医療法人 恒和会 宗内科・循環器科:神奈川県大和市鶴間にある循環器専門医による内科、循環器科クリニック tel:046-293-7774 fax:046-262-4445 E-mail: naika@yamatoclinicmall.com

予約はこちら!!

新型コロナウイルスに関する最新の情報はこちらをご参照ください

宗内科・循環器科 ホーム > 院長ブログ

過去の旅行記の最近のブログ記事

5月30日火曜日。雨のち曇り。朝は19℃、日中は24℃。湿度が高くてジメジメと蒸し暑い一日になりました。

今日のクリニックは朝から混雑。昨日は雨で出控えていた方々が今日は出て来られた様です。“月末までに・・・”なんて方も多かったようで、午後になっても混雑が続きました。

さて今日は5月5日の続きを・・・。

伊予大洲から内子へ移動。内子駅は新幹線かと見紛う程立派な高架駅で駅舎は高架下にありました。

IMG_2196 

かつて内子線は予讃線の五郎駅から分岐して内子駅に至る盲腸線でしたが、1985年に向井原駅から内子駅までの予讃線支線区間が開通してからは、予讃線の短絡ルートに組み込まれて特急列車が行き交う路線となりました。伊予大洲駅のホームに掲げられていた路線図をご参照下さい(再掲)。

IMG_2106 

駅前ロータリーの真ん中には、かつて盲腸線だった時代に使われていたC12形蒸気機関車が鎮座していました。

IMG_2198 

C12形蒸気機関車は簡易線向けに作られた軸重が軽くて運転コストが安い小型機関車。かつての内子線のような距離の短い盲腸線にはピッタリ。

IMG_2200 

製造は昭和7年(1932年)から昭和15年(1940年)までと、戦後の昭和22年(1947年)に鉄道省(国鉄)向けが282両、鉄道省以外に納入されて後に鉄道省に引き継がれたものが11両、計293両製造されています。

IMG_2199 

石炭や水を積み込む炭水車(テンダー)は付いていないタンク式機関車。水は両サイドのタンクに抱え、石炭は運転台後部に背負っています。

IMG_2201 

炭水車の付いているテンダー式機関車に比べると積める水も石炭も少ないので、補給無しに遠距離を走ることは出来ません。でもその分小回りが利いて軽量。運転席から後方の視界も良好です。

IMG_2202 

この231号機の履歴を辿ると、名古屋の日本車両で1939年9月21日に誕生。仙台、小牛田、長町、会津若松、福島など、主に東北南部で活躍の後、1969年7月12日付で宇和島へ転属となっています。

IMG_2203 

その後、内子線で活躍した様ですが、四国の輸送近代化は全国の中でも早くて1970年(昭和45年)3月限りで蒸気機関車は全廃されています。最後まで残ったのが牟岐線、鳴門線、そして内子線だったのでした。

IMG_2204 

従って活躍期間は短くて1970年(昭和45年)3月で引退。四国での活躍は僅か8か月程度だったようです。帳簿上は1970年5月28日付で廃車になっています。

IMG_2205 

内子線最後の蒸気機関車ではありますが、無煙化直前のショートリリーフだったようで・・・。

さて内子の街へ向かいますが、続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月19日金曜日。曇りのち雨。朝は21℃、日中は23℃。朝は気温が高めでしたが日中は上がらず。夕方になって20℃を下回って寒くなりました。

今日のクリニックは午前中はそれなりの混雑でしたが、天候が悪化するにつれて患者さんの出足が鈍って午後からは平穏でした。気温差が余りにも大きくて、週末に向けてカゼの方が増えそうで心配です。

さて今日はゴールデンウィークの続き。5月5日は伊予大洲駅と大洲城を巡る早朝の散歩から一旦戻って7時半から朝食。食後は臥龍山荘へ。臥龍山荘は元は大洲藩歴代藩主の遊賞地でしたが、明治以降は補修されることもなく自然荒廃していたそうです。現在の山荘は、木蝋貿易で成功した豪商、河内寅次郎がこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造したもの。

門を入ると特徴的な石積み。「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化を持たせた石積みの中に生きた「チシャの木」。

IMG_2164 

手前の母屋の建物が臥龍院(がりゅういん)。

IMG_2165 

構想10年、工期4年、屋根は茅葺、農村風寄棟の平屋建て。

IMG_2168  IMG_2169 

全国各地より吟味した銘木が使用されているそうです。

IMG_2171 

IMG_2172 

隅々にまで計算し尽くされた設計。

IMG_2170 IMG_2173 

IMG_2174 IMG_2175 

一番奥には不老庵。

IMG_2178 

こちらは崖っぷちに船に見立てた作り。

IMG_2179 

IMG_2181 

天井は竹網代一枚張りを船底の形に。

IMG_2182 

IMG_2190 

眼下には肱川の名勝、臥龍淵が見下ろせますが・・・。

IMG_2180 IMG_2191 

高所恐怖症の私にはチョッと怖いかも!?。

IMG_2192 IMG_2193 

さて、そろそろ大洲を後に次の目的地へ向かわねば・・・。

続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月17日水曜日。晴れ。朝は15℃、日中は28℃。昨日は急に気温が上昇して暑くなりましたが、今日はそれを上回る気温になりました。最高気温は28℃。もはや夏です~。

今日のクリニックはやはり朝から混雑気味でした。「お暑うございます~」なんて挨拶を取り交わしながらの診療はまるで真夏です。今日もこの気候のせいか体調の優れない方が多め。この時期にしてはカゼ症状の方も少なくありませんでした。

さて今日は5月5日の続きを。早朝にまず伊予大洲駅を表敬訪問したのちに大洲城へ。市民会館脇から坂道を上がって行くと、ほんの5分ほどで天守が見えて来ました。2日前に見た松山城と比べてしまうと、随分とこじんまりした感じですが、元は鎌倉時代末期の守護、宇都宮豊房によって築城された由緒あるお城です。

IMG_2140 

その後、戦国時代から江戸時代初期に活躍した築城三名人の一人、藤堂高虎によって大規模に修築されました。

明治維新後も奇跡的に長い間天守は守られて来ましたが、残念ながら老朽化には抗えず明治21年に惜しくも解体されてしまいました。

IMG_2137 

現在の天守は平成16年に再建されたもの。解体されたのが明治時代だったため、写真や模型など、復元に必要な資料が豊富に残っており、当時の姿を正確に復元することが出来たのだそうです。その辺りは観光目的に安易に造られた鉄筋コンクリート造りの天守とは一線を画すところ。

IMG_2126 

本丸の標高はさほど高くはありませんが、周囲に高い山やビルが無いので眺めは良好。眼下に肱川の流れが良く見えます。

IMG_2127 

反対側には伊予大洲藩の政治と経済の中心地として繁栄した城下町が見下ろせます。この時点でまだ朝6時半。天守の入場は9時からなので、残念ながら登楼は諦めて一旦宿に帰ることに。

IMG_2129 

本丸から下る途中で大洲各地で見かけるロケ地の表示をまたもや発見。この辺りでは「男はつらいよ 寅次郎と殿様」(1977年公開)のロケが行われたそうです・・・残念、見たことありません。

IMG_2139 

現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されているそうです。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月15日月曜日。雨のち曇り。朝は15℃、日中は18℃。朝から結構な降りでした。気温も低めで肌寒い一日でした。

週明けのクリニックは午前中はそれなりに混雑気味でしたが、午後からは平穏。カゼ症状が長引いている方がいらっしゃいます。寒暖差にお気を付け下さいませ~。

さて今日はゴールデンウィークの続き。5月4日は大洲に泊まり、翌日5月5日は曇り時々雨の生憎の天気でした。旅先の常として早朝に覚醒。散歩がてら伊予大洲の駅へ。

IMG_2124 

ここはJR四国の予讃線の駅。

IMG_2089 

昔からの木造の駅舎や跨線橋が大切に使われていました。

IMG_2090 IMG_2091 IMG_2093 

ここには昭和57年8月に宇和島から来て降り立ち、翌日松山に向けて乗車しているはずですが・・・。

IMG_2108 

全く記憶にございません・・・。むしろ新鮮で困惑!?。

IMG_2104 

国鉄時代には似たような駅が全国に多数ありましたからね~。

IMG_2103 IMG_2109 

当時は予讃線の内子経由の短絡線は開通しておらず、伊予長浜経由の海岸沿いを松山へ向かったはず。内子経由の短絡ルートの開通は国鉄末期の昭和61年3月のこと。

IMG_2106 

さて時刻表を見ると6時02分発の伊予長浜経由松山行き、その後6時10分発の内子経由の特急「宇和海」松山行きが来る様です。ホームには長浜経由伊予市行きの表示を出したキハ54が停車中。

IMG_2102 

IMG_2105 

おそらく当駅始発の6時52分発の列車になるのでしょう。

跨線橋上で列車を待ち構えていると・・・。

IMG_2095 

大洲城をバックにキハ54の2輌編成の普通列車がやって来ました。

IMG_2096 

休日の朝のこととてお客は部活の高校生たちが主役。

IMG_2098 

乗車せずにホームのベンチで待っている“大人”たちは後続の特急で松山へ急ぐ人たちでしょう。

IMG_2101 

その後、後続のN2000系ディーゼル3輌編成の特急「宇和海」がやって来ました。

IMG_2114 

N2000系は最高速度130km/hのハイパワーのディーゼルカー。

IMG_2116 

四国山地を越えるために急カーブに強い振子式で、1995年から1998年にかけて16両が製造されました。もう登場から四半世紀を過ぎますが、まだ斬新に見えます。

IMG_2121 

ホームに残っていた人たち全員が車内に吸い込まれて、短時間のうちに慌ただしく発車して行きました。

IMG_2122 

特急「宇和海」を見送ってから今度は大洲城へ。

城内から見下ろすと眼下に肱川にかかる鉄橋が見えました。

♬ 城跡から見下ろせば蒼く細い川~♬・・・なんて口ずさみながら、伊予大洲6時34分の内子経由松山行き普通列車をキャッチ。

IMG_2132 

キハ54+キハ32×2の3輌編成が渡って行きました。

IMG_2134 

チョット長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月14日日曜日。曇り時々雨。朝は15℃、日中は19℃。折角の日曜日なのにグズついた天気。

こんなどんよりした日は自宅に居るとダラダラしてしまいそうなので、早朝に起きて思い切って岐阜まで(!?)行って来ました。目的は長年行ってみたいと思っていた名和昆虫博物館。名和昆虫博物館は大正8年に開館した日本で最も古い昆虫専門の博物館です。初代館長の昆虫学者、名和靖はギフチョウの命名者として有名。

