が悪いほどの暖かさ。大和でも18℃(!)を記録~。

今日のクリニックは終日混雑気味。感染性胃腸炎の方はだいぶ少なくなりましたが、風邪の方は多め。昨日春一番が吹いたためか、花粉症が発症もしくは悪化した方が多数。

診療終了後はいつもの様に夜なべ仕事をしてから帰宅。今宵は小雨模様でも暖かい雨です。

相模大野の駅で、チョッと懐かしい連接台車の走行音が聴こえたので、振り返るとそこには久しぶりにお目にかかるHiSE10000系ロマンスカーの姿が。

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以前にもお伝えしたように、連接部に不具合が見つかったためにLSE7000系3編成と、同じ連接構造のHiSE10000系2編成の計5編成が1月下旬から戦線離脱。全ての赤いロマンスカーが運用休止になっていましたが、やっと来週の月曜日3月1日からHiSEが復活することになりました。

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修繕が終わり、ボディーも足周りもピカピカです。でも新しそうに見えてもデビューは昭和62年ですから、健康管理は大変そう。先輩格のLSE7000系は未だに復活の目途が立っていないようです。

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今週末も天気が悪い様ですが、明日の夜からは寒さが戻るようです。

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2月22日月曜日。曇りのち晴れ。日中は暖かくなりました。

今日のクリニックは午前も午後もそれなりに混雑気味。先週の寒さの影響か風邪の方が多くなった様です。

夜は内科医会、整形外科医会、眼科医会の合同学術講演会。今日は糖尿病の医療連携の話で、何と9時半頃まで。その後に大和市医師会内科医会の総会。会則改訂や新役員の選出 、今後の活動方針などの話し合い。終了は夜10時半頃でヘロヘロ~。

今日は平成22年2月22日で平成11年11月11日以来11年振りのゾロ目の日。各地で記念の切符などが発売されたようです。

それに因んで(?)今日はD51222の写真。昭和47年11月に学校の文化祭の代休を利用して宮崎に遠征しましたが、宮崎に到着した夜に駅で出迎えてくれたのがD51222。D51型貨物用蒸気機関車の222号機の意味です。222号機は昭和13年12月に九州の小倉工場で誕生。一貫して九州で活躍しました。

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熊本機関区での活躍が長く、昭和46年5月からは日豊本線の南延岡機関区に所属。写真では良く判りませんが、ナンバープレートがブルーに塗られているのも特徴。

翌朝、また宮崎の北の高鍋で貨物列車の先頭に立つ222号機に遭遇。

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小休止の後、高鍋駅を発車する222号機。

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その後、222号機は昭和48年1月に廃車。走行距離は287万6479キロ。 ところがゾロ目のナンバーが幸いしたのか、前年の昭和47年5月に本土復帰を果たしたばかりの沖縄県に贈られることになり、当時の国鉄職員や一般の方々の募金で1400万円かけて海上輸送。現在も那覇市の与儀公園に保存されています。

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2月19日金曜日。晴れ。相変わらず10℃に届かない寒い一日。

今日のクリニックは朝の出だしは平穏でしたが、10時過ぎから混雑気味に。風邪や感染性胃腸炎の方がまた増えて来た様です。ここ数日寒かったせいでしょうか。今日は久しぶりにインフルエンザの方もお2人。

午後も同様の状況で、最終的には今月に入って最も患者さんの多い日になりました。とは言うものの先月までと比べれば大した事はありませんが~。

今週は、通勤電車内で「食堂車乗務員物語」(宇都宮照信著、交通新聞社新書、2009年12月15日発行)を読んでいました。著者は昭和44年に日本食堂に入社され、数々の食堂車に常務され、現在は九州鉄道記念館副館長をされている方。

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食堂車の歴史から始まり、実際の乗務経験中の数々の体験談が語られています。昭和44年から急行「雲仙」に乗務されていたそうですが、当時の食堂車「オシ17」はまだ石炭レンジの時代。火起こしから煙突掃除までしなければならず、火力の調節の難しい石炭レンジの扱いにはだいぶ苦労された様です。昔は食堂車も煙をはきながら走っていたのですね~。でもオシ17は昭和47年11月に北陸トンネル内で火災を起こして30人が亡くなる事故を起こし、これを契機に全廃されてしまいました。

本書からは、狭くて揺れる車内での調理器具や調理法の工夫、また過酷な勤務体制(夜は食堂車の椅子を並べて寝ていたそうです)など、当時のまだ食堂車が全盛だった時代が窺い知れます。

下の写真は以前にもお見せした食堂車ナシ20が付いていた頃の20系客車時代の寝台特急「はやぶさ」。20系以降は電気レンジ。手前の厨房部分にはコックさんが2人見えます(昭和50年3月東海道本線根府川、再掲)。

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こちらは同じ日に撮った14系客車時代の寝台特急「さくら」のオシ14。床下には大きな水タンクが付いています。当時はブルートレインの食堂車には乗ったことが無かったので、羨ましく眺めていました。

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昭和50年3月の山陽新幹線博多開業に合わせて、新幹線にも一時食堂車が連結されるようになりましたが、時代の流れで次第に利用客が減少。新幹線の食堂車も平成12年には全廃になってしまいました。今では食堂車付きの列車は特殊な3列車のみとなってしまいました~。

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2月12日金曜日。雨のち曇り。雪にこそなりませんでしたが、寒い一日でした。ク リニックは朝から混雑気味。今日もインフルエンザの方が数人いらっしゃいました。ご主人、奥さん 、娘さんと、今週になってから次々と来院されたご家族も。また流行再燃でしょうか。

さて、今からちょうど30年前の今頃、大学は入学試験実施のために休講。この休みを利用して、山陰へ鉄道旅行に出かけました。「鳥取砂丘が見たい」と言う友人と3人で1980年2月5日、東京駅20時40分発の寝台特急「出雲3号」に勇躍乗り込みました。当時はまだ夜行列車がたくさん走っていて、東京駅は夕刻から寝台列車が続々と東海道を下って行きました。山陰方面への寝台特急「出雲」も当時は2往復ありました。

翌朝2月6日の8時55分に雪の鳥取駅に到着。まずは最初の目的地の鳥取砂丘へバスで向かいましたが、到着してみれば砂丘の砂など全く見えず、広大な雪野原が広がるばかり。おまけに猛吹雪~。愕然としましたが、良く考えてみればあたり前。2月の日本海側なんですから。下の写真の左側が砂丘のはずですが・・・。

1980.2.6鳥取砂丘

日本海は荒れていて不安定な天気。薄日が射したり吹雪いたり。当時はちょうど20歳~。

1980.2.6鳥取砂丘

鳥取砂丘をそそくさとあとにして「まつかぜ1号」で松江へ移動。「まつかぜ1号」は京都発で福知山線、山陰本線経由の博多行き。全区間だと13時間半かかる長距離特急。今は全廃されてしまったキハ82系ディーゼルです。

1980.2.7出雲市駅

鳥取から松江まで1時間47分。松江城などを見て松江泊。真冬のこの時期、他に観光客は誰もいない・・・。

1980.2.6松江城

翌日2月7日は一畑電鉄というローカル私鉄に乗って出雲大社へ。松江から出雲大社まで約1時間。宍道湖の北岸を走ります。

1980.2.6松江温泉

出雲大社では一時的に晴れ間が。長さ8m、重さ1500kgの大注連縄が立派。出雲大社だけ他の神社と逆の掛け方になっているそうです。1980.2.7出雲大社

参拝後、再度一畑電鉄に乗って国鉄の出雲市駅まで。出雲市駅構内にはレンガ造りの古い機関庫が残っていました。

1980.2.7出雲市

出雲駅構内ではキハ181系の特急「やくも」が入線。出雲市から伯備線経由で岡山まで結んでいました。

1980.2.7出雲市駅DD51型ディーゼル機関車牽引の貨物列車の編成も今は見られない編成。

1980.2.7出雲市駅

出雲市からは、昨日も乗った「まつかぜ1号」に乗って3時間14分、東萩で下車して駅前のビジネスホテルに宿泊。

1980.2.7出雲市駅

その後2月8日は萩市内では高杉晋作、木戸孝允、吉田松陰ら幕末の長州藩士の旧家や松下村塾などを訪ねてから、バスで秋芳洞へ向かい、やはりほとんど宿泊者のいない国民宿舎に宿泊。2月9日に小郡(現新山口)から新幹線で帰宅の途に付きました。終始寒い真冬の鉄道旅行でした。

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1月28日木曜日。曇り一時雨。気温は高めで16℃まで上がりました。朝は運動がてら近所の公園まで。雲行きは極めて怪しい感じ。

雨は何とか降らずに済んでいたので、昼からは機関車を眺めに田端まで。以前本ブログでもご紹介しましたが、田端は公道から間近にJRの機関車が見えます。田端に着いたとたんに雨が・・・。

下はこの春で寝台特急「北斗星」や「カシオペア」の牽引を退役するEF81。この81号機は元お召機。検査上がりなのかピカピカです。

後継機のEF510は既に年末から試運転中なので、遠からずEF81の流れ星マークも見られなくなりそうです。

道路の反対側の留置線には、やはり今春で役目を終える急行「能登」が留置されているのが見えました。

田端からこんどは西日暮里経由で千代田線の綾瀬へ。綾瀬から北綾瀬まで1駅だけの千代田線の北綾瀬支線がありますが、今まで足を踏み入れたことがありませんでした。昭和54年に旅客営業が開始された比較的新しい線。綾瀬駅のホームのはずれの0番線が北綾瀬行き。

 

たった3両編成でワンマン運転。車両は本線と同じ6000系ですが、最初に登場した元試作車。

今は無くなってしまった汽車会社製で昭和43年製造。

 

予想外に多い乗客を乗せて発車すると、3~4分で次の駅が北綾瀬駅終点です。全線高架線で駅の先は車両基地(綾瀬検車区)。駅も高架上にあって外観はとても地下鉄の駅には見えません。車両基地への出入庫線の途中についでに(?)駅を設置したのでしょう。駅前はすぐ大通り。住所は足立区谷中ですが近くには畑も残っています。

 

支線のダイヤは朝の通勤時間帯を除き1時間に4本。1編成が行ったり来たり。乗って来た電車で綾瀬まで戻り、綾瀬からは始発の小田急線直通の多摩急行で帰宅~。

明日は天気は回復するものの、気温は今日よりも低くなるそうです。

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1月26日火曜日。晴れ。寒い朝になりました。

午前中は予約外の方が少なくて極めて平穏。昼は自転車で南林間の在宅患者さんのところへ往診。新型インフルエンザワクチンを接種して来ました。すぐにクリニックに帰って昼休み中にお1人エコー検査。

