5月15日月曜日。雨のち曇り。朝は15℃、日中は18℃。朝から結構な降りでした。気温も低めで肌寒い一日でした。
週明けのクリニックは午前中はそれなりに混雑気味でしたが、午後からは平穏。カゼ症状が長引いている方がいらっしゃいます。寒暖差にお気を付け下さいませ~。
さて今日はゴールデンウィークの続き。5月4日は大洲に泊まり、翌日5月5日は曇り時々雨の生憎の天気でした。旅先の常として早朝に覚醒。散歩がてら伊予大洲の駅へ。
ここはJR四国の予讃線の駅。
昔からの木造の駅舎や跨線橋が大切に使われていました。
ここには昭和57年8月に宇和島から来て降り立ち、翌日松山に向けて乗車しているはずですが・・・。
全く記憶にございません・・・。むしろ新鮮で困惑!?。
国鉄時代には似たような駅が全国に多数ありましたからね~。
当時は予讃線の内子経由の短絡線は開通しておらず、伊予長浜経由の海岸沿いを松山へ向かったはず。内子経由の短絡ルートの開通は国鉄末期の昭和61年3月のこと。
さて時刻表を見ると6時02分発の伊予長浜経由松山行き、その後6時10分発の内子経由の特急「宇和海」松山行きが来る様です。ホームには長浜経由伊予市行きの表示を出したキハ54が停車中。
おそらく当駅始発の6時52分発の列車になるのでしょう。
跨線橋上で列車を待ち構えていると・・・。
大洲城をバックにキハ54の2輌編成の普通列車がやって来ました。
休日の朝のこととてお客は部活の高校生たちが主役。
乗車せずにホームのベンチで待っている“大人”たちは後続の特急で松山へ急ぐ人たちでしょう。
その後、後続のN2000系ディーゼル3輌編成の特急「宇和海」がやって来ました。
N2000系は最高速度130km/hのハイパワーのディーゼルカー。
四国山地を越えるために急カーブに強い振子式で、1995年から1998年にかけて16両が製造されました。もう登場から四半世紀を過ぎますが、まだ斬新に見えます。
ホームに残っていた人たち全員が車内に吸い込まれて、短時間のうちに慌ただしく発車して行きました。
特急「宇和海」を見送ってから今度は大洲城へ。
城内から見下ろすと眼下に肱川にかかる鉄橋が見えました。
♬ 城跡から見下ろせば蒼く細い川~♬・・・なんて口ずさみながら、伊予大洲6時34分の内子経由松山行き普通列車をキャッチ。
キハ54+キハ32×2の3輌編成が渡って行きました。
チョット長くなって来たので続きはまた後日に~。
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