朝8時48分東京駅発の「のぞみ63号」で名古屋着10時25分。名古屋発10時35分の東海道線に乗り換えて岐阜には11時02分着。意外に近い!?。

IMG_2428 

岐阜は今まで通過するばかりで下車するのは初めてかも!?。駅前には金ピカの織田信長像が。

IMG_2577 IMG_2554 

名和昆虫博物館は金華山のふもと、岐阜公園内の歴史博物館に隣接していました。

IMG_2550 

IMG_2549 

IMG_2548 

記念昆虫館は標本収蔵庫として明治40年竣工の岐阜市重要文化財。

IMG_2540 

その奥に名和昆虫博物館の建物。こちらは大正8年竣工、同年開館の登録有形文化財です。

IMG_2429 

入場料は一般600円。意外にも雨にも拘らず親子連れで賑わっていました。

IMG_2536 

1階はカブトムシ、クワガタ、チョウ、トンボなど多岐に亘る夥しい数の収蔵品を展示。

IMG_2511 

IMG_2525 

一般の人に興味を持ってもらうように展示に工夫が凝らされています。

IMG_2437 

クワガタやカブトムシの仲間は生きた個体の展示も。

IMG_2440 IMG_2439 

IMG_2447 

奥には岐阜ゆかりのギフチョウの特設コーナーがありました。

IMG_2457 IMG_2451 

IMG_2453 

2階はクイズに回答しながら展示を巡るコーナー。

IMG_2508 

IMG_2476 

子どもだけでなく大人も嬉々としてクイズに挑戦していました。

IMG_2506 

IMG_2490 

突き当りの壁面を覆うモルフォチョウの展示が圧巻。

IMG_2487 

標本や採取道具、標本作製用具などの購入も可能。下の写真は全てお土産として買える標本。

IMG_2434 

値段はピンからキリまで。大きいとか綺麗とかはあまり値段に関係なく、やはり手に入りにくい希少種が高いマニアックな世界。

IMG_2535 

帰りに実物の虫が封入されたキーホルダーだけ購入して帰りました。

IMG_2593 

チョット好き嫌いがありそうなのでお土産品としては熟考を要すかも。意外にムシ嫌いの方も多いので・・・。

IMG_2578 

いや~、オジサンでも結構楽しめました。

もう少し近ければお勧めなんですけど・・・。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月12日金曜日。晴れ時々曇り。朝は12℃、日中は21℃。昨日午後からの雨は止みましたが、朝は気温が低くて寒いくらい。日中は気温はそれほど上がりませんでしたが湿度高めでした。

今日のクリニックは朝から混雑気味。やはり気温差が大きいためか体調の優れない方や長引くカゼ症状の方が多めでした。それでも受診者数が多かった割には偏りなく分散して受診して頂いたためか、待ち時間はそれほどでも無かったはず!?。

さて今日は5月4日の続きを。松山から大洲に入って一泊しましたが、大洲では「NIPPONIA HOTEL大洲城下町」でお世話になりました。ここは1ヵ所の建物では無く、城下町に点在する歴史的な建物をリノベーションして使用する分散型ホテル。点在する10棟28室の古民家を使用しています。

フロントは右の暖簾の奥。

IMG_2149 

フロントから数分歩いたこの建物が今宵の私たちの部屋です。右隣も別の部屋。

IMG_2080 

カギを開けて中へ入ると広い玄関。

IMG_2003 

庭に面した座敷。庭の一角には茶室も。

IMG_2002 

水回りは完全にリノベされていて快適。

IMG_2001 

2階に寝室。2階へ上がる階段も綺麗にリノベされていて、古民家にありがちな“何か出そう”な雰囲気は微塵もありません。

IMG_1998 

さて夕食は歩いて15分ほどの大洲城の近く。遠い部屋の方は車で送迎もしてくれます。

IMG_2125 

夕食時間になると街のあちらこちらから宿泊客が参集。

IMG_2141 

中はかなり広いスペース。

IMG_2036 

食事が終わって暗くなってから見た外観。暖色系の照明が綺麗。

IMG_2056 

見上げればライトアップされた天守が間近に見えました。

IMG_2058 

そして翌日の朝食会場はこちら。

IMG_2146 

こんな風に街のあちらこちらの古民家をリノベして有効活用。街歩きが好きな私のような人間には、フロントやラウンジ、食事会場が多少遠くても苦になりません。街にも活気が出て良い方法ですね。

そのうち他の街にも泊まってみたい~!。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月10日水曜日。晴れ。朝は11℃、日中は24℃。今日もスッキリ晴れて湿度は低め。こんな日が続くと良いですね〜。

今日のクリニックは混雑気味。カゼ症状の方が増えて来ました。昨今の気温差と連休疲れでしょうか。大和市特定健診・長寿健診は佳境を迎え、予約はかなり先まで埋まってしまいました。ご希望の方はお早めにご相談下さいませ。

午前診療中、11時21分に千葉県北西部を震源とする最大震度3の地震。大和市は震度2でした。

IMG_2380 

久しぶりの地震でしたが、最近の能登半島の情景が直ぐに浮かんでチョッと身構えました。

さて今日は5月4日の続きを。松山郊外のビーチでのんびりし過ぎて、しまなみ海道起点の今治に立ち寄るのは時間的に厳しくなって来たので、本日の宿泊地である大洲へ直接向かうことにしました。大洲は松山市南西部の人口38000人の旧城下町。「伊予の小京都」と呼ばれる静かな街です。

観光の中心は「おはなはん通り」。

IMG_2083 

ここは江戸時代の町割と家並が残されていて、北側の蔵並びは商家のもので、南側は武家屋敷だったそうです。

IMG_2084 

「おはなはん通り」の名前の由来は昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地だったからだそうです。

IMG_2086 

もう57年も前の放送ですから若い方には馴染みが無いかと・・・あれ、なぜか私はクッキリ覚えてるな~。テーマ音楽も口ずさめるかも!?。

IMG_2087 

“少し”だけ若い方には「東京ラブストーリー」のロケ地と言った方がインパクトがあるかも。でもこれすらも32年前の話。私自身は主題歌の小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」は知っているけれど、原作の漫画もドラマも全く知りません。

IMG_2088 

赤ポストの上にもロケ地の看板が。聖地巡礼する方には大切な情報でしょうが・・・。ただのポストです。

IMG_2150 IMG_2151 

一本脇の通りには、現在は使われていない(?)医院が集中。外科、内科、産婦人科が隣接していました。

IMG_2013 IMG_2015 

昭和版クリニックモールかな~?。

IMG_2016 

明らかな空き家も多くて朽ち果てそうなところも。地方都市では良く目にする光景かも。

IMG_2024 IMG_2022 

もちろん現役の住居や商店も少なくありません。

IMG_2032 

町の中心部から外れて肱川の河原へ。肱川は一級河川で昔から流域の産業を支えて来ましたが、暴れ川でもあって最近では2018年に大きな水害をもたらしています。遠くに大洲城の天守が見えました。

IMG_2028 

夏には鵜飼漁が行われ、岐阜の長良川、大分県日田市の三隈川と併せて三大鵜飼の一角をなしています。岸辺には鵜飼用(?)の木船が。

IMG_2031 

暗くなってからは更に渋い情景が。

IMG_2067 

人影が殆ど無くてチョッと寂しい感じ。

IMG_2066 

お城の天守閣はいつもライトアップされているそうです。

IMG_2058 

今宵は古民家に泊まります!。

続きはまた後日に。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月8日月曜日。雨のち晴れ。朝は11℃、日中は22℃。ゴールデンウィーク明け、月曜日の朝は激しい雨になりました。気温も低めで仕事や学校に行きたくなくなるシチュエーション!?。まだ休みの方もいらっしゃるようで朝の電車の混雑はまだ休み前に戻っていない感じでした。

今日のクリニック、午前中は雨にもかかわらず混雑気味でした。かぜ症状の方や血圧が高くなった方、めまい、動悸、息切れ・・・。中に海外で心筋梗塞を発症されて入院していた方も来院されてビックリ!。ご無事で何よりでした。それでも午後からは落ち着いて、診療終了はほぼ時間通りでした。

診療終了後は大和市地域医療センターへ。今宵は大和市医師会の会計監査。私、監事役で帳簿と通帳を突き合わせて確認作業。休み明けにはチョッと辛い仕事。帰り道は思いがけず気温が低くて震え上がりました。

さて今日は先日の松山行きの続きを。5月4日木曜日の松山地方は曇り時々晴れ。朝は15℃、日中は25℃。前夜は松山市内に投宿。早朝は雲がかかっていましたが次第に晴れて来ました。まずは海を見ながらしまなみ海道の起点、今治まで行ってみることに。松山から国道196号線を走っていたら道の駅「風早の里 風和里」がありました。小休止兼ねてチョッと立ち寄ってみました。ふと国道の反対側を見ると美しい海岸が連なっているではありませんか!。どうやら長浜海岸というところらしいです。

IMG_1934 

波打ち際まで行ってみると波は静かで透明度は抜群!。

IMG_1941 

遠くにはタンカーの姿。対岸は広島県でしょうか。

IMG_1943 

強い日差しと美しい海。まるで南国のリゾート!?。

IMG_1954 

思わず靴を脱いで足を水に浸けてみたら・・・。

IMG_1963 

一気にリゾート気分は氷解。誰も水に入っていない理由が良く判りました。

IMG_1984 

さすがに海の街道、瀬戸内海。沖合にはひっきりなしに船舶が行き来しています。

IMG_1985 

IMG_1987 

海辺のカフェでのんびりランチ~!?。

IMG_1907 

窓から見る光景もやっぱり南国のリゾート地みたいなんだけどな~。

あれっ、チョッとのんびりし過ぎ!。この先のことを考えると時間的に行先変更かな!?。

続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月7日日曜日。雨。朝は21℃、日中は17℃。大型連休の最終日は日本列島に沿った前線の影響で全国的に悪天候になってしまいました。前線の通過で気温が朝よりも午後の方が低くなりました。

連休を海外で過ごした人たちの帰国は今日がピークだそうで、羽田も成田も大混雑のようです。

今日は終日雨でしたので、私はと言えば自宅に籠って雑用をこなしておりました。久しぶりに完全な安息日。連休明け、明日からの仕事に備えます!?。皆様もお疲れが出ませんように・・・。

さて今日は5月3日の続きを。先日愛媛に来るのは学生時代以来、実に40数年振りと書きましたが、その時は友人と2人で夏休みに四国一周を敢行したのでした。宇高連絡船で高松に入って香川、徳島、高知と四国を時計回りに巡り、最終段階で宇和島、大洲と泊まって道後温泉入り。ところが台風がヒタヒタと接近して来て四国上陸の公算が強くなって来ました。既に旅の終盤で日程的にも経済的にも厳しい状態。当時は船を使わずに本州に戻る手立ては有りませんでした(もちろん飛行機は想定外)ので、本州へ渡る船が欠航になる前に慌てて松山観光港から山口県の岩国へ船で逃げたのでした。そんな訳で愛媛県は満足に観光出来ずに今日に至っていました(因みにその時の台風は進路が北に逸れて四国直撃とはなりませんでしたが、何と避難先の岩国を直撃。しっかり2日間の足止めをくったのでした。)。

松山空港到着後、まずは市内へ。松山城ロープウェイ駅近くで腹ごしらえ。何気に目の前の「桜カフェ」に入って日替わりランチを頼んだら想定外のボリュームにびっくり。松山ではこれが常識??。

IMG_1756 

満腹状態で松山城に上がることに。松山城の本丸は標高132mの勝山の山頂。徒歩で30分とのことでしたがお腹が一杯過ぎて徒歩はチョッと無理。あとはロープウェイかリフトですが、ロープウェイは密になりそうなのでリフトを選択。

IMG_1757 

晴天で風が爽やかでしたのでやっぱりリフトが正解でした。リフトの終点から10分ほど歩いて天守へ向かいます。

IMG_1794 

天守は入場料520円。

IMG_1758 

松山城は全国で12カ所しか残っていない江戸時代以前から現存する12天守のひとつ。

IMG_1761 

下は本壇虎口前から天守を望んだところ。

IMG_1778 

加藤義明公が1602年から築城を開始。四半世紀をかけて完成。加藤氏は城の完成前に会津藩に転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新まで松平家の居城となりました。

IMG_1790 

天守に入るのに10分ほど並びましたが、ゴールデンウィーク中の観光地ではこれくらいなら良い方でしょう。左下が天守の入口。元の天守は1784年に落雷で焼失してしまい、今の天守は1854年の再建。

IMG_1780 

急な階段を上がると、最上階からは360度の眺望!。

IMG_1782 

海も見えます。

IMG_1783 

IMG_1786 

IMG_1787 

帰りもリフトでラクちんです~。

IMG_1808 

その後、あわよくば道後温泉にに入って・・・なんて考えていましたが、行ってみると道後温泉本館周辺は物凄い人出。さらに現在改修工事中で風情ある建屋は現代アートが描かれたテントに覆われていました。