午後はやや混雑気味。今日はインフルエンザの方は高校生お1人のみ。インフルエンザの様な症状で受診された大人の方はレントゲンを撮ってみると肺炎でした。このあたりの見極めが腕の見せどころ~!?。

通勤の電車内で「昭和の車掌奮闘記」(坂本衛著、交通新聞社新書、2009年8月21日発行)を読みました。

著者は昭和28年に国鉄に就職。昭和35年から62年まで車掌を務めた方。車掌の不規則な勤務体制や、カバンの中身、乗客扱いのウラ技や失敗談など。長年の実務体験に裏打ちされた内容が軽妙に書かれていて、非常に面白かったです~。下の写真は本書にも登場する国鉄の車両史の一大エポックとなった寝台客車20系。登場時は「走るホテル」と呼ばれていましたが、当初はトイレも線路にタレ流しがあたり前の時代。今では考えられないことです~(昭和51年3月上野駅にて)。

最近は段々と電車内ではヘビーな内容の本を読む気力が無くなって来ましたが、本書あたりが丁度良い感じ~。

本日午後、追加分の新型インフルエンザワクチンがまたまた入荷しました。少しゆとりが出来ましたので、かかりつけの方で接種ご希望の方はお早めに。

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1月24日日曜日。晴れ。

天気予報では久しぶりに甲信越の天気もまずますの様子なので、急遽飯山線に乗りに出かけました。飯山線は、長野から飯山、戸狩野沢温泉、十日町を経て新潟の越後川口を結ぶ100km余りのローカル線。沿線は名にし負う豪雪地帯。やはりせっかく乗るからには雪の季節でないと・・・。実は2006年2月に同様の企てを実行しましたが、当日除雪作業のために列車が運休となり、その時は全線完乗を果たせないまま飯山から引き返して来ました。今回はそのリベンジです。

東京駅発9時20分の長野新幹線「あさま511号」でまずは長野へ。天気良好で、大宮近くから、かなたに富士山が遠望出来ました。

 

軽井沢を過ぎると浅間山が綺麗に見えます。長野からは飯山線のディーゼルカー(キハ110系2両編成)に乗り換え。車内は座席が7~8割埋まるくらいで、そこそこの乗車率。

 

長野を発車すると長野総合車両センターが見えますが、本日最後の1編成が役目を終える京浜東北線209系や新車が導入されて引退した成田エクスプレス253系が見えました。解体の運命でしょうか。

豊野で信越本線と別れて飯山線に入ると俄然ローカルな雰囲気。次第に雪深くなって来ます。豊野あたりはリンゴの木が多数。

天気は良好で線路に沿って流れている千曲川の水面が光っています。

飯山線は単線。替佐(かえさ)駅で列車交換。

飯山を過ぎて戸狩野沢温泉近くは意外に広い景色。

列車は戸狩野沢温泉駅止まり。ここで越後川口行きに乗り継ぎです。

 

次の越後川口行きまで1時間余りあるので、駅近くで昼食。鍋焼うどんにもご飯と漬け物が付くのは信州風?。右下の写真は近くにあったJAの診療所。当院よりもはるかに立派です。

 

食後に駅に戻ると、なんと13時39分発の越後川口行きが除雪作業のために運休の掲示が!!!。次の列車は運転されるものの2時間半後の発車です。この先、十日町で途中下車して名物の「へぎそば」を食べてから、ほくほく線経由の「はくたか」に乗り、越後湯沢経由で上越新幹線「たにがわ」で帰る予定でしたが、計画は水の泡に帰しました。止む無くここから長野へ引き返すことに~。

列車の運休のために旅程を中止することになったため、長野往復の新幹線を含めて切符は全額払い戻しに。わざわざここまで昼食を食べに来ただけになってしまいました。でもJRさんにはタダで往復新幹線に乗せて頂いて申し訳ないです。結局、飯山線は戸狩野沢温泉から新潟側のハイライト区間が未乗のまま。また来なくてはなりません~。

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1月21日木曜日。曇り。季節はずれの暖かい朝。今日は休診日ですが、朝からクリニックで事務仕事。昼からは聖マリアンナ医大横浜市西部病院循環器内科の外来へ。外来を終えて夕方外へ出てみると急に気温が下がっていました。上空では怪しげな黒雲が占拠し始めていました。

今日から、神奈川県では一般成人への新型インフルエンザワクチンの接種が解禁になりました。定期通院中の方でご希望の方はご予約下さい。現在当院にはワクチンの在庫は少なくなっていますが、全国的にはむしろ余り気味になっているので、ご希望があれば手配は容易です。

さて、先日から小田急の赤い特急ロマンスカーが運用休止になっています。LSE7000系1編成が廃車になって解体している際に、車両の連結部分に重大な傷が見つかって、他の車両も修理や点検のために運用休止に。現在LSE7000系3編成と同じ連接構造のHiSE10000系2編成の計5編成が戦線離脱中。写真は離脱直前のHiSE10000系の姿(2010年1月18日撮影)。新しそうに見えてもデビューは昭和62年。

下の写真はLSE7000系(2008年12月27日撮影)。こちらのデビューは昭和55年です。

車両間に台車のある特殊な連接構造と老朽化が原因?。

復旧には少なくとも1ヶ月以上はかかるそうです。その間は他の車両をフルに使って凌ぐのでしょう。小田急の象徴たる展望室のある赤いロマンスカーが見られない事態は、昭和38年のNSE3100系登場以来初めてかも。このまま廃車なんてことは無いですよね~?。

夜、ウォーキングに出ると更に寒さが厳しくなっていました。天気予報では明日の最高気温は9℃の予想。20℃近かった今日とのギャップがあまりにも大きいので、体調管理に気を付けましょうね~。

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1月11日月曜日。成人の日。今日は予報では良い天気のはずが、朝から曇り空で寒い一日になりました。

朝は運動がてら近所を散策。でも寒くていつもよりは早めに帰宅~。下の写真はエリカ。花の中心の黒い部分が蛇の目に見えることからジャノメエリカというそうです。南アフリカ原産で、寒い今頃の時期(11月~翌年4月頃)が花の盛り。

午前中は食料品の買い出しに近所まで。振袖姿の新成人を見かけました。

さて昨日は、表参道にある鉄道模型専門店モデルスイモン原宿店で、天賞堂のキハ26の400番代の模型を購入しました。キハのキは気動車、ハは普通車、26は形式名ですが、400番代は一等車(今のグリーン車)からの格下げ車を意味しています。

銀座に本店のある天賞堂は、先日の高級時計窃盗事件で話題になっていますが、模型部も既に60周年を迎えた老舗。今回購入したキハ26は、高級な手造りのブラス(真鍮)モデルではなくて、プラスチックの大量生産のモデル。中国製でリーズナブルな価格。

最近はプラ成型技術が一昔前とは格段に進歩していて、昔のプラモデルとは全く別物。細かい表記もほとんど印刷済み~。

床下のエンジンなどの表現も忠実。走行時にはヘッドライト、テールライト、もちろん室内灯まで点灯します。

キハ26の系列は、昭和31年から36年にかけて489両が製造された国鉄最初の準急用気動車。エンジン1台のキハ26とエンジン2台のキハ55が代表形式です。準急「日光」として一世を風靡しましたが、徐々に後輩に道を譲り、昭和62年までには全車廃車になりました。

下の写真は鹿児島に残っていた同系列のキハ55の4番。昭和31年に登場した試作車5両のうちの1両で、量産車よりも前面窓が小さいのでモデルとは少し違った表情。西鹿児島(現在の鹿児島中央)駅で(1979.3撮影)。

下は宮崎~南宮崎間の大淀川鉄橋を渡る日南線のローカル列車。前から2両目がキハ26の400番代(1979.3撮影)。

もとの一等車は一座席毎に窓があるので、窓がたくさん。

普通車に格下げされた後も座席は1等車のままでしたので、この車両に当たるとチョッと得した気分でした~。

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1月4日月曜日。今日の金沢は日本海側とは思えないほど良い天気。天気が良いので金沢郊外まで車を走らせます。金沢市街が遠望出来る金沢市平等本町あたりまで来ると、さすがに雪深い感じに。

雪が逆行で光って綺麗です。

小さな集落は雪国の厳しい生活が窺われます。

さて、昨晩の1月3日の夜、この3月で廃止が決まった寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」を見に、夜の金沢駅に行って来ました。どちらも上野と金沢を結ぶ夜行列車。金沢発は「能登」が22時15分、「北陸」が22時18分で、金沢駅では両列車が並びます。

約1時間半前には着いたのに、驚いたことにホームの端には三脚が林立。既に40~50人程が寒い中を列車の入線を待っていました!。まだ廃止までは2ヶ月以上あるのにビックリです。ホーム上には今後の撮影者の増加を見越してか、真新しい「撮影スポット」を示す表示が・・・。

 

しばらくすると「北陸」が入線。

「北陸」はいわゆるブルートレインの残党。残念ながら食堂車はありませんが、A寝台、B寝台からなる8両編成。個室が多い編成です。シャワーもあります。

 

その後「能登」も入線して、発車時刻までしばし並びます。

急行「能登」は最後のボンネット型の489系電車。「能登」の廃止は、昭和33年に登場した東海道線の特急「こだま」以来続いた国鉄型ボンネットの定期運用の消滅を意味します。これは一大事!?なのです。

本当はこれに乗って上野まで帰りたいところでしたが・・・。

今日(1月4日)の夕方、小松から空路で帰って来ました。小松空港付近にはほとんど雪がありませんでした。海が近いからでしょうか。

さあ、明日から仕事!。通常通り診療します!!。

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12月29日火曜日。朝は曇り空でしたが、次第に天候は回復しました。

診療は昨日で終了しましたが、今日はレセプト作業のため事務スタッフは出勤。カルテや書類の整理など、診療のある時にはなかなか時間の取れない仕事もたくさん。

さて、今から30年前の1979年(昭和54年)の年末は、近場の旧型国電を見に出かけました。(国鉄の分割民営化が20年以上前の1987年3月のことですので今では“国電”も死語でしょうか?。若い方には通じないかも!?)