結局入浴は諦めて早々に松山市郊外で投宿。のんびりすることに。

続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月6日土曜日。晴れのち曇り。朝から21℃、日中は26℃。当院は3連休が終わって普通の週末ですが、世の中はまだゴールデンウィーク。朝の電車は空いていました。この週末は天気が下り坂なので今さら遊びに行く人は少ないのかもしれません。

今日のクリニックは早い時間は少々混雑しましたが、その後は落ち着いて通常の土曜日よりもむしろ平穏でした。何よりです。

さて、私はこの3連休四国の愛媛まで出かけて来ました。愛媛は学生時代に友人と旅して以来、実に40数年ぶりです。

5月3日水曜日は晴れて朝は12℃、日中は23℃。ゴールデンウィーク後半初日は全国的に天気に恵まれて行楽日和になりました。早朝に自宅を出て羽田空港へ。途中の電車内も羽田空港も早朝のためかさほど混雑していませんでした。東京9時35分発のJAL433便で松山へ。松山便は小型のボーイング737-800で、久しぶりにバスで飛行機まで行って滑走路上からタラップを昇って搭乗する方式。

注)下の写真は搭乗機の窓から見た隣の同形式の飛行機です。

IMG_1705 

ゴールデンウィークでもほぼ時間通りに離陸。素晴らしい!。急上昇して旋回すると眼下には横浜みなとみらいが見えて来ました。

IMG_1713 

そして大和の上空を通過!。中央下1/4あたりの緑が泉の森、中央やや左上の薄い緑は相模カンツリー倶楽部。当院も写っているはずですが・・・。

IMG_1715 

緑がグンと濃くなると宮ケ瀬湖が見えて来ました。

IMG_1716 

まだ雪を纏っているのは南アルプスの山々でしょうか。

IMG_1717 

画面の上は日本海。はるか上空から見ると日本は狭いですね~。

IMG_1721 

薄雲に覆われた湖は琵琶湖。左下は琵琶湖大橋です。

IMG_1725 

やがて瀬戸内海上空を降下。下は尾道の東側。

IMG_1727 

向島と因島を結ぶ因島大橋。しまなみ街道の一部です。

IMG_1730

そして因島と生口島を結ぶ生口橋。

IMG_1731 

その後、しまなみ街道をはずれて西側へ。画面右から岡村島、中ノ島、平羅島、大崎下島。

IMG_1735 

IMG_1736 

手前から大崎下島、豊島、上蒲刈島。それぞれ橋が架けられています。

IMG_1739 

やがて松山の沖合の興居島。

IMG_1745 

ぐるっと回り込んで・・・。

IMG_1748 

航行する船がだんだんと大きくなると松山空港に無事着陸。

IMG_1751 

ほぼ定時の到着でした。松山空港ではゆるキャラの「みきゃん」がお出迎え。噂のみかんジュースが出てくる蛇口も到着ロビー出口にありました。もちろん有料です。

IMG_1754 IMG_1755 

さて今回は細かい予定は何も無し。何はともあれ、先ずはお城かな!?。

続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

5月1日月曜日。曇りのち晴れ。朝は16℃、日中は21℃。ゴールデンウィーク期間、狭間の仕事がある日に限って良い天気(チョッとひがみ根性が出ています!?)。

今日は“あくまで”平日ですが、朝の電車はとっても空いていました。乗っている方もリュックやスーツケースの方が多くて・・・。勤労意欲が削がれます。

当院はもちろん通常通りの診療日。開院以来20数年というもの連休の狭間で休んだことは有りませんが、「今日はやってますか?」という問い合わせを結構頂きます。もちろん「やってますよ~」。

今日のクリニックは午前中はそれなりに混雑しましたが、午後からは平穏でした。ゴールデンウィーク期間であっても特別なことはなく淡々と診療。明日も平穏であってくれればと願うばかりです。

さて昨日の続き。4月30日日曜日の朝、赤倉観光ホテルで目覚めると前夜からの雨は激しさを増していました。もちろんいつものように朝6時からの大浴場には朝一番で行き、朝食を済ませて雨が小康状態になるのを待ちましたが、雨だけではなく霧も深くなるばかり。

IMG_1625 

これでは合羽を着ても周辺の散策は無理。諦めてチェックアウトすることに。妙高高原駅は学生時代にスキーを担いで降り立って以来。かつてスキー列車が首都圏や中京圏から続々と到着していた頃の賑わいは全くありません。

IMG_1626 

妙高高原発10時52分のしなの鉄道で長野へ。車両は今や貴重な存在の国鉄型車両115系でした。

IMG_1627 

懐かしいボックス型シートはモケットこそ張り替えられていたものの昔のまま。揺れやモーター音も“国鉄型車両”そのものでした。

IMG_1630 IMG_1634 

長野駅には11時35分着。着く頃には雨は殆ど上がっていました。真っ直ぐ帰るのも勿体ないので久しぶりに善光寺詣りをすることに。「115系に引かれて善光寺詣り」・・・です。

まずは門前の蕎麦屋さんで腹ごしらえ。信州なので咄嗟に「更科蕎麦」にしてしまいましたが、どうも高級な更科蕎麦は上品すぎて苦手かも。自分には田舎蕎麦の方が合っているようです。

IMG_1670 IMG_1635 

食後はいよいよ善光寺の参道へ。まず見えて来たのが仁王門。

IMG_1638 

それをくぐると、うわっ、凄い人出!。

IMG_1640 

インバウンドの方々も帰って来て下さったようで・・・。見えて来たのは山門。

IMG_1645 

山門は1750年建立の国の重要文化財だそうです。

IMG_1647 

山門に掲げられている「鳩字の額」。三文字の中に鳩の姿が五羽隠されている!?。さらに「善」の字は牛の顔に見えるそうですが・・・。

IMG_1664 

ややっ、確かに・・・。

IMG_1664 

山門をくぐると大きな本堂が目の前に。

IMG_1651 

現在の本堂は1707年の再建で国宝です!。久しぶりの拝観でしたがやっぱり本堂は巨大!。

IMG_1657 IMG_1658 

本堂の裏手に回って見るとこちらは人影疎ら。緑が綺麗でした。

IMG_1653 

帰りにチョッと脇道を覗くとこちらはとっても静か。

IMG_1666 

少々疲れたので、途中で脇道に逸れて発見した蔵をリノベしたカフェで一休み。蔵の入り口は狭くて、太ると入れなくなるかも!?。

IMG_1685 

本格コーヒーとどら焼きで小休止。美味でした~。

 IMG_1686 IMG_1678 

参道の店々を冷やかしながら長野駅に戻ればもうタイムリミット。かつては仏閣駅舎が有名でしたが、長野新幹線開業と同時に現在の近代的な駅舎に様変わり。近代的過ぎてどうも・・・。

IMG_1690 

長野発15時42分の「あさま624号」に乗車すれば東京駅に17時20分着。

IMG_1692 

長野駅発車時はガラガラでしたが、軽井沢駅でドッと乗り込んで来てたちまち満席に。東京駅は例によってとんでもない混雑でした。

1泊2日のショートトリップはこれでおしまいです。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

4月30日日曜日。雨のち曇り。連休2日目は昨夜から今日の午前中にかけての前線通過のため全国的に悪天候となりました。

さて昨日の続き。高田世界館での映画鑑賞の後、高田駅から15時36分発の妙高はねうまラインの電車に乗車。

IMG_1501 (1) 

なぜか新幹線乗換駅の上越妙高で下車せず、雪の残る山々の姿を愛でながらこの列車の終点である妙高高原まで乗車しました!?。妙高高原には16時34分に到着。

IMG_1513 

実はチョッと欲が出て、直前に1泊することにしたのでした。幸運なことにゴールデンウィークなのに赤倉観光ホテルの予約が取れました。赤倉観光ホテルは1937年(昭和12年)創業の超老舗ホテル。

IMG_1532 

下は2階のフロントからロビー方向を眺めたところ。

IMG_1615 

ロビーには寒い季節には暖炉が灯るのでしょうか。クラシカルな雰囲気。

IMG_1612 

標高1000mに建つホテルのロビー正面からの眺望は広大。

IMG_1611 

遠くに小さく見える湖は・・・。

IMG_1522 

野尻湖です。天気が良ければもっと爽快なのにね~。

IMG_1524 

これから雨が降る予報だったので、夕食前に周辺を散策。

IMG_1533 

周囲はまだ雪が残っていて春が来たばかり。

IMG_1530 IMG_1536 IMG_1537 

夕食後は温泉に浸かって至福のひととき。

でもこれから大雨になる予報です~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

4月29日土曜日。晴れのち曇り。朝は16℃、日中は22℃。花粉は「少ない」。

ゴールデンウィーク初日。空港、高速道路、鉄道はコロナ禍前、あるいはそれ以上の混雑になったようです。先週まで「そんな中をわざわざ出かけなくてもね〜」なんて家人と話ししておりましたが、日が近付くにつれてそわそわして「やっぱり・・・」。土壇場で急遽出かけることにしました。何と優柔不断なことでしょう。

観光地で人混みに揉まれるのはイヤなので、以前2016年のこの時期に訪れた日本最古の映画館、高田世界館を再訪して、前回は館内の見学のみで実際に観る時間が無かった映画を観て来ることにしました。高田って?、そう新潟県上越市の高田です。観光地では無いのでたぶん混雑しないでしょう。

東京駅はさすがに大混雑でした。東京駅9時32分発の「はくたか557号」に乗車して上越妙高駅に11時23分着。

IMG_1431 

そこから11時37分発の妙高はねうまラインに乗り換えて高田駅11時43分着。

IMG_1436 IMG_1438 

以前の訪問時も連休中にもかかわらず人影少なくのんびりした雰囲気でしたが、今回も駅前も街中の商店街も閑散としてゴールデンウィークとは無縁の雰囲気でした。

IMG_1439 IMG_1440 

高田の街には雁木(がんぎ:積雪下でも通行出来るように町家の庇を長く張り出して下を通路としたもの)が多く残っていますが、駅から10分ほど歩いたところの雁木の下に高田世界館の看板が見えて来ました。

IMG_1484 IMG_1442 

奥を覗くと突き当りに入口。大人1700円ですが、私は60歳以上のシニアで1200円でした。館内見学のみは500円。

IMG_1449 IMG_1455 

高田世界館は1911年(明治44年)に芝居小屋「高田座」として開業。その5年後の1916年(大正5年)には「世界館」と改称されて常設映画館となったそうです。外観はモダンな洋風建築です。

IMG_1452 

朝一番の10時からの上映が終わって次の上映が始まるまでの20分間に館内を見学。ロビー中央の小豆色の扉が入口です。遮音性は低いので上映中は静粛に~。

IMG_1445 

扉を開けて中へ入ると・・・。

IMG_1482 

天井の高いレトロな空間が広がります。

IMG_1481 

見上げるとアール・デコ調のニス塗りの天井。

IMG_1459 

中央には1741~1871年に越後高田藩を治めた榊原氏の家紋が掲げられています。

IMG_1456 

ロビーの両脇にある急な階段から2階へ。2階席があるのは元々が芝居小屋だったからだそうです。2階席の椅子は大正時代のものを張り替えたもの。

IMG_1483 IMG_1474 

1階は140席、2階は41席。

IMG_1469 

2階中央部の小部屋が映写室。中には35mm上映用の映写機が2台。

IMG_1465 

さて今日は13時からの「ニューシネマパラダイス」を観て来ました。映画のストーリーも映画館の栄枯盛衰と映画好きの少年の人生を重ね合わせた物語で、ここで観るのに相応しい映画でした。