当時の南武線や鶴見線には、戦前の古めかしい電車が残っていましたが、さすがに全国的に珍しい存在になっていました。南武線の尻手から浜川崎までの4kmあまりを結ぶ通称「南武支線」に残っていたのはクモハ11やクハ16といった昭和ヒトケタ生まれの電車。下の写真は浜川崎駅に停車中のクモハ11とクハ16の2両編成です。先頭がクモハ11。両形式とも全国で唯一南武線の中原電車区に残るのみになっていました。

こちらは尻手駅でのクハ16。行先表示は看板を差し込む一昔前には一般的だった方式。リベット打ちのゴツゴツした車体は何とも味があります。

内装はニス塗り。真ん中に柱。ワックスと油とブレーキの鉄粉の香り。網棚は現在のような金属ではなくて本当の網です。「吊り掛け駆動方式」の旧型電車特有の唸りと振動は、今では大宮の鉄道博物館以外では体験出来ないかも。昭和56年までには全車廃車になってしまいました。

浜川崎から鶴見線に乗り換えると、鶴見に向かって1つ目の武蔵白石から大川支線が出ていました。ここにも戦前の旧型国電クモハ12が残っていました。こちらは1両で隣駅までの往復運転。大川支線のクモハ12は適当な置き換え車両が無かったこともあってJR発足後も生き残り、なんと1996年(平成8年)3月まで残っていました。

さらに鶴見線で終点の鶴見まで来ると、職員輸送用に残っていたクモハ12が構内のはずれに佇んでいました。こちらも昭和5年製!。

今から思えば貴重な戦前製の電車たちが身近に結構残っていました。もっとたくさん記録を残しておけば良かったと悔やまれます~。

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12月14日月曜日。晴れ。寒い日になりました。

クリニックは午前中は比較的平穏でしたが、午後からは結構混雑。心不全で入院が必要になった方の手配などで夕方はやや時間が押し気味になりました。この週末で風邪をひいた方も多い様です。また嘔吐と下痢と発熱の感染性胃腸炎の方もちらほら。やはり気温差が良くないのでしょう。インフルエンザの方は少なめで、流行は収束が近い印象。

さて今日12月14日は、1702年(元禄15年)に赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りをして主君の仇討ちを成し遂げた日でもありますが、昨年の本ブログでも紹介しました様に1975年(昭和50年)には 国鉄室蘭本線の岩見沢~室蘭で国鉄最後の蒸気機関車牽引による旅客列車が走った日でもあります。

下の写真は昭和48年3月の岩見沢駅。函館本線と室蘭本線の分岐駅です。函館本線は電化されていて、交流電気機関車ED76型500番台に牽かれた旧型客車の長大列車が停車中。今では機関車も客車も長大列車も無くなってしまいました~。

室蘭本線の主な役割は旅客輸送よりも貨物輸送。そんな中を貨物列車の合間にC57型蒸気機関車が短い編成の普通列車を牽いていました。下の写真は室蘭本線の栗沢~栗丘間を走るC57牽引の旅客列車(昭和48年3月)。

最後の旅客用蒸気機関車は岩見沢第一機関区に残った5両のC57でした。下は岩見沢第一機関区で休むC57(昭和48年3月)。

昭和50年3月末時点では岩見沢第一機関区には9600型8両、C57型5両、D51型25両の計38両が在籍し、とても1年以内に全廃される雰囲気ではありませんでした。

下は貨物用機関車のD51型。後ろに見える機関庫は煉瓦造り(昭和50年3月)。

中にはD51が待機中(昭和48年3月)。

9600型は大正期を代表する貨物機(昭和50年3月)。鉄の塊のような武骨な感じが魅力。

構内の入れ替え用に黄色い警戒色に塗られたいわゆる「トラ塗り」の9600型。

9600型の製造初年は何と大正2年。下の写真は9600型の49698号機の後ろ姿です(昭和48年3月)。連結器の両側の穴はバッファー(ねじ式連結器で推進力の伝達を介するために車端に配置された緩衝器)の取り付け跡でしょうか。鉄道院がそれまで使われていたねじ式連結器から全国一斉に一日で全車両を自動連結器に交換したのが大正14年7月ですから、それ以前から使われていた証拠?。

昭和50年12月14日の最後の旅客列車に続き、貨物列車も同年12月25日に終焉を向かえることになり、翌年昭和51年3月に追分機関区で入れ換え用の9600型が廃止されて国鉄から現役蒸気機関車は全て姿を消しました~。

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12月8日火曜日。晴れ。朝は今シーズン一番の冷え込み。

クリニックは一時の混雑は無くなり、やや落ち着いて来た感じです。それでもインフルエンザの方はちらほら。昼は近所の在宅患者さんのところへ往診。午後は夕方からやや混雑するいつものパターン。

近所の雑木林では地面が見えないほどの枯葉の山。

大多数の方にはどーでもいいことでしょうが、本日ついにJR東日本から正式に急行旅客用蒸気機関車C6120の復元が発表されました!!。昭和48年に宮崎機関区で廃車になったあと群馬県伊勢崎市で保存されていました。以前このブログでも紹介しました様に、私自身は現役時代に宮崎で出会ったことのある思い入れのある機関車です。2011年春以降の予定で、主として高崎エリアの高崎~水上と高崎~横川で使用される予定。下の写真は現役時代の宮崎駅での姿(再掲。昭和47年11月)。

青森から昭和46年に転属した僚機は全部で6両でした。下の写真は1つ上の兄貴C6119。日豊本線(高鍋~日向新富)、昭和47年11月。

こちらは弟分のC6128。日豊本線(高鍋~川南)、昭和47年11月。

同時に懐かしい旧型客車7両も整備するそうです。旧型客車を牽くC6120の姿を早く見てみたいものです~!!。(何となく皆さんの醒めた雰囲気が伝わって来そうなので、この辺でやめておきます~。)

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11月29日日曜日。曇り。

昨夜10時過ぎに新潟入り。今日は昨年に引き続き磐越西線に蒸気機関車を見に来ました。昨年もほぼ同時期に来ましたが、毎回この時期なのは、気温が低い方が“煙”が良いから。今日は今年最後の定期運行日です。

新潟の夜明けは雲が多めながらも日射しが。

こちらは新潟港から見た日本海の様子。

新潟駅では大阪からの夜行寝台急行「きたぐに」が到着していました。

新潟の小学校に長らく静態保存されていたC57180が復活して10周年。毎年4月から11月まで、土日祝日を中心に新潟~会津若松間で運転されています。

新潟駅発は9時43分ですが、前の列車で先回り。磐越西線の会津若松行きは真新しい気動車に換わっていました。

 

新潟から約1時間、阿賀野川沿いの三川駅で途中下車。あとからやって来るC57180の発車直後のダッシュを狙います。汽笛一声、もうもうと煙を上げてやって来ました!。

 

大爆煙で満足~。今度は列車を追って山都~喜多方間の峠へ。登り勾配のS字カーブを登って来るところで撮影。昼頃になって気温が少々上がったためか、昨年より煙は少々控えめ。

 

撮影ポイントでは大勢の撮影者で結構な混雑~。

帰りは喜多方、会津若松を経由して、郡山から東北新幹線でまっしぐらに帰京。乗り継ぎが良すぎてお土産を買うゆとりも無し~。

もうすぐ12月というのに、途中の車窓から見えた会津磐梯山はほとんど雪無し。やはり地球温暖化による暖冬なのでしょうか。

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11月3日火曜日。文化の日でお休みです。今秋一番の冷え込みで12月並みの気温。寒いけれど朝から快晴でした。

都心へ出かけるつもりが、あまりの天気の良さに行先変更。地下鉄千代田線からそのまま常磐線で取手へ。

 

取手駅の構内の端から関東鉄道常総線が出ています。関東鉄道は常総線と竜ヶ崎線の2路線を持つローカル私鉄。

常総線は常磐線の取手と水戸線の下館を結ぶ非電化路線です。

非電化ですので、車輌は全て気動車(ディーゼルカー)です。

 

ディーゼル独特の振動とエンジン音と紫煙を残して取手駅を出発。途中の水海道までは複線で、沿線はベッドタウンと化しています。

今時、非電化複線の路線は貴重。架線が無いので空が広く見えます。

途中の守谷駅では新幹線駅のようなつくばエクスプレスをくぐり水海道へ。取手からの車輌は水海道止まり。ここからはたった1両の列車に乗り継ぎます。車内はガラガラ。複線だった線路もここから単線となり、運転本数も激減。俄然ローカル色が濃くなります。

 

取手から下館までは約1時間20分。単線なので時折途中駅で列車交換。

筑波山を右手に見ながら進みます。単線の線路の両脇には何の花か判りませんが黄色い花が咲いています。

なんと今時は無人駅でもPASMOが使えます。

畑の中や林の間を抜けながら、列車は進みます。

終着駅は水戸線の下館。最近あまり見かけなくなったアドバルーンが右上隅に上がっています。

ここからは真岡鉄道が出ていて、今日は蒸気機関車の運転日ですが、この時間は出払っていて閑散としていました。構内にはディーゼル機関車のDE10が1台留置されているのみ。

ここから水戸線で東北線の小山へ。

 

小山からは湘南新宿ライン・横須賀線直通の快速逗子行きに。遠くには那須連山が見えます。

栃木の小山から逗子行きとはチョッと違和感ですね。このまま赤羽、新宿、横浜、鎌倉を通って逗子まで1本で行けるとは!。小山から新宿までは1時間10分ほど。

新宿のK百貨店のセールを覗き、通勤用の靴を購入~。東京、千葉、茨城、栃木、埼玉を巡る小トリップでした。

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10月30日金曜日。晴れ。

クリニックは相変わらず風邪やインフルエンザの方が多め。通院中の皆様、診療が慌ただしくて申し訳ありません。少しでも待ち時間を減らすために頑張っておりますので、ぜひともご協力下さいませ~。

さて、JR西日本は今月16日、現在東京―博多間を1日2往復している新幹線「500系のぞみ」の運転を、2010年2月末で終了すると発表しました。500系車両はのぞみからの引退後、16両から8両へ改造して新大阪-博多間の「こだま」へ転用するそうです。下の写真は1999年5月小郡(現新山口)にて。

500系は1997年3月に運転が開始され、日本で初めて最高時速300キロで走行しました。戦闘機のような細く尖った先頭車の形態は最新車輌のN700系よりはるかにカッコイイですね~。

下の写真は先日の日本鉄道模型ショウでの500系のOゲージ模型。鼻先が長~い。

でも鋭くとがって円筒形のデザインのため、室内空間が狭い上に全車両にモーターが付いているため車両価格が高いそうです。

下の写真は2008年10月有楽町にて。

現在のぞみの定期運転は2往復のみ。11月10日からは1往復に減るため、東京近郊で出会うチャンスは殆ど無くなってしまいます。残念~。

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10月14日水曜日。曇りのち晴れ。

クリニックは昨日に引き続き大混雑~。風邪症状の方が大勢いらっしゃいました。インフルエンザが家庭内で蔓延して次々にいらっしゃるご家族も。午後は新患の方もたくさん。水曜日は周辺の医療機関がお休みなので風邪のシーズンになると混雑するようです。昼も夜も診療時間は大幅に延長。夜の診療終了後はスタッフともどもヘロヘロでした~。