IMG_1446 

終了後は3時過ぎに高田駅へ戻って・・・。

IMG_1485 

15時36分発の妙高はねうまラインで上越妙高・・・では何故か下車せずに妙高高原まで乗車。

IMG_1489 IMG_1494 

あれっ!?。続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

4月18日火曜日。曇り。朝は9℃、日中は18℃。花粉は「やや多い」。

今日のクリニックはとっても平穏でした。特に午後からは予約外で受診される方が少なくて、最近に無くゆったり診療出来ました。皆さんこんな日に来て頂ければ良いのですが、開院から22年も経つのに未だに混雑する日としない日の予測は困難です。

さてちょうど1か月前の3月18日には多くの鉄道会社でダイヤ改正が実施されました。2月に白川郷へ行った際に乗車したJR東海の特急「ひだ」も旧来のキハ85系が全面撤退して新しいHC85系に全て置き換えられているはず。ちょっとネタが古くなってしまいましたが、2月の白川郷行の際に新旧両者を乗り比べて来ましたのでその際のレポートを。

まず行きに乗車した特急「ひだ3号」は真新しいHC85系。

IMG_9451 

製造から30年以上が経過して老朽化したキハ85系の置き換え用として2022年7月1日に特急「ひだ」でデビューしたばかりで、まだピカピカです。

IMG_9483 

HC85系はJR東海では初めてのハイブリッド気動車。エンジンで発電した電力と蓄電池の電力とを組み合わせてモーターを回し走行します。「HC」は“Hybrid Car”の意味。ハイブリッド方式の鉄道車両としては国内初の最高速度120km/hの営業運転を実現しています。

IMG_9455 

電車なのか気動車なのか微妙な車両ですが、記号には気動車の「キ」ではなく電車と同じ「モ」が使用されています。

IMG_9453 

床下機器はとても電車「モ」とは思えない構造物が・・・。

IMG_9489 

車内の案内表示器には、その時の動作状況が表示されています。客用ドア開扉時にエンジンを停止するアイドリングストップ機構が搭載されています。

IMG_9464 IMG_9466 

まるでプリウスみたい!?。

IMG_9468 IMG_9465 

乗り心地は旧来のディーゼル特急とは比べ物にならないくらい快適でしたが、やはり多少のエンジンの騒音と振動は避けられないため、電車ほどの静粛性は期待出来ません。

IMG_9488 IMG_9484 

編成はグリーン車の有無による2種類の4両編成と2両編成の組み合わせ。昨年12月からは富山行にも充当され、今年7月には特急「南紀」にも充当される予定。

IMG_9497 IMG_9495 

高山駅では西側の側線に引退間近の先輩格キハ85系の姿が・・・。

IMG_9480 

さて2月12日の帰りに高山から名古屋まで乗車した特急「ひだ12号」は旧来からのキハ85系。

IMG_9736 

キハ85系は老朽化したキハ82系気動車の置き換えおよび所要時間短縮のために開発されて、1989年2月18日から特急「ひだ」で営業運転を開始した車両。

IMG_9487 IMG_9486 

車両軽量化とメンテナンスフリーのため、車体はステンレス鋼を用いた軽量構体で、先頭車は実用的な貫通型とスタイリッシュな非貫通型の2種類。1989年のグッドデザイン賞を受賞しています。

IMG_9493 IMG_9494 

当時としては珍しく小型で高出力のアメリカのカミンズ社製輸入ディーゼルエンジンが採用されました。

IMG_9498 IMG_9739 

ハイブリッドのHC85系と違ってこちらは生粋のディーゼル特急ですので、エンジンの騒音と振動はそれなりに満喫出来ます。

IMG_9741 

私の中ではまだまだ「新車」でしたが、いつのまにかデビューから34年も経っていたとは・・・。

新旧交代も止むなしですね~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

4月10日月曜日。晴れ。朝は7℃、日中は20℃。花粉は「非常に多い」。今日は高気圧に覆われて終日晴れ。朝はひんやりしましたが日中は暖かい一日になりました。

今日のクリニックは比較的平穏でした。そんな中、今日も大病院からの紹介患者さんが。先月後半から大病院からの紹介状を持って受診される新患の方が多くなりました。年度替わりを機に担当医が移動になることが多いからかも知れません。

一方、独居が難しくなって遠方の生まれ故郷からお子さんや親族を頼って当地に転居して来られるご高齢の方もチラホラ。生まれ故郷が良いに決まっていても独居を貫くことは今の時代なかなか困難です。稀に定年を機に生まれ故郷に戻る方も少数ながらいらっしゃいます。いずれにせよ私自身は粛々と紹介状書きと紹介状のお返事書きに励む今日この頃です。

さて今日は昨日の続きを。昨日は朝食後に長靴を拝借してウォーキングに出ました。写真は築150年のレセプション棟。

IMG_0973 

雪は止んでいましたが外は凍えるような真冬の寒さ。でも雲の流れは速くて天気は回復に向かっているようです。

IMG_0951 

暖かい日が続いて身体が緩んでいたせいか、風が吹くと震え上がります。

IMG_0956 

こんなに寒いのに田んぼの周囲ではカエルが鳴いていました。一旦冬眠から覚めたので、寝直す訳にもいかないのでしょうか!?。

IMG_0971 

少しずつ青空が見えて来て、山も明るくなって来ました。

IMG_0972 

遠くから斜面が黄色く見えたので近付いてみたら・・・。

IMG_0959 

花を咲かせたフキノトウでした。

IMG_0962 

こちらはレンギョウ。大和では3月上旬には既に咲いていましたが、こちらではまだ蕾。

IMG_0976 

あちらこちらで雪解け水が大量に。

IMG_0977 IMG_0983 

湿った斜面に咲く可憐な花はショウジョウバカマ。

IMG_0987 

こちらはスミレの仲間でしょうか?。

IMG_0990 

これはサクラの仲間でしょう。

IMG_0992

う~ん、サンシュユ?。

IMG_0993

ヒメカイウ?。まさかミズバショウ??。だんだん植物の名前が怪しくなって来ました。

IMG_0994 

寒さに打ち震えながらしばらく頑張って周辺を散策しましたが、ついに寒さに耐えられなくなって屋内に避難。薪ストーブがありがたい~。

IMG_0996 

さて11時にチェックアウトして大沢駅に着く頃には晴れて暖かくなって来ました。大沢駅は無人駅です。

IMG_1005 

いつも帰り際に晴れるのは日頃の行いが余程悪いのでしょうか。

IMG_0997 IMG_1011 

ホームからの眺めは絶景です。

IMG_1020 

11時42分大沢発水上行きのローカル列車に乗って2つ先の越後湯沢まで。

IMG_1024 

12時11分発の「とき318号」に乗り継げば13時28分には東京駅に到着。意外に近いです。

東京駅の雑踏に戻って来るといつも現実に引き戻されます・・・。

さあ、また元気に働こう!?。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

4月9日日曜日。南魚沼市は雪のち晴れ。朝は2℃、日中は11℃。花粉は「少ない」。

昨夜は南魚沼市大沢山温泉の「里山十帖」に投宿。旅先の常としてどうしても早朝に覚醒してしまうのは年齢のせいでしょうか。

明るくなって来た窓外を眺むれば、何と季節はずれの雪。

IMG_0914 

一夜にして銀世界に豹変していました!。

IMG_0930 

折角開花した桜にも雪が。

IMG_0902 

これはやはり露天風呂に行くしかないでしょう。さすが朝5時過ぎなので誰も居ません!。

IMG_0898 

でも一旦お湯に浸かると寒くて出るには相当の勇気が要ります~。

IMG_0940 

何とか意を決して温泉から出ましたが、朝7時30分からの朝食まではまだだいぶ時間があります。

IMG_0904 IMG_0906 

でもこちらの宿にはコーヒーを飲みながら寛げる場所が複数あるので苦になりません。

IMG_0922 IMG_0923 

レセプション棟は築150年だそうです。

IMG_0925 IMG_0926 

実は部屋のベランダにも露天風呂があるのですが、チョッと寒くてへこたれました・・・。

IMG_0932 

朝食は地元の食材を活かした健康的なもの。

IMG_0943 

おっ、食事中に雪が止んだようです。よし、食後のウォーキングに出よう!。

・・・でもチョッと長くなったので続きはまた後日に。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて4月8日土曜日の続き。

診療終了後はそのまま東京駅へ向かいました。東京駅に着く頃は一時的に激しい雨。16時40分東京発の「とき333号」には悠々と間に合いました。

IMG_0841 

今回の目的地、越後湯沢には17時56分着。今宵は上越線大沢駅近くの新潟県南魚沼市の大沢山温泉「里山十帖」に投宿する予定。

日没後でしたがまだ何とか明るさが残る時間に宿に到着。自室の窓からは雪の残る山々が遠くに見えました。

IMG_0848 

まずはともかく温泉に。ほとんどの人が夕食中の時間なので誰もいません!。

IMG_0852 

温泉から上がって少々遅めの夕食に。ちょうど今は山菜が旬を迎えた時期。

IMG_0859 IMG_0861 IMG_0865 

午前中雨が降っていたのであまり採れなかったと仰っていましたが・・・。

IMG_0867 IMG_0869 IMG_0873 

見たこともない山菜と趣向を凝らした料理を堪能させて頂きました。

IMG_0875 IMG_0878 IMG_0881 

ふと外を見ると雪が舞っているではありませんか!。それでも再度温泉に浸かってから就寝。続く~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

3月20日金曜日。晴れ。朝は9℃、日中は19℃。昨日は奈良に宿泊。今日は近鉄奈良から大和西大寺で乗り継いで橿原神宮前へ。

DSC00551 (2) DSC00565 (2)

そこからまずは石舞台へ。石舞台は7世紀後半に築かれた方墳で、巨大な横穴式石室がむき出しになっています。

DSC00583 (2) 

蘇我馬子の墓という説が有力とか。

DSC00582 

そこから舗装道路を登って岡寺へ。

DSC00597 (2) 

本堂には日本最大の塑像、本尊如意輪観音坐像が祀られていました。

DSC00592 (2) 

そこから山道を下って30分ほど歩き小高い丘を上がると林間に酒船石。用途は不明。

DSC00611 (2) 

そこから5分ほど下ると亀形石造物。こちらは平成12年の発掘調査で発見されたそうです。

DSC00616 (2) 

のどかな田舎道をしばらく行くと・・・。

DSC00620 (2) 

蘇我馬子の発願により建立が始まり596年に完成した日本最古の寺、飛鳥寺に到着。現在の本堂は江戸時代の再建。

DSC00630 (2) 

でもご本尊は609年止利仏師作の日本最古の銅造釈迦如来坐像。

DSC00622 (2) 

その脇には室町時代の16歳の聖徳太子像。

DSC00626 (2) 

近くには蘇我入鹿の首塚。

DSC00638 (2) DSC00632 (2)

このあたりで時間切れ。橿原神宮前駅まで戻って近鉄奈良駅へ。さらにJR奈良線で京都へ。いまだに103系は健在でした。

DSC00651 (2) DSC00659 (2) 

DSC00667 (2) 

帰りの新幹線からも見事な富士山の麗姿が望めました。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

3月19日木曜日。晴れのち曇り。朝は8℃、日中は21℃。今日は休診日。天気が良かったので新横浜8時29分発の「のぞみ15号」に乗車。

DSC00304 (2) 

京都から奈良線で奈良へ。そこから桜井線に乗り換えて三輪へ。

DSC00332 (2) DSC00340 (2)

三輪駅には12時02分着。

DSC00346 (2) DSC00348 (2) 

まずは腹ごしらえ。三輪と言えばやはり素麺でしょう。大神(おおみわ)神社近くの“森正”さんで“にうめん”と“むかご”の塩ゆでを。

DSC00352 (2) DSC00350 (2)

ランチ後、まずは日本最古の神社である大神神社に参拝。

DSC00358 (2) 

DSC00359 (2)

拝殿は徳川家綱による再建。

DSC00364 (2) 

ここから古事記や日本書紀にも記されている古道“山の辺の道”を辿ります。まずは狭井(さい)神社へ。拝殿の裏には三輪山から湧き出る神水を拝受する“薬井戸”がありました。

DSC00375 (2) 

玄賓庵(げんぴあん)は平安時代の高僧、玄賓僧都が隠棲した庵の跡地に建つ寺。

DSC00386 (2) 

境内では置物かと思ったら・・・!(苦手な方は決してポップアップしないで下さいませ~)。

DSC00388 (2) DSC00389 (2) 

道中はのどかな田舎道。しばし浮世の雑事を忘れさせてくれます。

DSC00382 (2) 

DSC00392 (2) 

玄賓庵から5分ほどで檜原(ひばら)神社。

DSC00393 (2) 

ここからは正面に二上山が望めます。

DSC00396 

そこからしばらくは山裾に沿ったコース。

DSC00399 (2) 

暑くも寒くもない麗らかな日和になりました。

DSC00402 (2) 

DSC00403 (2) 

木々の花々が春の到来を告げています。

DSC00407 (2) 

DSC00413 (2) 

DSC00414 (2) DSC00412 (2) 

相撲(すもう)神社は垂仁天皇の前で日本最初の天覧相撲が行われた地だそうです。

DSC00419 (2) 

DSC00423 (2) 

集落を抜けて田園風景の中を辿ると・・・。

DSC00430 (2) 

やがて全長約300mの前方後円墳が見えて来ました。

DSC00425 (2) 

日本武尊の父である第12代景行天皇陵です。

DSC00433 (2) 

さらに全長約240mの第10代崇神天皇陵が見えて来ました。

DSC00436 (2) 

後円はなんとなく判りますが、前方は上空から見ないとはっきり判りませんね~。

DSC00438 (2) 

この辺りですでに日が傾いて来ました。

DSC00437 (2) 

ここから柳本駅へ。普段の運動不足が祟って結構疲れましたが、仕事と違って(!?)心地よい疲労感。

DSC00442 (2) 

17時08分発の桜井線で奈良駅へ。

DSC00446 (2) DSC00448 (2) 

奈良駅には17時29分着。駅周辺はインバウンドの方々が激減して閑散とした感じでした。

明日は春分の日でもう1日お休み。今宵は奈良で泊まります~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

2月24日月曜日。晴れ。昨日石垣島入り。2日目の今日も朝から晴天で最高気温は26℃まで上がる予報でした。普段の“行い”の良さがこういう時に出ます!?。

DSC00093 (2) 

全国紙の1面は新型コロナウイルスの記事で占められていましたが、八重山日報と八重山毎日新聞の1面は両紙とも黒島牛まつりの記事がトップ。いや~、久しぶりにホッとする紙面。本土とは違う時間が流れている様でした。

DSC00084 (2) DSC00087 (2) 

さて今日も早朝から活動開始。まずは昨日と同じく於茂登岳山麓の嵩田農道へ。

DSC00095 (2) 

今日最初に出会ったのはクロアゲハ。

P2245804 (2) 

下はだいぶ翅が傷んだボロボロの個体。

P2245813 (2) 

スジグロカバマダラは岩の上で日なたぼっこ。

P2245806 (2) 

まだ気温が低いのでチョウたちの動きも鈍い感じでした。

P2245817 (2) 

あちこちでヒラヒラ飛んでいるのは一見チョウに見えますが、キオビエダシャクという南西諸島に多いガの一種。温暖化で九州南部まで生息域を拡大させているそうで、時に大発生して庭木に用いられるイヌマキを枯らすことがあるそうです。

P2245810 (2) 

昨日に引き続きマダラチョウ科のチョウたちは活発に飛んでいました。まずは迷チョウのヒメアサギマダラ。

P2245925 (2)  

P2245830 (2) P2245834 (2) 

下はリュウキュウアサギマダラです。

P2245931 (2) 

そしてアサギマダラも。

P2245932 (2) 

気温が上がって来るとクロアゲハも活発に飛び回るようになりました。

P2245896 (2) 

P2245902 (2) 

下はタイワンキチョウ。

P2245908 (2) 

日本では八重山諸島のみに分布。茶褐色の斑紋は低温期型のしるし。

P2245917 (2) 

今度は場所を変えて於茂登トンネルの東側の底原ダム周辺へ。下はナミエシロチョウのメス。

P2245977 (2) 

意外に機敏で撮影し難い種類です。

P2245970 (2) P2245974 (2) 

下はナミエシロチョウのオスです。

P2246088 (2) 

樹林の縁をゆるゆると飛んでいるのはクロテンシロチョウ。かつては国内には生息していなかったのに1988年以降に与那国島で定着し、その後八重山諸島各地でも継続発生しているそうです。飛び方はゆるゆるですがなかなか止まってくれないし、翅を閉じてとまるのでシンボルの“黒点”が見えません。

P2245985 (2) 

花粉にまみれたヤエヤマカラスアゲハが花から花へ。

P2246037 (2) 

梢を見上げると、コノハチョウがテリトリーを張っていました。

P2245978 (2) 

なかなか下に降りて来てくれません。

P2245993 (2) 

P2245994 (2) P2245997 (2) 

P2246029 (2) 

やっと翅を開いたところが撮れましたが、残念ながら後翅が欠けた個体でした。

P2246032 (2) 

そうこうしているうちに時間切れ。レンタカーを返却して石垣空港へ。帰りの14時30分の那覇便は日本トランスオーシャン航空(JTA)が沖縄美ら海水族館とタイアップして機体にジンベエザメを描いた特別塗装機「さくらジンベエ」(ボーイング737-400)でした。

DSC00098 (2) 

DSC00105 (2) 

地上を走るカートもジンベイ塗装。

DSC00108 (2) 

離陸すると眼下に白保の海。

DSC00118 (2) 

那覇で乗り継いで真冬の羽田には18時40分着。慌ててダウンを着込んで電車に乗れば、いつもの見慣れた日常の光景が・・・。嗚呼~!。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

2月23日日曜日。今日は天皇誕生日で明日月曜日も振替休日のため連休です。そこですかさず羽田6時35分発の日本トランスオーシャン航空JTA71便で石垣島へ!。

DSC00067 (2) 

定刻10時15分より若干遅れて石垣空港に到着。朝出発時は7℃でしたが現地は晴れて気温は25℃近くになっていました。真冬から初夏へワープ。ダウンジャケットを脱ぎ捨て早速レンタカーで山の中へ。まずは於茂登岳山麓の嵩田農道へ。

DSC00068 (2) 

このあたりは5月頃には貴重なアサヒナキマダラセセリが見られるところ。あちこちに採集禁止の立て看板が設置されていました。

DSC00069 (2) 

親水広場へ行ってみると、まず最初に出会ったのは何とヒメアサギマダラ。

P2234615 (2) 

元来は土着していなかった迷チョウで、近年になって八重山諸島全体に広がっているそうです。

P2234645 (2) 

下は本土でも見られるアサギマダラ。

P2234665 (2) 

こちらは長距離の渡りをすることが知られており、春から夏は北へ移動、晩夏から秋には南へ移動します。

P2234670 (2) 

スジグロカバマダラは八重山諸島の土着種で個体数も多めでした。

P2234852 (2) 

でも沖縄島以北では迷チョウです。

P2234643 (2) 

リュウキュウアサギマダラは奄美諸島以南に分布。こちらもたくさん飛んでいました。

P2235275 (2) 

そして周辺を気忙しく飛んでいるのはイシガケチョウ。イシガケチョウは紀伊半島以西の暖地に分布していますが、沖縄ではどこへ行っても目にします。

P2234655 (2) 

さて近くの渓流に降りて見ると・・・。

DSC00070 (2) 

河原で吸水中のアオスジアゲハに遭遇。

P2234744 (2) 

本土のものより色鮮やかに見えます。

P2234784 (2) 

ヤエヤマカラスアゲハは八重山諸島のみに分布。

P2234689 (2) 

吸水に来るのはなぜかオスのみ。

P2234714 (2) 

ここにもイシガケチョウの姿がありました。

P2234750 (2) 

渓流上の梢にはテリトリーを見張るコノハチョウの姿が!。

P2234757 (2) 

常緑樹の葉の上に止まると枯葉模様が逆に目立ってしまうかも。

P2234734 (2) 

なかなか下に降りて来てくれないし、翅も開いてくれないので良い写真が撮れません。

P2234731 (2) 

下はナミエシロチョウ。八重山諸島では普通種ですが沖縄島では元来迷チョウ。1979年から定着しているそうです。

P2234791 (2) 

クロアゲハは本土でも見られますが、南西諸島以南では尾状突起が短くてメスの後翅亜外縁の赤い斑紋が発達しています。

上段がオス。

P2234863 (2) P2234949 (2) 

下段はメス。

P2235387 (2) P2235311 (2) 

さきほど河原でも見かけたヤエヤマカラスアゲハは花にもたくさん来ていました。

P2235006 (2) 

P2235138 (2) 

木陰にはリュウキュウヒメジャノメ。奄美諸島以南に分布する本種の八重山諸島亜種。

P2235261 (2) 

今回の目的のひとつはミカドアゲハの集団吸水を見ることでしたが、今年は個体数が少ないようで集団吸水はおろか姿を見かける機会も少なめでした。

P2235285 (2) 

俊敏でなかなか写真を撮らせてくれません。

P2235405 (2) P2235411 (2) 

P2235406 (2) 

P2235408 (2) 

P2235412 (2) P2235413 (2) 

日が傾いて来たところで市街地から近いバンナ岳へ。立派な舗装道路が展望台まで繋がっています。

ここでも後翅の赤い斑紋が発達したクロアゲハのメスが吸蜜に訪れていました。

P2235484 (2) 

P2235423 (2) P2235509 (2) 

梢でテリトリーを見張っているのはスミナガシ。

P2235617 (2) 

口吻の赤色がチャーミング。

P2235634 (2) 

シックな翅の模様は見る角度によって色が違って見えます。

P2235681 (2) 

和名の「スミナガシ」は流水に墨を落としてその模様の変化を楽しんだ平安時代の宮廷遊び「墨流し」に由来するのだそうです。

P2235752 (2) 

P2235775 (2) 

そのスミナガシのテリトリーに時折侵入してスクランブル発進させていたのはアカタテハでした。

P2235638 (2) 

アカタテハは日本全国各地で見られ、季節的変異も地理的変異も見られません。

P2235736 (2) 

リュウキュウミスジは南西諸島以南に分布。

P2235400 (2) 

P2235799 (2) 

そろそろ日が陰って来たので帰り際にバンナ公園北口にある世界の昆虫館に立ち寄りました。

DSC00081 (2) DSC00079 (2) 

館内はチョウを中心に展示され、なかなか見応えがありました。

DSC00077 DSC00072 

市街地はずれのホテルにチェックイン。久し振りの長時間の野外活動で疲れました。

DSC00083 (2) 

明日も天気が良さそうです。続く~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

1月13日月曜日。長崎地方は晴れ時々曇り。朝は5℃、日中は10℃。

マイル旅の2日目は長崎外海(そとめ)地区へ。ここは隠れキリシタンの里、遠藤周作の“沈黙”の舞台です。5年前に遠藤周作文学館までは来ましたが、今回は前回まわれなかったところへ。

まずは黒崎の枯松神社へ。

DSC09731 (2) 

参道の左側にある大人が数人隠れるほどの大きな岩は「祈りの岩」。潜伏時代にキリシタンが夜祈りを捧げた場所だそうで・・・。

DSC09732 (2) 