ところで今日は鉄道の日。明治5年の今日、日本で初めての鉄道が新橋~横浜間で開業した日です。

最近は鉄道に乗ってのんびり旅をする(いわゆる「乗り鉄」)が静かなブーム。近くの小児科のT先生も忙しい合間に乗り鉄を楽しんでおられるようです。NHKでも「にっぽん木造駅舎の旅」を放映しています。

最近、近くの書店で見つけた写真集の「木造駅舎の旅」(米屋浩二著、INFASパブリケーションズ、2009年7月25日初版)には代表的な全国の木造駅舎が紹介されています。最近は木造駅舎もずいぶん少なくなりました。

自分自身が若い頃に撮った旧い駅舎の写真を捜してみると・・・意外に撮ってませんね~。駅を降りるとたいていは振り返らずに目的地に向かってしまったのでしょう。それでも数点ありました。

まずは80年代の北海道。最初は有名な釧網本線の北浜駅。後はオホーツク海で、沖合いに白く見えるのは流氷です。当時はまだ有人駅でした。白鳥の飛来する濤沸湖(とうふつこ)の最寄駅で、白鳥を見に降り立ったのでした。今でも現存しています。

こんどは北見滝ノ上駅。名寄本線の 渚滑から北見滝ノ上を結ぶ渚滑線の終点駅。沿線は人跡稀で車窓からはキタキツネやエゾシカの姿が見られました。1985年(昭和60年)4月1日 に 渚滑線の廃止により廃駅となりました。渚滑線はもとより名寄本線すら廃止になってしまいましたが、 今はどうなっているでしょう。

下は鉄鋼の町、室蘭駅。1912年(大正元年)築で平成9年まで現役だったそうです。現在は登録有形文化財に指定されているそうです。

今度は一転、四国の土讃線の琴平駅。やはり80年代前半です。北海道の駅に比べると開放的。1936年(昭和11年)築ですが洋風で立派、今でも現役だそうです。へんな人物が写ってしまっているのは目をつむって下さい。

最近の写真では、以前にも紹介した中央本線の日野春駅。構内に蒸気機関車時代のレンガ造りの給水塔が残っています。

下は飯山線の飯山駅。2014年度に開業予定の北陸新幹線の停車駅の一つとなる予定で、新幹線開業時には長野寄りに約300m移転する計画。退役まであと僅か。

忙しくなると、どこか遠くへ逃亡したくなりますね~。

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9月24日木曜日。朝から秋晴れ。気温も高めで汗ばむ陽気になりました。

今日は休診日ですが、朝から事務仕事のためにクリニックへ。休診日でも9月末までの特定健診が大詰めを迎え、駆け込み受診を希望される方から多数のお問い合わせの電話を頂きました。予約は既に満杯に近い状態。予約外の場合にはお待たせしてしまうと思います。ご容赦を~。

さて、この連休に日本心臓病学会で訪れた札幌駅で、旧い気動車(ディーゼル)特急キハ183系を見て来ました。キハ183系は1979年に試作車が登場。1981年から量産された北海道専用の特急用気動車。北海道は非電化区間が多くて気動車が大活躍しています。キハ183系は登場から30年。だいぶ活躍の場が狭まって来ました。

下の写真は特急「オホーツク」網走行き。キハ183系の高運転台型の初期車輌の定期運用は既にこの「オホーツク」のみ。終着網走までは最速でも5時間15分!。

下の写真は約30年前の登場時の函館駅での写真。この当時は道内の主要列車は殆どが青函連絡船の着く函館始発でした。

その時に隣に停車していたのは先代のキハ82系。キハ82系は1961年登場ですので、今ではキハ183系は先代の活躍期間を既に上回っています。

下は最近話題の「旭山動物園号」用に改装されたキハ183系。車輌毎に種々の動物が描かれ、内装にも趣向が凝らされています。

旭山動物園号は札幌~旭川間を1時間37分で結びます。右に並ぶ最新の電車特急789系1000番台「スーパーカムイ」でも最速1時間20分ですから、かなり健闘しています。

因みに最近の弟分たちは、急カーブでも高速で通過出来る振り子式や車体傾斜システムにより130km/h運転対応。

 

最高130km/hで飛ばしても札幌から帯広2時間25分、函館3時間、釧路3時間35分、稚内4時間56分。北海道は広いです~。

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9月21日月曜日。今日は日本心臓病学会に引き続いて札幌に滞在中です。帰郷したら報告しますね~。

ところで、鶴間駅の北側も南側も線路柵の支柱に古レールが使われていることはお気づきでしょうか。

 

レールには製造年や規格が入っています。鶴間の北側(南林間側)の線路柵に使われているのは概ね1960~1962年製。約50年前のものです。

古レールの研究をしている方のホームページを参照させて頂いたところ、下の写真の〇にSのマークは八幡製鐵株式會社製(1970年3月31日に富士製鐵と合併して新日本製鐵となる)のようです。

 

下の写真はこちらの◇にSのマークは釜石にあった富士製鐵製。

 

ところが、先日鶴間駅の南側(大和側)を眺めていて1925年製を発見!!。

南側は古いものが多いようで、ペンキで塗り固められていて判読出来ないものも多いけれど、1925~1928年製が多数。

 

これらのレールにはTENNESSEEの文字が。これはTENNESSE, US Steel(US 製鉄会社テネシー)製、舶来品です。アメリカ合衆国アラバマ州 Birminghamにあった会社です。

1925年といえば大正14年。小田原急行鉄道(今の小田急電鉄)の起工式が行われた年です。小田原線の開通が昭和2年、江ノ島線は昭和4年の開通ですから、開通当時に使われていたレールでしょう。

小田急では東京都内は高架線となり、神奈川県内でも線路の改良工事が行われたところも多いので、意外に貴重品かも!?。

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8月23日日曜日。晴れて今日も暑いです~。

今日は朝から東京ビッグサイトで行われている第10回国際鉄道模型コンベンションへ。主催はNPO法人日本鉄道模型の会、後援は国土交通省、JR東日本、JR東海、JR西日本。りんかい線国際会議場駅で降りて東京ビッグサイトまでの会場周辺はめまいがするほどの人出。こんなに鉄道模型愛好家がいるのか!・・・と思えばほとんどの人がガンダムのイベント会場へ。それでも鉄道模型の方もそれなりに混雑。

展示ブースは鉄道模型メーカー、出版社などの企業から、模型クラブや愛好会、高校のクラブ、個人参加まで様々。

各メーカーのブースでは新製品を中心に展示。下は老舗カツミの新製品たち。HOゲージ(1/80~87、線路幅16.5mm)の私鉄ものや新幹線などの電車が中心。

銀座天賞堂は今年60周年。下は記念製品のC57117号機。その他サウンドシステム付きのEF58が警笛を鳴らしながら走りまわっていました。

ムサシノモデルはHOゲージとOJゲージ(線路幅24mm)。OJゲージは大きくて迫力満点ですが、お値段が少々張ります・・・。因みに下のC57は64万円!!。

下は台湾のブース。台湾の新幹線も快走していました。

今の主流は実物の1/150、線路幅9mmのNゲージ。小さいので狭いスペースでもジオラマを造ることが可能。

創り込んだジオラマの中を車輌が走り回る様子は大人も子どもも楽しいです~。

鉄道模型の愛好会や高校のクラブのレイアウトなどが多数。運転が出来るコーナーは子どもに人気。

早稲田大学理工学部職員の同好会の巨大レイアウトはHOゲージ。フル編成の新旧車輌が走りまわります。

JR西日本のブースでは行先表示器や廃車になった電車の外板を販売。電車の外板は、関東では既に見られなくなったクハ103の検査標記や形式名などのある重要部分の切り抜きですが、2万~2万5千円は高いか安いか微妙~。

帰りに立ち寄ったお台場周辺も大勢の人出。写真は夏のイベント開催中のTBS。

いや~今日は蒸し暑くて疲れました~。

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8月13日から夏休みを頂きます。ご迷惑をおかけしますがご容赦下さい。8月21日金曜日から通常通り診療致します。

さて、今を遡ること37年前の昭和47年の8月は、夏休みに小海線沿線に出かけました。

小海線はご存知の通り、山梨県の小淵沢と長野県の小諸を結び、国鉄(当時)で最も高所を走る高原路線でした。当時はC56型蒸気機関車が佐久の中込機関区に4両残っていて、小海線を担当していました。

新宿から165系電車の急行「アルプス」で小淵沢へ、そこから小海線の気動車(ディーゼルカー)に乗り換えると、清里~野辺山間の最高地点までは登り詰め。気動車はキハ52型が唸りを上げて登ります。キハ52型は今でもかろうじて現存しています。

途中の甲斐小泉駅でC56149号機が牽く夏の臨時の混合列車(客車と貨車が一緒に繋がっている列車のこと)と交換。

日を改めて今度は佐久海ノ口駅へ。佐久海ノ口では毎日定期貨物列車の交換があります。駅の佇まいは典型的な国鉄時代のローカル駅。小淵沢へ向かう貨物はたったの2両。佐久海ノ口でしばらく休息中です。

機関車はC56の150号機。C56は昭和10年から製造されたローカル線用の小型蒸気機関車です。

動輪は3軸のC型。機動力を買われて戦時中に1号機~90号機までの90両が戦場へ送り出されてしまいました。里帰りした2両が靖国神社と大井川鉄道に保存されています。

ローカル線でバック運転もしやすいようにテンダー(炭水車)の上部が斜めに切り取られています。

しばらくすると小諸行きの貨物列車が到着。こちらは兄弟機のC56の159号機が牽引。

しばらくすると159号機の到着を待っていた150号機が小淵沢に向けて発車。たったの2両の貨物列車でもそれなりの迫力!。

今度は159号機が小諸へ向けて発車。

短時間の貨物列車の交換風景だけですが、蒸気機関車だとドラマがありますよね~!?。暑い夏でした。

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7月30日木曜日。今日はフリーの休診日。朝から天気良好で気温がグングン上昇。30℃を軽く越えました。

今日は天気が良いので、小田急の臨時特急「湘南マリン」号に乗りに出かけました。夏休み期間の平日に限り、千代田線乗り入れ用のロマンスカーMSEを使用して片瀬江ノ島まで運転されています。通常MSEは江ノ島線に乗り入れる運用は無いので、貴重(?)な機会です。始発駅は新宿ではなく成城学園前。喜多見に車庫がある関係でしょう。始発駅の成城学園前駅では湘南マリン号運転のポスターがたくさん。力が入っている感じです。特急料金は550円。