枯松神社は明治時代に入ってから日本人伝道師・バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀るためにこの地に建立したもの。キリシタンを祀った神社は全国で3カ所のみ。近くにはキリシタンのお墓も。

DSC09730 (2) 

続いて黒崎教会へ。

DSC09739 (2) 

1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、1899年から建設計画が進行、1920年に完成。

DSC09738 (2) 

内部はブルーを基調にアーチ状の木組みが美しい~。

DSC09743 (2) 

ステンドグラスと小振りなパイプオルガンも。

DSC09747 (2) 

DSC09748 (2) 

次に大野教会へ。ここは1893年に完成したド・ロ神父設計の石造りの教会。

DSC09752 (2) 

DSC09758 (2) 

DSC09754 (2) 

内部は非公開ですが、入口から覗き見出来ます。

DSC09756 (2) 

さらに長崎市外海歴史民俗資料館やド・ロ神父記念館、出津教会堂などが集中している「出津(しつ)文化村」へ。海を見下せる場所に遠藤周作の文学碑「沈黙の碑」がありました。

DSC09760 (2) 

下の写真はそこからの眺め。“隠れる”場所はたくさんありそうな地形です。

DSC09763 (2) 

集落の中には世界遺産の碑がありました。

DSC09764 (2) 

DSC09766 (2) DSC09772 (2) 

そして出津教会堂へ。ここもド・ロ神父が1882年に完成させた教会。

DSC09774 (2) 

内部は撮影出来ませんでした。

DSC09775 (2) 

DSC09778 (2) 

最後に小高い丘にある遠藤周作文学館へ。5年前に来た時とは展示内容が一部リニューアルされていました。

DSC09792 (2) 

いつかここから夕陽を眺めてみたいところですが・・・。

DSC09791 (2)

ここでタイムリミット。

現実逃避の旅はこれでおしまい~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

今年の正月明け最初の1週間は、初日の6日午前中は少々混雑したものの概して例年より平穏でした。それでもかぜ症状やインフルエンザの方はそれなりに多め。中には重症の肺炎の方も。7日火曜日は今年最初の大和市医師会理事会、10日金曜日は大和市医師会の新年会。正月明けの鈍った身体にはチョッと辛い1週間でした。

1月11日土曜日は夜の飛行機で長崎へ。唐突ですがフライトマイルの期限が迫って来たのでマイル旅を企てました。

下の写真は煌びやかな都心の夜景。中央付近には東京タワーが見えます。

DSC09493 (2) 

郊外には薄雲がかかって幻想的な写真に。

DSC09498 (2) 

夜遅くに長崎市内で投宿。

翌日1月12日日曜日。曇り。朝は10℃、日中は10℃。私自身は当地は3回目の訪問ですが、初めての同行者のために朝から長崎市内の名所巡り。

まずは平和公園。平和祈念像の背中は初めて見たかも!?。

DSC09521 (3) DSC09523 (2) 

そして原爆落下中心地。

DSC09533 (2)

原爆資料館では先日のローマ法王来日に因んだ企画展示も。

DSC09551 (2) DSC09552 (2) 

DSC09555 (2) 

浦上天主堂は日曜礼拝中でした。

DSC09557 (2) DSC09559 (2) 

ランチは慶応2年創業の吉宗で定番の茶碗蒸し。

DSC09570 (2) DSC09563 (2) 

浜町アーケードを抜けて眼鏡橋へ。1634年(寛永11年)に架けられた日本初の石造りアーチ橋。

DSC09580 (2)

その後大浦天主堂を経て・・・。

DSC09591 (2)

グラバー園から港を眺めればもう夕刻になってしまいました。

DSC09624 (2)

夜は移転間近の長崎駅へ。

DSC09710 (2) 

DSC09652 (2) 

現在の長崎駅は旧来からの行き止まり式ですが・・・。

DSC09670 (2) 

JR長崎本線連続立体交差事業が進行中で2020年3月28日から新駅舎へ移転・高架化予定。

DSC09655 (2) 

発着する車両は変われど、蒸気機関車時代から変わっていない終着駅の風情は間もなく見納めです。

DSC09657 (2) DSC09658 (2) 

DSC09677 (2) DSC09685 (2) 

DSC09697 (2) 

もう1泊して明日の成人の日に帰ります~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

新年あけましておめでとうございます。皆様にとりまして幸多き年になりますようお祈り申し上げます。

さて小生は例年の如く大晦日を親戚一同と実家で過ごしたのち、正月元旦に飛行機で金沢へ出かけて来ました。

DSC09455 (2) 

昼過ぎの小松便はほぼ満席。離陸すると晴天の下、眼下にレインボーブリッジとお台場が。

DSC09266 (2) 

さらにスカイツリーや・・・。

DSC09270 (2) 

ディズニーランド、ディズニーシーも良く見えました。

DSC09273 (2) 

高度を上げて旋回するとはるか下方に先ほどのレインボーブリッジが逆光に輝いて見えました。

DSC09281 (2)

富士山は8合目付近が雲に覆われていました。

DSC09283 (2) 

下からは山頂は見えていないかも知れません。

DSC09293 (2) 

このあたりが太平洋側と日本海側の分かれ目!?。

DSC09300 (2) 

そこから北は厚い雲に覆われていました。

DSC09301 (2) 

やがて高度を下げて雲の下まで降りると、みぞれの降る北の大地が見えました。

DSC09304 (2) 

翌日正月2日は白山比咩神社へ初詣に。ここは全国に3000以上ある白山神社の総本宮。

DSC09314 (3) 

今年は全く雪は無し。

DSC09317 (2) 

気温も高めでお参りも楽でした。

DSC09343 (2) 

DSC09328 (2) 

DSC09330 (2) DSC09331 (2) 

今年のおみくじは小吉。まあこれくらいのところが小生には相応しいところ!?。

DSC09336 (2) 

今年一年大禍なく平々凡々に過ごせればそれが何より。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今さらですが、夏の旅のレポートがまだ残っていました。前回からだいぶ間があいてしまいましたが、8月14日水曜日のラトヴィアの首都リガでのご報告を。

DSC06307 (2) DSC06309 (2) 

DSC06312 (2) 

午前中に街中を一巡して広場のレストランでランチ。

DSC06318 (2) 

その後、旧市街を囲むピルセータス運河とダウガヴァ川を巡るクルーズボートに乗ってみました。

DSC06327 (2) 

DSC06328 (2) 

国立オペラ座の脇を通りリガ駅、午前中に訪れた飛行船の格納庫を利用した中央市場の下を通って・・・。

DSC06329 (2) 

大きなダウガヴァ川に入りました。川を渡る長大な鉄道橋で電車と遭遇。

DSC06337 (2) 

対岸に見える近代的な建物は図書館。

DSC06339 (2) 

旧市街側には何本もの教会の塔が見えました。

DSC06341 (2) 

リガ港には周辺国を結ぶ大きなフェリーが。

DSC06350 (2) 

北側からまたピルセータス運河に戻って来ました。

DSC06356 (2) 

1周約1時間でしたが、のんびりと流れる景色を楽しめました。

DSC06363 (2) 

今度は旧市街の南東に位置するリガ駅へ。ショッピングセンターが併設されていて建物は立派。

DSC06398 (2) 

ホームへの通路にはショップが並んでいて、階段を上がるとホーム。

DSC06378 (2) 

下は駅構内で見つけた路線図。バルト三国の鉄道網は、いずれも道路網の整備などにより縮小傾向にあり、その用途もリガ近郊の旅客輸送と国際貨物輸送に特化したものへと変化しているそうです。ラトヴィアでも独立回復後の25年間で多くの国内鉄道路線が廃止されているそうです。

DSC06394 (2) 

ホームへ上がるとクラシカルなスタイルの電車が停まっていました。このER2形はソ連運輸通信省(МПС СССР, Министерство путей сообщения СССР)が1962年から導入した直流電車。

DSC06365 (2) 

ホームは低くて線路幅は広め。ラトヴィアを含むバルト三国の鉄道では、現在でもヨーロッパ標準軌(1435ミリ)より広い旧ソ連諸国共通の広軌(1520ミリ)のレール幅が使われており、そのため列車はスムーズにラトヴィアとロシア、ベラルーシの国境を往来出来るそうです。

DSC06367 (2) 

車体のパッサジエル・ヴィリシエン(Pasažieru Vilciens)ラトビアの鉄道運行会社名。この時に見かけた旅客列車は全てこの会社で同じ塗色でした。

DSC06368 (2) 

ゴツイ代車に巨大な車体。足腰が良くないと乗り降りが辛そう~。

DSC06370 (2) 

鼻先のRVRの標示はリガ車両製作工場(RVR: Rīgas Vagonbūves Rūpnīca)の意味。リガに拠点を置き旧ソビエト連邦で長年最大の電車気動車路面電車のメーカーとして君臨して来た会社。

DSC06379 (2) 

DSC06379 (3)

同じER2形でも行先表示器が増設されていたり・・・。

DSC06372 (2) 

DSC06373 (2) 

類縁のER2T形は回生ブレーキを装備したタイプ。こちらはリニューアル工事が行われて顔付がチョッと違います。

DSC06369 (2)

遅れて入って来たER2M形は古めかしい顔付。

DSC06391 (2) 

一方、下のDR1AM型は気動車。DR1形はやはりソ連運輸通信省(МПС СССР)が導入したリガ車両製作工場製(RVR)で、幾度かのモデルチェンジを経て1963年から2012年まで長期に渡り製造が行われたそうです。そのうちDR1AM形はエンジンをドイツ・MTU製へ取り替えたもの。

DSC06382 (2) 

車内を覗いて見ると広軌だけあってゆったりした造り。

DSC06386 (2) 

隣の側線にはディーゼル機関車が入って来ました。ChME3型という軸配置Co'Co'の最高速度95km/h機関車。

DSC06374 (2) 

1964~1992年の長きにわたって製造さて実に両数は7454両!?。

DSC06375 (2) 

リガからはモスクワ、サンクトペテルブルク、そしてベラルーシのミンスクの3都市に向けた国際夜行列車が運行されているそうです。1等から3等までの寝台車や食堂車も連結されているそうで、見てみたいけれど今回はタイムリミットで果たせず。そろそろホテルに戻らなければなりません。

駅前に出ればトラムが結構な頻度で往来していました。近代的な車両も導入されていましたが・・・。

DSC06402 (2) 

まだまだ旧ソ連時代の車両も活躍していました。

DSC06403 (2) 

ラトヴィアは独立宣言が1991年、EU加盟が2004年ですが、鉄道に関して言えば、まだまだ旧ソ連、ロシア側の影響が色濃く残っているようでした。

続きはまたの機会に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

11月10日日曜日。札幌地方は晴れ時々曇り。朝は2℃、日中は8℃。

昨夜札幌入り。朝目覚めてホテルのカーテンを開けると青空が広がっていました。

DSC08006 (2) 

北西方向を望むと北大の農場が。

DSC08008 (2) 

有名なポプラ並木も既に黄色く色付いていました。

DSC08010 (2) 

さすがに気温は関東の真冬並み~。

DSC08002 (2) 

今日はこれから留萌へ向かいますが、留萌地方は曇り空のようです。

DSC08003 (2) DSC08097 (2) 

まずは札幌発10時00分の特急「ライラック11号」旭川行きに乗車。

DSC08012 (2) 

車両は789系6両編成。もとは2002年から2011年までの間に津軽海峡線の「スーパー白鳥」向けに製造された交流特急形電車ですが、北海道新幹線開業を機に道央圏の「ライラック」に転用された車両です。

DSC08020 (2) 

さすがに電車特急だけあって滑らかで軽快な走り。岩見沢、美唄、砂川、滝川と停車しながら、深川には11時05分に到着しました。

DSC08023 (2) 

深川は留萌本線の起点の駅。かつては機関区も置かれた鉄道の要衝でした。

DSC08026 (2)

深川には昭和48年3月に降り立ったことがあります。当時は全国でもここでしか見られなかったD61形蒸気機関車6両のうちの最後の1両が残っていて、その写真を撮りに来たのでした。下の写真は深川駅のはずれで撮った写真。写真の出来はともかくD61に一目でも会えて満足でした。

DSC08267 (2) 

JTB時刻表の最新号2019年12月号の地図を見ると現在の留萌本線は分岐も接続も無い1本枝の盲腸線になっていますが・・・。

DSC08249 (2) 

でも1967年1月の鉄道路線図を見ると、深川からは留萌本線の他に名寄へ延びる深名線があり、途中駅の石狩沼田ではこの2月に乗車した札沼線が接続していました。また留萌本線自体も留萌から先の増毛(ましけ)まで線路が延びていました。更に留萌からは宗谷本線の幌延を結ぶ羽幌線が繋がり、加えて私鉄では恵比島~昭和間に留萌鉄道、留萌~達布間に天塩炭鉱鉄道、羽幌線の築別~築別炭鉱に羽幌炭鉱鉄道が接続していました。

DSC08255 (2) 

新幹線が開業した1964年10月の時刻表を見ると、準急「るもい1号」と「るもい2号」が旭川から、急行「はぼろ」が札幌から、準急「かむい4号」が小樽からそれぞれ乗り入れて来て、いかにも“本線”たる貫禄を呈していたようです。

DSC08272 (2) 

ところが今は優等列車はひとつも無く、普通列車が下り8本、上り9本のみ・・・。

さて深川駅での接続は5分。11時10分発の留萌行きは、国鉄分割民営化の前年1986年に29両製造されたキハ54形。北海道仕様500番台の2両編成でした。昨今のローカル線には珍しく豪華2両編成(!?)かと思いきや、後ろの1両は回送扱いで閉め切られていました。前はキハ54512。

DSC08025 (2) 

6~7名の同業者(?)とほぼ同数の地元高校生を乗せて定時に出発。乗務員は初老の運転士と若い見習い風の運転士、さらに後ろの回送車両にも乗務員が乗っていて3名体制。

深川駅を南に向けて発車し右カーブしながら西の日本海方向へ。周囲は広々とした田園地帯が広がっています。最初の駅は北一己(きたいちゃん)。イチャンはアイヌ語で鮭の産卵場所を意味するそうです。

DSC08027 (2) 

次の秩父別(ちっぷべつ)では数人が下車。人口2400人余りの秩父別町の玄関口。

DSC08029 (2) 

次の北秩父駅は通過扱い。下り列車は夕方の2本しか停車しません。乗車人員平均は1.0人だそうで・・・。

次は石狩沼田。沼田町の中心駅で数人が下車。かつては札沼線がここで接続していましたが、新十津川~石狩沼田間は昭和47年に廃止されてしまいました。

DSC08031 (2) DSC08136 (2) 

このあたりから線路には雪が多くなって来ました。線路に並行して立派な道路が。

DSC08034 (2) 

次の真布駅は国鉄時代には仮乗降場で、民営化時に駅に昇格した駅。

DSC08036 (2) 

ただでさえ少ない列車のうちの上下3本の列車が通過してしまいます。

DSC08039 (2) 

そして恵比島駅。明治時代は「峠の宿」と呼ばれる交通の要衝だったそうです。

DSC08042 (2) 

立派な木造駅舎・・・に見えますが、NHKの連続テレビ小説「すずらん」のロケセット「明日萌驛(あしもいえき)」をロケ終了後もそのまま継続使用しているもの。駅前には旅館のセットも見えました。

DSC08045 (2) 

今では観光客の姿もなくひっそりとした佇まい。昭和44年まではここから留萌鉄道が出ていましたが、今では跡形もありません。

さてここからは石狩・天塩両国境を越える峠道に差し掛かります。

DSC08050 (2) 

留萌本線のトンネルはこの区間の2つのみ。

DSC08052 (2) 

「この2つのトンネル間に鹿が多いんだよ」と初老の運転士が若い運転士に話していました。

DSC08056 (2) 

駅間は7.6km。サミットを越えればあとは軽快に下り降りるだけ。

DSC08060 (2) 

峠下駅は留萌本線の途中駅で唯一列車交換が可能な駅。

DSC08071 (2) 

有人駅時代からの立派な駅舎がそのまま残っていました。

DSC08075 (2) 

下は帰りに上りホーム側から見た駅舎。でも近年の乗車人員平均は0.8人だそうです。

DSC08133 (2) 

峠下駅を出るとかつては東幌糠駅がありましたが2006年3月に廃止され、次の駅は幌糠駅。ヨ3500形車掌車を改造した駅舎でした。

DSC08077 (2)

幌糠駅の次はかつては桜庭駅がありましたが、こちらも1990年10月に廃止されています。

次の藤山駅はアイヌ語とは関係なく農場主であった藤山さんの名前が由来。

DSC08082 (2) 

DSC08085 (2) 

そして大和田駅もかつての大和田炭鉱の所有者大和田さんの名前から。ここも車掌車改造の駅舎でした。

DSC08087 (2) 

大和田を出ると次は終着の留萌です。

ところでキハ54512のシートは、キハ183系特急型気動車に使用されていた簡易リクライニングシートを流用して、集団見合い方式に配置。普通列車にしては豪勢なシートです。

DSC08081 (2) 

真ん中の対面部分にはテーブルが配置されています。

DSC08096 (2) 

窓下には灰皿の撤去跡。扇風機カバーには国鉄のJNRマークが残っていました。

DSC08091 (2) DSC08095 (3) 

12時07分に終着留萌に到着。降り立ったのは同業者と思われる6人。地元の方は殆どいらっしゃらないようでした。

DSC08100 (2) 

広いホームはかつての賑わいを思い起こさせます。

DSC08103 (2) 

2016年12月5日にこの先の増毛までの区間が廃止され、ここが終点となりました。

DSC08102 (2) 

夏のシーズンには“鉄”以外の観光客も降り立つのでしょうか。

DSC08117 (2) 

留萌の駅舎を外から眺めたら予想外に立派でビックリ。

DSC08110 (2) 

1967年7月に天塩炭鉱鉄道が廃止されましたが、その直後11月から供用開始となった2代目駅舎だそうです。

DSC08109 (2) 

キヨスクは2008年10月に閉店になったそうですが、待合室には立ち食いそば・うどん店がありました。本当はここで昼食を摂りたいところですが、折り返し時間はたったの11分しかありません。残念~。

DSC08112 (2) 

下の写真は深川方面を眺めたところ。左側の広大な敷地もかつては引き込み線だったのでしょう。

DSC08121 (2) 

深川側には跨線橋。かつては羽幌線用に4番ホーム、天塩炭鉱鉄道用に5番ホームまであったそうです。羽幌線は1987年3月に廃止。

DSC08106 (2) 

さて到着した列車は2両を切り離し。

DSC08104 (2) 

後ろに連結されていたキハ54527が今度は単行で上り列車の運用に就きます。

DSC08107 (2) 

ワンマン運転用のミラーを使って記念撮影。

DSC08120 (2) 

12時18分に発車。結局新たな乗客は現れず、そのまま折り返す“鉄”ばかりが、われわれ2人を含めて6人。

DSC08115 (2) DSC08122 (2) 

キハ54527は1986年(昭和61年)富士重工製で、元は急行「礼文」専用車として急行仕様に製造された3両のうちの1両。その後釧路と苗穂で改造されています。

DSC08125 (2) DSC08127 (2) 

シートは両端部はロングシートに改造されていましたが、中央部は当初から装備していた0系新幹線の廃車発生品である転換クロスシート。

DSC08128 (2) 

来た道を戻り、峠を越えたらまた天気が良くなりました。深川近くまで戻って来たら線路上の雪も消えました。

DSC08138 (2) 

深川駅には13時13分着。55分の行程でした。

DSC08144 (2) 

ここからは6分の待ち合わせで13時19分発の特急「ライラック24号」に乗車。

DSC08147 (2) 

DSC08148 (2) DSC08150 (2) 

所要66分で札幌着14時25分。

DSC08153 (2) 

10分の乗り継ぎで14時35分発の快速「エアポート144号」に乗れば所要37分で15時12分に新千歳空港に到着。

DSC08155 (2) 

17時00分のJAL518便で東京羽田へ。

DSC08163 (2) 

羽田には18時40分着。羽田に降り立ったら随分と暖かく感じました。

目的地の留萌にはたった11分の滞在であとは乗りっ放しで何が楽しいのかって?。いやいや他の人に理解出来ないのが“大人の趣味の世界”なんです~(!?)。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

文化の日の連休が明けて、11月5日火曜日からの週は患者さんが多くて連日混雑していました。かぜの方が多い上に、中に混じってぽつりぽつりとインフルエンザの方がいらっしゃるようになりました。定期通院の方も通常の診療に加えて前回の特定健診・がん検診の結果の説明をし、加えてインフルエンザワクチン接種も希望される方が多いので普段よりだいぶ時間が掛かってしまいます。さらにたくさんの書類書き、大和市医師会理事会、多くの面会をこなして・・・。そんな訳で今週もだいぶお疲れモードで週末を迎えました。

11月9日土曜日。晴れ時々曇り。朝は11℃、日中は15℃。クリニックはやはり午前中は混雑しましたが、午後からは落ち着きを取り戻しました。

診療終了後は直ちに羽田空港へ。お疲れモードでも出かけるとなれば俄然元気!?。16時30分発札幌行きJAL523便に十分間に合いました。友人と落ち合って機上へ。

DSC07972 (2) 

機種はボーイング777-200。使用機材到着遅れのためにやや遅れて離陸するも到着はほぼ予定通り。札幌は4℃でした。

DSC07971 (2) 

新千歳空港18時30分発のエアポートライナーで札幌駅へ。駅頭のホテルにチェックインして直ぐに夕食に向かいました。

DSC07975 (2) DSC07976 (2) DSC07978 (2) 

今宵も北の海の幸を堪能~。

DSC07980 (2) DSC07982 (2) DSC07984 (2) DSC07985 (2) 

下は札幌駅北側の夜景。一直線に伸びる道路が北海道らしい!?。

DSC08000 (2) 

今回は前回台風接近のため実現できなかった“乗り鉄”のリベンジのためにやって来ました。

明日も天気は良さそうです~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

11月4日月曜日。那覇地方は曇り時々雨。最低気温24.2℃、最高気温28.7℃。天気が優れず風も強い残念な天気になってしまいました。日頃の行いの悪さが露呈!?。

今日は早朝から沖縄南部に向けて車を走らせました。サトウキビ畑の中を通って、まずは県営平和記念公園へ。

DSC07933 (2) 

ここへ来るのは中学生の時以来!?。当時は沖縄平和祈念堂、平和の丘、平和の火、そして立派な平和祈念資料館などの諸施設はまだ整備されていませんでした。

朝早いのでまだ人影疎ら。

DSC07934 (2) DSC07936 (2) 

公園の南端は太平洋に面した断崖。一帯は沖縄戦跡国定公園に指定されています。晴れていれば青い海が広がっているのでしょうが今日は鉛色。

PB043942 (2) 

流石にこの天気でチョウ影は少なめ。そんな中、リュウキュウコミスジや・・・。

PB044521 (2) 

PB043944 (2) 

関東でも普通種のチャバネセセリ。

PB043948 (2) 

そして昨日にも出会ったクロマダラソテツシジミなどが飛び回っていました。

PB044358 (2) 

PB044433 (2) 

風の当たらない斜面ではシロオビアゲハがたくさん飛んでいました。

PB043976 (2) 

シロオビアゲハは他のアゲハチョウ類に比べると小型。

PB044184 (2) 