 

発車時刻の数分前になって、喜多見の車庫から成城学園前駅1番線に入線して来ました。

 

MSEの車内は木目調で大人の雰囲気。天井が高いので圧迫感はありません。乗り心地もまずまずです。でも乗客は残念ながら少なめ。平日だけあって子連れのお母さん方が多くてお父さんはまれ。

でも臨時列車のためか、特急とは言ってもスピードは出ずノロノロ運転。その上運転方向の変わる藤沢駅では、後から到着した定期の「えのしま」号(写真右)が先に発車する始末~。

気温がだいぶ上がって来て、江ノ島の海岸も相当暑そうな感じなので、予定を変更して藤沢で下車。今度は東海道線の上り普通列車のグリーン車2階席に乗ることに。こちらは天井は低いですが、2階からの眺望は良好~。横浜までグリーン料金750円。結構混雑していました。

 

横浜で下車して今度は京浜東北線で鶴見へ。鶴見線に乗るためです。鶴見線は昭和18年の国有化までは鶴見臨港鉄道という私鉄だったため、鶴見駅では鶴見線ホームだけが昔の私鉄風の雰囲気。改札にSuicaの機械が設置されたぐらいで、他は以前訪れた国鉄時代から全く変わっていない感じ。

鶴見線は今では鶴見以外は全て無人駅です。利用者はほとんどが工場の従業員のため、朝夕の通勤時間帯以外は運転本数が極端に少なくなっています。今回は今では“超有名駅”となっている支線の海芝浦駅へ。海芝浦へは鶴見から僅かに11~12分。

 

海芝浦が有名な理由は、眺めが良くて海から最も近い駅であること、そして駅が東芝京浜事業所の敷地内にあり、駅の出口がそのまま工場の門になっているため、東芝の職員以外は一歩も駅構内から出られないこと!!。

ホームからは青い海と空、そして鶴見つばさ橋が良く見えます。

昼間はほぼ2時間に1本しか列車が無いため、乗ってきた電車で折り返して戻るしかありません。

帰りは川崎から南武線で登戸経由で小田急線に戻りました。ぐるっと神奈川県東部を巡る半日の小トリップでした~。

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7月25日土曜日。今日の天気予報では冴えない天気のはずでしたが、意外にも天気が良くなり暑くなりました。

クリニックの予約枠は今日も一杯。天気が良くなったためか、普段の土曜日は少なめの特定健診の方も多く来院。それでも比較的順調で予約時間は大きく逸脱することはありませんでした。

ここ数日予約枠が一杯になってしまって申し訳ありません。今週は祝日が入ったこともありますが、予約時間を出来るだけ守るために少なめに予約枠をとっていることもあります。予約率が上がってきて予約外の方が減ってきましたら、もう少し予約枠を拡大する予定です。予約が入らない場合は申し訳ありませんが予約外で受診して下さい。しばらくはご容赦を~。

先日近所の書店で「門鉄デフ物語」(関崇博著、ネコ・パブリッシング、2009年7月1日発行)を見つけました。素人の方には何の本やら??でしょうが、門鉄デフの「門鉄」は門司鉄道管理局の意味、「デフ」はデフレクター(除煙板)の意味で蒸気機関車の前方左右に装着されている煙りよけの板のことです。蒸気機関車の、それも部品の一部に関する本ですから、一体誰が買うのだろう・・・とお思いでしょうが・・・。

デフは煙突から出る煙が上に向かって流れるように、上昇気流を作るために装着されています。これによって運転室や客車に煙が入り込むのを少なくすることが出来ます。レギュラーな形は下の写真のように長方形に近い形です(津和野にて。2005年7月10日)。

下方を切り取った小振りな切り取り式除煙板は、もともとドイツが発祥の地。わが国では最初に門司鉄道管理局小倉工場で1952年に装着されたため、門鉄デフというのです。

下の写真は再現された特急「かもめ」牽引機に装着された門鉄デフ(2008年11月30日、新潟駅)。

下の写真は同じC57180が標準型デフを装着したところ(2007年10月8日、磐越西線咲花)。

同じ機関車が門鉄デフを装着したところ(2008年11月30日、山都~喜多方)。門鉄デフのほうが軽快に見えますよね~。

下は現役当時の門鉄デフ装着機C57112(1972年11月5日、日豊本線青井岳)。

C57112は宮崎機関区の配属機(1972年11月5日、日豊本線田野)。九州の機関車は他の地域よりも手入れが良くて、磨き込まれていたので、黒ではなく鉄色をしていました。下から仰ぎ見る門鉄デフもカッコイイです。

 

C57112の運転台。磨き出されたナンバープレートと区名札。「宮」は宮崎機関区の意味です。

やっぱりカッコいいなあ~、門鉄デフ機・・・。

今夜は明日朝からの都内での講演会に備えて東京泊まりです~。

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7月4日土曜日。今日も朝は梅雨らしく曇り空でしたが、午後から天気が回復しました。

土曜日は、電車が平日より空いているのでゆったり座っての通勤です。クリニックは朝の早い時間は空いていて、予約時間通りで進行。後半になって予約外の患者さんが次第に増えて、時間帯によっては予約外の患者さんに大分お待ち頂くことに・・・。午後はほぼ予約時間通りで終始して終了。やはり予約外の患者さんの数次第で、予約制がうまくいくか否かが決まってきます。予約率が上がって来れば解決しそうな感じです。

ところで先週、西武鉄道の西武ホールディングスの株主総会に「男性専用車両」の設置を求める株主提案が提出されたそうです。ここ数年毎年提案を続けているそうですが、今年も筆頭株主である米国投資会社により否決されました。確かに女性専用はあるのに男性専用が無いのは不平等??。

下の写真はその西武鉄道の通勤電車(2008年6月22日練馬駅)。

小田急では朝の通勤時間帯のみ女性専用車が設置されていますが、鉄道会社により時間帯や車輌位置、子どもや身体の不自由な男性の扱いなどは様々で、特に統一されている訳では無いようです。

小田急の場合はよく読むと「小学生以下」と「お身体の不自由な男性および介護者」も利用出来ますと書いてありますので、決して女性専用では無いのですが、これだけ大きく女性専用と書いてあると男性は利用し難そうですね~。

 

夜のラッシュ時は設定されていないのは、朝よりは混雑が少ないということでしょうか。

いずれにせよ気の毒なのは、さほど「お身体が不自由」ではない男性の高齢者の方でしょうか。昭和30年代の国鉄には「老幼優先車」というのもあったようですが・・・。

今夜はこのあと、糖尿病の講演会で東京の高輪まで行ってきます。今夜は遅くなるので都内で泊まりの予定です~。

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6月26日金曜日。朝から天気良好。気温がぐんぐん上がって30℃を超えたようです。

クリニックは朝から混雑。特定健診の方たちが、どうしても朝に集中してしまいます。特定健診は10時間以上の空腹で検査が原則なので、朝食を抜かなければならないからでしょうが、朝食を食べて昼食を抜いて夕方検査という手もあります。午後は空いていますよ~。

今日は何故か咽頭痛や熱、咳などのかぜ症状の方が多くなりました。午後も混雑が続いてヘロヘロに。夜なべ仕事も捗らず、残った仕事が次第に山積みに。

今週の電車内の読書は、先日近所の書店で見つけた「時刻表に見るスイスの鉄道」(大内雅博著、交通新聞社新書2009年6月15日発行)。交通新聞社新書は今回創刊されたシリーズのようです。本書は時刻表を通して、洗練されたスイスの鉄道運営の現状を紹介しています。

スイスは九州ほどの小さな面積ですが、鉄道網は発達していて約5000Kmにも及びます。しかもその運営は独自の思想とシステムのもとで実に整然としています。

以前、私も何度かスイスへ列車に乗りに出かけたことがありますが、飛行機を降りるとすぐ空港の地下からスイス各方面への列車に乗ることが出来ます。下の写真はチューリッヒ空港駅に停車中の2階建ての列車。

特筆すべきは、主だった駅では各方面行先別に毎時発車時刻がきれいに揃っていることです。毎時〇分と×分は△行きという具合です。しかも途中駅での乗り換えパターンも統一され、乗り換え時間が最小になるように設定されています。下の写真はフランス語圏のモントルーの時刻表。チョッと見難いですが、毎時「分」と「列車種別」と「行先」が揃っている美しいダイヤ。

スイスの鉄道はほぼ完全に電化されていて、電力は6割水力、4割原子力だそうです。下はイタリア語圏のルガノ駅でイタリアミラノ行きの国際列車。電気機関車が客車を引く方式は日本ではほとんど見られなくなりました。

下の写真はドイツ語圏のルツェルン駅でのローカル線用電車。ローカル電車もオシャレで洗練されたデザイン。

フランス語圏のモントルー駅。スイスでは列車が混んでいて座れないということがまずありません。なんで経営が成り立っているのか不思議なくらいですが、どうも国から多額の補助が出ているようです。

自転車用の車輌もあります。自転車と列車をうまく使ってエコ通勤なんて姿も良く見かけます。

こちらはローザンヌ駅でのICN振り子式電車。カーブの多い路線でもスピードが出ます。

合理的で洗練されたスイスの鉄道運営は、日本でも多々見習うべき部分があります。

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6月19日金曜日。今日はまずまずの天気。

クリニックはそれなりに混雑。やはり天気が良いと混雑するかも。午前の診療終了は遅くなってしまいました。午後も患者さんは途切れませんでしたが、終了はほぼ時間通りでした。夜はいつものように事務仕事です~。

ところで今週の月曜日6月15日に「ブルーリボン賞」が発表されました。・・・とは言っても映画の話しではありません。鉄道愛好家で組織する鉄道友の会(須田寛会長、会員約3600人)が今年の最優秀車両を選ぶ「ブルーリボン賞」です。

今年は小田急ロマンスカーMSEが選ばれました。小田急電鉄のロマンスカーMSE(60000形)は、日本初の地下鉄(千代田線)へ乗り入れる有料特急車で、平日は通勤、休日は観光用として運用されています。

下の写真は、代々木上原から千代田線に入るMSE(2009年5月4日)。フェルメール・ブルーと呼ばれる明るい色の車体が特徴で、昨年3月から運用が開始されています。

珍しく新宿駅に入線したMSE。普段は千代田線へ乗り入れるために、めったに新宿駅には姿を現しません(2008年11月3日)。

喜多見~成城学園前を回送が快走!?(寒~ッ)(2008年11月23日)。

早朝に喜多見の車輌基地から出てきたMSE。連結側の顔はこんな顔です。成城学園前駅にて(2008年8月13日)。

地下鉄に乗り入れるためには、非常時のために前面が開かなければなりません。MSEも良く見ると運転台と反対側の前面が開く構造になっています。成城学園前駅にて(2008年11月10日)。

因みに、ブルーリボン賞の第1回の受賞は同じ小田急ロマンスカーSE車で昭和32年9月の高速走行試験で当時の狭軌世界最高速度(145km/h)を記録した名車。下の写真は昭和43年7月の御殿場線乗り入れ開始に際して大改造を受けた後の晩年の姿。MSEとは50年以上の隔たりが(平成3年3月、今は無き経堂車庫にて)。

50年後のロマンスカーはどうなっているのでしょう。

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6月13日土曜日。天気良好。気温が高く蒸し暑い日になりました。

クリニックは午前中は結構混雑しました。でも午後は一転ガラガラです~。7月からの予約制導入で少しはこのギャップを埋めることが出来ると良いのですが・・・。診療終了後は今日も夜なべ仕事~。

ところで6月10日、11日の一部報道で、蒸気機関車の再生計画を進めているJR東日本が、群馬県伊勢崎市の公園に展示されているC61型の20号機を復活させる方針を決めたと報じました!!。

現在、JR東日本はD51498とC57180の2輌を保有していますが、D51は現在は故障で修理中。季節運行や各地のイベントなどへの引き合いが多く、すべての需要に応えられない状況だそうです。JR東日本はかねてから保存状態の良い蒸気機関車を探していましたが、C6120に白羽の矢が立ちました。

C61は、戦後に余剰状態にあった貨物用蒸気機関車D51のボイラーを利用して、1947~49年に33両製造された急行旅客用の機関車。最高速度は時速100キロで、かつては東北特急「はつかり」や九州ブルートレイン「はやぶさ」なども牽引していました。

C6120は東北地方を中心に活躍し、昭和46年の奥羽本線電化を機に廃車かと思われましたが、当時の国鉄は少しでも検査期限の残っている蒸気機関車を有効活用するために全国規模の配置転換を行っており、いきなり北国の青森機関区から南国の宮崎機関区へ転属。昭和49年まで日豊本線で活躍しました。

昭和47年11月、学校の文化祭の代休を利用して宮崎へ遠征。その際に現役最後のC6120に出会いました。以下の写真は昭和47年11月5日宮崎駅にて撮影したものです。

機関車重量79.46t、動輪直径は1m75cm。20号機は1949年三菱製。

C61の先輪は本来ディスク車輪ですが、20号機は1軸が先輩のC59、C60から譲り受けたスポーク車輪になっているのが特徴です。

当時の宮崎駅や宮崎機関区の上空は煙だらけでした~。吉松機関区のC57151と大分機関区のDF50と並んだ後姿のC6120。テンダー(炭水車)のライトは東北時代の名残でシールドビームです。

宮崎機関区の出発線に待機するC6120。

C6120は宮崎で廃車になった後、何故か縁の無い群馬県伊勢崎市に保存されましたが、今となってはJR東日本の管内であったことが幸いしました。部分解体してトラックでJR東日本大宮総合車両センターに運び、約1年かけて修復の予定。費用は約3億円だそうです。

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4月26日日曜日。昨日の風雨が嘘の様に晴れ渡りました。

今日は運転会の日。何の運転会かって?。もちろん鉄道模型です!。

模型は実物の1/80スケール。自宅で走らせるスペースは無いので、クリニックの待合室を使って組み立て式の線路を繋いで走らせます。朝10時前から線路や車両を搬入して線路の組み立て。車両はそれぞれの趣味で持ち寄るので、時代も車種も様々。

下は待合室トイレ前をカーブして玄関方向へ向かう国鉄C58型蒸気機関車重連に牽かれる急行「大雪」編成。

同じ場所を通過する特急「あけぼの」。今年3月のダイヤ改正でこのEF64型電気機関車の牽引に変わったばかり。

不思議なことに同じ線路を今は亡き小田急ロマンスカーNSE3100系が通過!。

疾走する新旧様々な名車たち・・・。

 

 

 

診察室前の廊下の車両基地には有り得ない組み合わせの車両たちが・・・。

小田急の歴代ロマンスカーも勢揃い。

気が付くと早くも陽が傾きかけ、急いで撤収。

いいおじさん達が床に這いつくばって電車を走らせて喜んでいる姿は余り見せられたものではありません・・・。

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2月26日木曜日。今日は休診日。曇り空で時々小雨の寒い日。

朝は3月14日のダイヤ改正で廃止される寝台特急「富士・はやぶさ」の写真を撮りに根府川へ。根府川は東海道線の小田原から二駅熱海寄りです。目の前が相模湾。駅の熱海寄りには白糸川鉄橋があります。

 

今日は天気が悪くて暗いので、駅のホームの端から安易に撮影。平日というのに狭いホームの端に同業者が約10人!。まずは岡山区所属のEF210が牽く上りのコンテナ貨物がやって来ました。

続いてEF66が牽くお目当ての「富士・はやぶさ」。

根府川駅を通過する「富士・はやぶさ」。東海道筋のブルートレインもあと約2週間あまり。終焉間近です。

そのまま東海道線に乗り今度は東京の田端へ。田端には機関区があり、公道から間近に機関車を眺めることが出来ます。

流れ星のマークの付いた機関車は寝台特急「北斗星」牽引用のEF81。来年には引退の予定。

こちらはJR貨物のEF65の更新機。新鶴見区の所属です。新製から既に30年以上経っています。

本来の特急色のEF65。白いラインはブルートレインの帯に合わせたものです。

下はJR貨物の仙台区所属のEH500。交流区間でも直流区間でも走れるので、青函トンネルを抜けて北海道まで運用されています。

JR貨物の新鋭機にはニックネームが付けられています。このEH500は「金太郎」です。因みに根府川で貨物を牽いてきたEF210は「桃太郎」。

入換用のディーゼル機DE10は宇都宮所属。

これらの写真はすべて敷地外の公道からの撮影ですが、目の前に機関車が見える楽しい場所です~(べつに楽しくないって??)。

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2月7日土曜日。天気の良い週末。先週の土曜日は閑散としていましたが、今週は混雑。昼食は何とか摂れたものの殆ど連続で夕方まで。夜はやはり事務仕事で夜9時過ぎにクリニックを出ました~。

帰りによく「勤め帰り」のロマンスカーに出会います。ロマンスカーといえば、運転席が2階にあって最前部が展望席になっている赤いロマンスカー7000系と10000系がその代表でしょう(少し旧くなりましたが・・・)。でも10000系(新しいほう)は現在2編成しか残っていないのですよ~。

小田急10000系は「HiSE」車と呼ばれるハイデッカー構造の特急車で、昭和62年~平成元年度に44両(11両編成で4本)製造されました。しかし交通バリアフリー法が施行されると、ハイデッカー構造が仇となってバリアフリー工事が困難な事や、車体更新時期が迫っていた事もあって、先輩7000系よりも早く、50000系「VSE」(白いロマンスカーです)の運行開始を機に4編成中3編成が運用離脱しました。離脱した編成のうち、2編成が平成17年8月に長野電鉄へ売却され、短い4両編成に改造されて長野~湯田中間を走っています。残り1編成は予備車として長期間運用を離脱していました(現在は復帰しています)。

開成~栢山間にて(2006年3月5日)。

左は小田原駅にてJRの「スーパービュー踊り子」と離合(2008年4月29日)。右は成城学園前駅にて(2009年1月7日)。

 

和泉多摩川~狛江間にて(2006年3月5日)。

成城学園前~喜多見間にて(2006年1月22日)。

そういえば今年は雪が積もりませんね。このまま春になりそうな気配~。

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1月25日日曜日。寒いけれど天気は最高です。今日は御殿場へ特急「あさぎり」の写真を撮りに出かけました。昨夜の帰宅時に今日の「あさぎり1号」の指定券を入手しておきました。町田発7時49分。座席は前夜にも拘らず1号車の1番が取れました!。眺めは最高です。

 

新松田の手前で、渡り線を通って(下左の写真)上り線を横切り、御殿場線への連絡線(下右の写真)に入ります。

 

東海道本線は1934年に熱海~函南間の丹那トンネルが開通するまで、現在の御殿場線を経由していました。戦時中に単線化されるまでは複線でしたので、駅構内は広く、旧いトンネルや鉄橋跡など様々な遺構が残っています。下左の写真は松田駅。ホームは長くて立派です。下右は谷峨駅での「あさぎり」同士のすれ違い。

 

御殿場着8時58分着。撮影地は徒歩で20分ぐらい足柄寄り。今日は富士山が良く見えるので、先客の撮影者が10名ほど。下の写真はJR東海の普通列車。

こちらがお目当ての小田急RSE20000系「あさぎり」です。

御殿場地方の今日の最低気温はマイナス5℃。風も吹いていてかなり過酷な気象条件でしたが、その甲斐あって富士山は頂上まで雲ひとつ無し。

実は今回ここは3回目。今まではいつも富士山に雲がかかってしまいましたが、今回は正に「3度目の正直」でした~。

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1月22日木曜日。今日はフリーの休診日でしたが、小雨模様の寒い一日になりました。

朝、東京駅まで3月14日のダイヤ改正で廃止になる最後の東京発着のブルートレイン「富士・はやぶさ」を見に出かけました。

東京駅は9時58分着。今日も10番線に定時到着。「富士」は大分発、「はやぶさ」は熊本発ですが、門司から2列車併結で上京してきます。

 

機関車は下関から担当のEF6646。昭和60年以降東京発着のブルートレインを担当してきました。3900Kwの強力機。到着後直ちに客車から切り離され、9番線側をまわって客車の前から後に付け替えられて品川への回送に備えます。

 

客車はJR九州の14系寝台客車。最近では客車そのものが少なくなりました。

A寝台は個室のオロネ15。個室内に洗面台があります。残念ながら食堂車はありません。

 

B寝台は2段式です。

 

B個室寝台ソロはオハネ15-2000。1階室と2階室が交互に配置されています。

 

雨の平日の朝というのに、回送列車を見送る人が大勢いました。昨日発売の鉄道雑誌最新号は「富士・はやぶさ」の特集記事を組んでいました。

 

3月のダイヤ改正の廃止まであと2ヶ月弱になりました~。

以前の「富士・はやぶさ」に関する記述はこちらへ

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1月11日日曜日。今日は鏡開き。寒いけれど晴天。買い物で池袋へ。都心は人出が多くとても景気が悪いとは思えない雰囲気。

ところで、以前より廃止が取り沙汰されていた東京~九州を結ぶ最後のブルートレイン「富士・はやぶさ」の廃止が正式に昨年末(平成20年12月19日)にJRから発表されました。今年の春(平成21年3月14日)のダイヤ改正で廃止です。

東京と九州を結ぶ寝台特急として「はやぶさ」は昭和33年10月1日から、「富士」は昭和39年10月1日から走り続けてきましたが、最近の乗客離れに歯止めがかからず、平成17年3月から併結運転となっていました。新幹線博多開業の昭和50年3月改正時点では東京駅発のブルートレインは9本ありましたが、平成6年の「みずほ」の廃止以降、削減、縮小が繰り返され、平成18年3月18日に「出雲」が廃止されてからは東海道筋の最後の1本となっていました。

下の写真は、まだEF65500番台が牽引していた頃の「はやぶさ」(昭和51年3月湯河原)

下の写真は20系客車時代の「はやぶさ」(昭和48年8月東京駅)。新幹線の博多開業に向けて工事中の頃。最後部のナハネフ22の展望部分は丸みを帯びた優美な形。正に昭和30年代のデザイン。

下左は「富士」(昭和51年3月湯河原)、右は「はやぶさ」(昭和48年8月東京駅)。

 

下の写真は20系客車時代の「はやぶさ」(昭和50年3月根府川)。

まだ食堂車ナシ20が付いていました。手前の厨房部分にはコックさんが2人見えます(昭和50年3月根府川)。

下の写真は、日豊線経由大分行きの「富士」を門司で切り離して、博多駅に着いた最近の熊本行き「はやぶさ」。最盛期には15両編成でしたが、今やたった6両編成。循環器学会で博多へ行った際に撮影(平成20年3月博多駅)。

学生時代は西鹿児島から日豊本線経由で東京まで「富士」で25時間かけて帰ってきたり、医者になってから「はやぶさ」で博多の学会へ行ったり。思い出多い列車がまた消えてしまいます・・・。

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12月15日月曜日。天気は回復。クリニックは昼前から混雑。昼休みは殆ど無しでした。今日もA型インフルエンザの方が来院。感染性胃腸炎の方も多いようです。年末までこんな感じでしょうか。

さて昨日12月14日、すでに11月30日で現役を退いていた0系新幹線の「0系さよなら運転」が新大阪~博多間で実施されました(下の写真は2001年9月小郡:現新山口駅での0系です)。

ところで今から33年前(昭和50年、1975年)の奇しくも同じ12月14日、国鉄本線最後の蒸気機関車牽引の旅客列車が走りました。場所は北海道の室蘭本線、室蘭~岩見沢間です。最終列車は岩見沢第一機関区所属のC57135号機が牽引しました。NHKの特集番組で山口百恵が同機の牽引する列車に乗る番組が放送されてから有名になった機関車で、さよなら運転に抜擢。その後同機は神田の交通博物館を経て現在は大宮の鉄道博物館に保存されています。左が現役時代昭和50年岩見沢駅にて。右は現在の大宮鉄道博物館での姿。

 

昭和50年当時の私は高校1年生でしたが、昭和48年と昭和50年の春、室蘭本線およびその基地である岩見沢第一機関区を訪ねました。当時岩見沢第一機関区には旅客用のC57型と貨物用のD51型、9600型が最後の活躍をしていました。下の写真は岩見沢第一機関区の様子(昭和50年3月)。右端がC57135号機です。

下の写真はC57135の僚機C57144。同機も現在北海道で保存されています(昭和48年3月)。

こちらも僚機C5744。同機は何故か四国で保存されています(昭和48年3月)。

当時の室蘭本線は殆どが蒸気機関車牽引の列車でした(昭和50年3月室蘭本線栗山~栗丘間)。

C57135号機の走行写真。

こちらは貨物列車のD51。

12月14日の旅客列車に続き、貨物列車も同年12月25日に夕張線で終焉を向かえることになり、翌年昭和51年3月に追分機関区で入れ換え用の9600型が廃止されて国鉄から現役蒸気機関車は全て姿を消しました・・・。

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11月30日日曜日。昨日新潟駅前のビジネスホテルに投宿。今日は磐越西線で「SLばんえつ物語」を追いかけます。天気予報どおり天気は朝から最悪。新潟地方は最高気温も最低気温も5℃の予報で小雨混じり。山間部や会津地方は午後から雪の予報です。

 

新潟駅へ行くと大阪からの寝台急行「きたぐに」が到着。国鉄時代からの583系寝台電車の唯一となった定期列車です。ただし原色ではありません(写真左)。米沢行きの快速「べにばな」も古い気動車のキハ52。こちらは国鉄時代の原色に戻された車両(写真右)。

8時50分頃「SLばんえつ物語」が入線。牽引機は昭和21年製のC57180。新潟県の新津の小学校に保存されていたものを1999年に大宮工場で修復、復活させた蒸気機関車です。

 

11月中はデフレクター(除煙板)が、昔、九州で特急「かもめ」を牽引していた当時のものに復元されて取り付けられています(写真左)。

 

発車前まではキャブ(運転台)内も見られます。中はボイラーの熱で暑く、バルブ類が所狭しと並んでいます(写真左)。右の写真は石炭をくべる焚口です。

 

運転台からの視界は狭くて良くありません(写真左)。客車は大阪万博の際に製造された12系客車。側面にトレードマークのオコジョが(写真右)。

先行する普通列車で先回りして、三川駅で下車。三川駅の発車の写真を撮りましたが、雨脚が強くなり暗い写真になってしまいました(写真左)。そこから更に先回りして、勾配のある山都~喜多方間へ。勾配を登って来るところを狙います。気温が低いので煙りは大量の爆煙!(写真右)。

 

あたりが一瞬暗くなるほどの煙。

このあたりは蕎麦と柿が名産。

山を降りて会津盆地の喜多方へ入ると雪混じり。猪苗代付近の車窓は横殴りの雪でした。

郡山から新幹線に乗ると空は青空に変わり、大宮付近からははるかかなたに夕焼けの富士山が見えました。

明日は新潟~会津地方も晴れの予報。やはりよほど普段の行いが悪いのでしょうか。

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11月15日土曜日。また天気の悪い週末になってしまいました。クリニックは午前中は比較的混雑していましたが、午後からは患者さんも少なめ。ところが終わり間際の4時頃になって集中して来院されたため、終了は遅くなってしまいました。どうも土曜日はこのパターンが多い!?。

1976年11月の今頃、私は高校の修学旅行で京都にいました。3日目の自由行動では、京福電鉄鞍馬線(1986年から叡山電鉄に分離譲渡)で紅葉の鞍馬へ。

基点は出町柳駅。駅には元阪神電鉄の昭和4年製のデナ500形が(左写真)。右の写真は貴船口駅で当時最新の昭和34年製のデオ300形。皆、パンタグラフではなく、ポールでした。

 

鞍馬線は1978年10月まで日本国内最後のトロリーポール集電でした。トロリーポールというのは、物干し竿のようなポールの先端に滑車が付いていて、架線に接触させて集電する方式。トロリーバスと同様です。ポイント通過時などにコントロールするためにポールにはヒモがぶら下がっていました。下の2枚は貴船口駅で昭和4年製のデナ21形です。

紅葉の美しい時期でした。

もちろん鞍馬寺や貴船神社などの旧跡を巡って“修学”するために行ったのです。決してポール電車を見に行ったのではありません!。念のため?。

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今から36年前の昭和47年(1972年)の11月4日から6日まで、学校の文化祭の代休を利用して宮崎まで蒸気機関車を見に行きました。

当時宮崎にはC56が2両、C57が12両、そして前年にはるばる青森から転属してきたC61が4両配置され、さらに南延岡のD51や吉松のC55、C57、志布志のC11などが遠征して来ていました。いわば蒸気機関車天国でした。

夜、宮崎駅へ行くと丁度ホームの脇にC5765が待機していました。ホームの明かりで夜間撮影。

翌朝はDF50牽引の早朝の鈍行で、宮崎の南の山間の駅、青井岳に降り立ちました。朝日の中を豪快に宮崎へ向かう通勤列車を牽いてC57112が発車して行きました。

日中は宮崎方へ少し戻って田野へ。日本的風景の中を走るC57187。周囲では名物の沢庵用の大根干しが見られました。

翌日は当時4両になっていた貴重なC61を狙って宮崎の北、高鍋へ。当時の国鉄は、廃止の決まっている蒸気機関車で検査期限の残っているものを有効活用するために、全国規模で配置転換していました。前年まで奥羽本線で使われていたC61も昭和46年の奥羽本線の電化で追われて雪国青森から南国宮崎へ転属して来ました。

高鍋駅へ進入間近、小丸川鉄橋を渡るC6128。

ほんの数日でしたが、宮崎周辺では蒸気機関車を十分に堪能しました。今となっては貴重な経験となりました。

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11月2日日曜日。今日は蒲田の大田区産業プラザで開催されている第29回日本鉄道模型ショウへ行って来ました。夏に東京ビッグサイトで行われる国際鉄道模型コンベンションとともにこの業界の2大展示会のひとつです。広い会場は朝から混雑していました。

 

下の写真は発売が近い大きなOJゲージ(線路幅24mm)のキハ82。

HOゲージ(線路幅16.5mm)各社の発売前の新製品も並びます。左は真鍮製のEF65、右はプラスティック製のキハ52。

 

下の写真はやはりOJゲージのC62。塗装前の真鍮色です。蒸気機関車は複雑な配管が魅力です。

実物の行先表示灯や運転台も売り物です。運転台は20万円余りでした。

D51と500系新幹線がすれ違うのも模型の世界ならでは。

2階の小展示ホールは模型クラブの展示コーナーです。

会場は小さな子どもからご高齢の方まで。年齢を問わず楽しめる趣味で、欧米ではゴルフに匹敵する趣味の王道ですが、どういう訳か日本ではあまり市民権がありません・・・。

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10月25日土曜日。今日は夕方になってカゼの方が多数来院されました。昨日の雨の影響もあるのでしょうか、体調を崩された方が多いようです。家族でインフルエンザワクチン接種に来られる方も。そろそろインフルエンザワクチン接種で混雑する時期になります。皆さんお早めに!。

さて先日、原宿の鉄道模型専門店で貨物列車の車掌車(ヨ5000)を買ってしまいました~。それもOJゲージという線路幅24mmで1/45の大きなものです。良く街で見かけるNゲージが線路幅9mmで1/150、大きめのHOゲージで線路幅16.5mmで1/80ですから、かなりの大きさです。既に発売から10年近く経っている売れ残り品です。

車輪から通電すると、室内灯やテールランプはもちろん点灯します。夜汽車の雰囲気~。

 

窓から中を覗くと、座席やダルマストーブなどの室内装置もあります。感動しませんか~?。

 

HOゲージの車両と並べてみると、やはりかなりの大きさです。

貨物列車の車掌車が最後尾に付いていたのは昭和60年まで。現在も特殊輸送用に下の写真のヨ8000が僅かに残っています(愛知県稲沢にて。2006.3.26)。

けれど大きなOJゲージを走らせるスペースはもちろん無く、線路すらありません・・・。既に無用の長物と化しています。購入したこと、少々反省。

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10月14日火曜日。冷たい雨模様。カゼの患者さんが多い一日でした。昼は雨の中、歩いて近所へ往診でした。

ところで唐突ですが今日は鉄道記念日。明治5年の10月14日に新橋~横浜間が開通したことに因んで制定され、この時期各地でイベントが開催されます。身近な小田急では今週末に「ファミリー鉄道展2008」が海老名電車基地で行われる予定です。今年の車両展示は、ロマンスカー3000系以外は現役車両ばかりのようですので、現役引退が迫った頃に撮影した懐かしの3000系と3100系の写真をお見せします(そんなもの見せられても困る!?)。

小田急3000系は昭和32・33年度に製造された数々の新機軸を盛り込んだ当時最先端の車両でした。昭和32年9月には当時の狭軌世界最高速度145Kmを樹立しています。以後、平成3年(1991年)の現役引退まで活躍しました。最後の運用は「あさぎり」で、平成3年3月には「あさぎり」にさよならマークが付けられました。

下の写真は和泉多摩川~登戸間の旧多摩川鉄橋。今はコンクリート橋に置き換わっています。

高架線になる前の和泉多摩川駅を通過。5両編成です。

成城学園前~祖師谷大蔵間。もちろん成城学園前駅は地上ホームの頃。

喜多見~成城学園前間の切通し。現在は蓋がされています。

早朝の経堂車庫の留置線には2編成が並んで朝の仕業に備えていました。

3000系のあとに製造された3100系ロマンスカーは、昭和37~41年度製。前面展望型は3100系からです。和泉多摩川を通過する3100系。オリジナルは平成11年に廃車となっています。

3100系は、開成駅前に先頭車が保存されています。優美な展望部分。

3000系、3100系ともに昭和30年代の名車でしたね~(涙)。

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10月5日日曜日。朝は晴れていましたが、次第に天気は下り坂。

今日は所用で有楽町へ。新しく出来た有楽町駅前の有楽町イトシアの3階の角からは、新幹線が良く見えます。

上の写真は引退迫る500系。500系は平成9年11月から東京駅へ乗り入れるようになり、以後10年あまり東海道・山陽新幹線の最速「のぞみ」として活躍してきました。しかし昨年7月以降は新鋭のN700系への置き換えが進み、現在東京駅への乗り入れはたった2往復のみ!。下の写真は最新鋭のN700系です。

諸行無常。世代交代はどの世界でも・・・。

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9月20日土曜日。台風は関東をかすめて通過しましたが、、「台風一過」とはいかず不順な天気です。クリニックは台風の影響か、土曜日の割には平穏な一日でした。

今日は診療終了後に東京駅へ直行。東北新幹線で新白河へ。夜9時過ぎに到着して駅前のビジネスホテルに投宿。明日は東北本線の交流電機機関車ED75と、磐越西線で9月末までの週末に臨時運用に入っている583系電車の写真を撮る予定です。

翌9月21日日曜日。朝5時過ぎに起床。白河近郊でED75(廃車の進む旧い交流機関車です)の重連運用のはずの貨物列車を狙います。ところが・・・やって来たのは新型のEH500!?。既に廃止になってしまったのか、今日だけの運用変更なのか・・・。失意のうちに白河駅へ戻ります。

白河駅の駅舎は風格のある旧い木造駅舎(左下の写真)。白河周辺は稲穂が色付き、収穫が近い様です。右下の写真は稲穂の中を上野へ急ぐ「北斗星」の姿。

 

2両編成の普通列車で郡山へ。そこから磐越西線の普通列車で中山宿へ向かいます。583系は1968年(昭和43年)に登場した寝台座席両用車で、国鉄色で残る車両は仙台と秋田に各1編成のみ。普段は団体列車に使われることが殆どで、定期運用はありませんが、9月末まで週末のみ磐越西線でピンチヒッターで走っています。日頃の行いが悪いためか、列車が来る頃にはドシャ降り。

会津若松から郡山まで583系に乗車。寝台はもちろんたたまれていますが、車内は寝台車(昔ながらの3段式です)のため、天井が高くて広々しています(左下の写真)。

 

窓の上部の小窓は寝台使用時の上段、中段のための、のぞき窓です(現在は塞がれています)。帰りは臨時の「つばさ」で帰京(右下の写真)。珍しく7両のつばさ単独編成です。

 

白河、猪苗代、会津地方の豊かな水田風景を見ていると、外国からわざわざ危険なお米を輸入しなくても・・・と思います。

帰って来るとやはり雨。今回の企画はチョッと無理だったかな~。

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8月10日日曜日。8月8日から東京ビッグサイトで開催された国際鉄道模型コンベンションへ行ってきました。

 

10時の開場直後に着きましたが、入口は長蛇の列。会場は熱気に包まれていました。企業、クラブ、学校、個人等々参加形式は様々。主催はNPO法人、後援は国土交通省、JR東日本、JR西日本、JR東海です。

 

入口近くのモデルスイモンのブースでは、発売直後の12mmゲージの151系特急「こだま」が快走中。超リアルですが、12輌フル編成で1365000円です!?。

こちらはサンプル展示の天賞堂のEF651100。16.5mmゲージ(HOゲージ)です。真鍮をハンダ付けで組み上げるので、塗装前はこのような真鍮色です。

サイズが大きくなると迫力が増します。下の写真はムサシノモデル製の24mmゲージ(OJゲージ)の国鉄C57の135号機です。精密な配管の取り回しが、蒸気機関車モデルの真髄ですね~。

同じくC5711のキャブ周り。

クラブや個人、学校単位でも参加しています。以下は早稲田大学理工学部職員によるレイアウトと車輌。HOゲージです。他にも芝浦工大中学高校、日大三高、麻布学園、関東学院中学高校等々が参加していました。

体験運転のコーナーは本物の運転台を使用!!。

今夜は東京湾で花火大会があります。昼ごろから既に浴衣姿の人を大勢見かけました。夜の花火は天気は何とかなったでしょうか~。

今夜はレインボーブリッジは花火大会のために通行止めだそうです。

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6月22日は時々小雨のぱらつく日曜日。早朝に家を出て、6月14日に開通した東京メトロ副都心線に乗って来ました。

副都心線は和光市~渋谷間を結び、和光市~小竹向原間は有楽町線との共用区間、小竹向原~池袋間は有楽町線との複々線区間となっています。和光市で東武鉄道東上線と、小竹向原で西武鉄道有楽町線・池袋線と相互直通運転を行い、将来は渋谷で東急電鉄東横線と相互直通運転を行う予定になっています。

開通当初からダイヤが乱れて大混雑、「トロトロメトロ」なんて報道されていましたが、今日は日曜の早朝なのでほとんど乗客がいません。真新しい渋谷駅から乗車。車両は東京メトロ、西武鉄道、東武鉄道の3社のものが混在しています。和光市行きや清瀬行きなどの行き先表示がチョッと不思議な感じです。

 

最近は多くなってきましたが、当然のことながら転落防止用にホーム側の扉が備えてあります。また将来の東横線との直通運転に備えて、既に線路が敷設されていますが、現在は「蓋」がされています。

 

 

各駅ごとにデザインコンセプトや、ステーションカラーが決めれていて、雰囲気が少しずつ異なっています。明治神宮前、新宿三丁目、池袋を通り、小竹向原へ。小竹向原までは車掌さんが乗っていません(ワンマン運転です)。急行だと渋谷~池袋が約11分です。車窓は・・・やはり地下鉄ですので真っ暗です!?。「東京最後の地下鉄」と言われていますが、渋谷~池袋の利用なら地上の山手線のほうが好みかな~。でも埼玉県南西部や練馬方面からは確実に便利になりました。将来横浜まで直通するようになったら、大和からも利用しやすくなるでしょうね。

 

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生まれてこの方、小田急沿線から離れたのはアメリカ留学時のみ。その為小田急線には深い思い入れがありますが、小田急と言えばやはり「ロマンスカー」でしょう。昨年の開通80周年を記念に、昔のロマンスカーの塗装が復活しましたが、もう直ぐ元通りに塗り替えられる様です。上の写真は復活塗装編成が小田原駅から箱根登山線へ上がっていくところ(小田原駅、2008.4)、下の写真は新塗装編成です(新百合ヶ丘、2008.5)。皆さん、どっちがカッコいいと思いますか~?。

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大宮に2007年の鉄道記念日(10月14日)にオープンした鉄道博物館には、オープン11日後に行ってきました。木曜の休診日に朝から行ったので比較的空いてはいましたが、運転シミュレーターなどの人気のコーナーに、子供に混じってオヤジの私が並ぶのはチョッと憚られました。1975年に北海道室蘭本線で出会ったC57135(下の写真)にも再会し、感激でした。子供はもちろん鉄道に興味の無い大人でも十分に楽しめますよ~。

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帰りがけに大宮駅7番線ホームの様子があやしいことに気付いた。駅員、公安官が多数いてホームにロープが張られ、乗車位置と思われる位置に案内役のお姉さんが立っている・・・。そこへ入線してきたのは完成間もないJR東日本のE655系でした。この車両は専門誌によれば「訪日観光を含めた国内旅行の新たな需要創造を目指し、今までにない高級感を持った『ハイグレード車両』と「天皇皇后両陛下、皇族方、国賓の公務や行事でのご利用に対する『特別車両』からなり、いわゆる「お召し列車」に使用する車両。ご招待の試乗客も偉そうな方たちばかりでした。ピカピカの大きな窓から覗くと革張りのシートや柔らかそうなソファーが見えました。

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皆さん何時の間にか東京駅や新宿駅で見かけたオレンジの電車(201系通勤型電車)が無くなっていることに気づいてますか?。昨年の夏の猛暑の日曜日、相模湖の先の鳥沢鉄橋に写真を撮りに行きました。余りの暑さでヘロヘロになり、早々に退散しましたが、国鉄型車両が次々に消えていくのは寂しいものです(・・・大多数の人にとっては新車の方が快適ですよネ~)。

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