日本ではトカラ列島以南に分布していて、沖縄では普通種です。

PB044209 (2) PB044185 (2) 

メスには遺伝的にオスと同じく後翅に白い帯がある「シロオビ型」と後翅に赤色の斑点がある「ベニモン型」の2タイプがあり、後者はまるで別種のよう。

PB044029 (2) 

一説には毒のあるベニモンアゲハに擬態しているのだとか。

PB044496 (2) PB044475 (2) 

そして昨日はオスにしか出会わなかったアオタテハモドキのメスにも遭遇。

PB044050 (2) 

PB044525 (2) 

因みに下は昨日撮ったオスの写真。どちらもそれなりに美しい~。

PB033661 (2) 

さらに傍らにメスアカムラサキのオスを発見!。

PB044545 (2) 

メスアカムラサキは迷蝶で土着種ではありません。ときおり飛来して各地で一時的に発生することがあるそうです。アカなのかムラサキなのか判らない名前が付いていますが、メスは全く違う柄で赤いのでこの名前が付いています。

PB044555 (2) 

さて、そろそろ時間切れ。空港へ向かう僅かな時間に那覇市内にある「対馬丸記念館」へ立ち寄って時間調整。

DSC07967 (2) 

対馬丸事件は学童集団疎開の子どもたちを大勢乗せて昭和19年8月21日に那覇港を出港しましたが、翌22日の夜に米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。乗船者1782名のうち約8割が亡くなった悲惨な事件です。

DSC07950 (2) 

事件後は厳重な箝口令が敷かれて、事実がひた隠しにされていたそうで・・・。

DSC07943 (2) DSC07944 (2) 

立派な館内には他に見学者無し。勿体ない~。

DSC07948 (2) 

どんより曇った那覇空港を離陸して・・・。

DSC07952 (2) 

2時間20分ほどで暗くなった羽田空港に到着。気温は15℃前後でしたが、とっても寒く感じられました。

今回は天気には恵まれませんでしたが、十分沖縄のチョウを堪能して参りました~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

11月2日土曜日。晴れ。朝は11℃、日中は19℃。

11月に入って最初の土曜日。クリニックはそれなりに混雑。かぜ症状の方はやはり多め。健康診断で引っ掛かって二次検査でいらっしゃる方もちらほら。インフルエンザワクチンの接種も佳境に入って来ました。

診療終了後は羽田空港へ。17:05発JAL923便で沖縄那覇へ。機種は小型のボーイング737-800。夜8時頃に那覇空港に着陸。さすが南国、夜になっても26℃ありました。

DSC07912 (2) DSC07917 (2) 

そのまま那覇市内のホテルにチェックイン。

11月3日日曜日の那覇は晴れのち曇り一時雨。朝は24℃、日中は28℃。残念ながら天気は下り坂です。

ホテルのカーテンを開けるとビルが乱立する那覇市内は薄曇りでした。

DSC07920 (2) 

朝一番でレンタカーを借りて、沖縄自動車道を終点の許田ICまで。そこから名護市内を抜けて本部半島の八重岳を目指します。八重岳453.4mは沖縄本島では与那覇岳に次ぐ第二位の標高で、1月末から2月初旬には日本で最も早く桜が見られるところ。

海岸沿いの道から標示に従って山道に入って行くと次第に周囲は鬱蒼とした森に。

DSC07931 (2) 

意外にも山頂近くまで整備された舗装道路が続いていました。

DSC07923 (2) 

頂上にはアメリカ軍が管理する八重岳通信所が。それで道が良いのかも!?。

DSC07925 (2) 

山頂近くからはボンヤリですが彼方に東シナ海が望めました。

DSC07929 (2) 

美ら海水族館はこちら方向のはずですが・・・!?。

DSC07927 (2) 

さて、このたび遠路遥々ここまで来たのは沖縄のチョウの写真を撮るため。クルマを停めて外に出ると周辺の木々では聞き慣れないセミの大合唱が。

PB033642 

正体は容姿端麗なオオシマゼミでした。

PB033602 (2) 

オオシマゼミは日本産のツクツクボウシ属の最大のセミで奄美大島~沖縄本島周辺に分布する日本特産種だそうです。

PB033778 (2) 

クルマを降りて道路端の白い花を見たら・・・ビックリ!。茶色っぽいチョウの一群が鈴なりになっていました。数えきれないほどのツマムラサキマダラです。

PB033748 (2) 

下の写真、上がメス、下がオス。

PB033577 (2) 

メスは前翅の白斑、後翅の白線が目立ちます。

PB033576 (2) 

翅を開くと前翅には光沢のある青紫色が!。その名の通り、前翅のツマがムラサキ!!。

PB033579 (2) 

オスはメスほど前翅の白斑、後翅の白線が目立ちませんが・・・。

PB033582 (2) 

翅を開くと前翅の青紫色の面積がメスよりも広くてよりゴージャスな感じです。

PB033600 (2) 

たくさんのツマムラサキマダラを目の前にして俄かには信じられませんが、以前は稀に南からやって来るだけの“迷チョウ”だったそうで、沖縄本島に定着したのは1992年頃から。今では奄美~八重山で広く定着しているそうです。

PB033734 (2) 

周辺の梢を見ながら歩いていたら、テリトリーを張るコノハチョウの姿を発見!。県の天然記念物です。どこにいるかって?。

PB033584 (4) 

クローズアップすると・・・ここです!。

PB033584 (3) 

今回見かけたのはこの1頭のみ。しばらく粘りましたが残念ながら降りて来てくれませんでした。

林間をふわりふわりと優雅に飛んでいる大型のマダラチョウは本土でも見かけるアサギマダラ。何やら文字が書かれているのは数千キロの長距離を移動するアサギマダラの調査のためにマーキングされたもの。

PB033594 (2) 

う~ん、どこでマーキングされたものやら・・・。

PB033808 (2) 

山頂近くでは色鮮やかな“蛾”を発見。蛾は専門外ですが、調べてみるとサツマニシキという種類。

DSC07922 (2) 

温暖地の蛾で本州紀伊半島より南に分布しているそうですが、南へ行くほど後翅の白色部が広く明るくなるそうです。

PB033789 (2) 

やや下って脇道に入ったところに立て看板が。

PB033634 (2) 

判読し難くなっていましたが「戦跡 国頭支隊本部壕 野戦病院跡」とありました。

PB033633 (2) 

ここ八重岳は本島北部で唯一日米両軍の対峙戦が行われた激戦地。こんな山の中の野戦病院に収容されても・・・。

そんな場所で呑気にチョウの写真なぞ撮っていられる平和な時代にひたすら感謝するばかりです。

近くにはミナミキチョウの低温期型。

PB033643 (2) 

こちらは珍しい種類かと思いきや本州以南に広範に見られるヤマトシジミのようです。

PB033646 (2) 

こちらも本州以南に見られるジャコウアゲハのオス。

PB033731 (2) 

時折地面から飛び立つ小型のタテハチョウは沖縄本島以南で土着しているアオタテハモドキ。オスは青が鮮やか。周辺を探しましたがメスの姿は無し。

PB033671 (2) 

イシガケチョウは島根、岡山、兵庫県南部など西日本以南に土着。

PB033741 (2) 

とっても不思議で芸術的な模様ですが・・・。

PB033749 (2) 

一説によると茶色い模様だけを見ると怖~いムシに見えてくるのだとか・・・。あやや、確かに~。

PB033804 (2) 

ヒメアカタテハは日本はおろか南極大陸を除く全ての大陸に分布する世界的なチョウ。

PB033769 (2) 

下はクロマダラソテツシジミ。かつては国内に生息しなかったそうですが、1992年に沖縄本島で確認され一時途絶えたものの2000年以降は南西諸島各地で見られるようになった種類。

PB033816 (2) 

地面を這うように飛んでいる地味なチョウはリュウキュウヒメジャノメ。奄美諸島以南にのみ分布。

PB033825 (2) PB033826 (2) 

最近では北へ分布を広げて関東でも見られるようになったナガサキアゲハ。

PB033832 (2) 

メスは南方へ行くほど白化傾向が強くなり、こんなに白いメスは沖縄まで来なければ見られません。

PB033837 (2) 

PB033857 (2) 

メスの後ろを飛んでいるのがオス。オスは白い部分が有りません。

PB033852 (2) 

この白いナガサキアゲハが見れただけでもここまで来た甲斐が有ったというもの。

PB033908 (2) 

そしてハイビスカスを訪れているのは日本産シロチョウの最大種、ツマベニチョウのオス。

PB033841 (2) 

普段は高所を敏速に飛ぶのでなかなか写真が撮れませんが、吸蜜で降りて来た一瞬がシャッターチャンス。

PB033922 (2) PB033928 (2) 

九州南端以南に分布する南方系のチョウです。

PB033845 (2) 

さてここらでもう夕刻。時折ぱらついていた雨が本格的になって来たので今日は撤収することに。那覇へ向かって車を走らせたのでした。

続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

今日は夏の旅行のレポートの続きを。8月13日火曜日にリトアニアから陸路国境を越え、夜遅くにラトヴィアの首都リガに到着しました。ホテルで夕食を摂りそのまま就寝。翌8月14日水曜日はいつもの様に早朝街歩きに。

夏とはいえ朝は15℃を下回っていてヒンヤリ。

DSC06169 (2) 

下の写真は朝日に照らされたリガ大聖堂。

DSC06171 (2) 

日中は大勢の観光客で賑わうであろう大聖堂前の広場にも人影はありませんでした。

DSC06173 (2) 

静寂の街をのんびり散策出来るのは何よりも贅沢なこと。早起きは三文の得です~。

DSC06177 (2) DSC06182 (2) 

さてホテルへ戻って朝食ののち、本格的に行動開始。

DSC06205 (2) DSC06208 (2) 

DSC06215 (2) 

かつて旧市街を取り囲んでいた城壁を抜けると・・・。

DSC06221 (2) 

外周に沿ってポールを振りかざしてトラムが結構な頻度で疾走していました。

DSC06225 (2) 

車両は新旧さまざま。乗りこなせれば便利そうです。

DSC06227 (2) 

その外側に広がる新市街には、アルベルタ通りを中心に20世紀初頭に盛んに建てられたアール・ヌーヴォー建築がたくさん残存。

DSC06232 (2) DSC06234 (2) 

DSC06236 (2) DSC06238 (2) 

各国からたくさんの観光客がやって来ていました。

DSC06240 (2) DSC06241 (2) 

DSC06247 (2) DSC06249 (2) 

今度は一気に旧市街の南側に回って中央市場へ。大きなドーム型の建物が5つ。

DSC06254 (2) 

元々は飛行船の格納庫だった建物が移築されて使われているそうです。確かにさもありなんって感じ!。

DSC06273 (2) 

どこへ行ってもその土地の市場を覗くのは楽しい~。

DSC06255 (2) DSC06256 (2) DSC06257 (2) 

海産物が豊富なのは、リガ湾、バルト海を挟んでスウェーデンと対峙する地理関係を考えれば当然。

DSC06258 (2) DSC06259 (2) 

DSC06260 (2) DSC06261 (2) DSC06263 (2) 

DSC06264 (2) DSC06265 (2) 

DSC06266 (2) DSC06270 (2) DSC06269 (2) 

チーズや蜂蜜も豊富で美味しそうでしたが・・・。

DSC06271 (2) DSC06272 (2) 

さて再び旧市街へ。市庁舎広場は観光客で賑わっていました。広場の中心にはリガの守護聖人聖ローランド像。

DSC06280 (2) 

後ろはブラックヘッドの会館。時計の下には4つのハンザ都市、リガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章とギリシャ神話の神々の像。実は1941年にドイツ軍の空襲で破壊され、1999年に再建されたばかりの建物です。

DSC06275 (2) 

向かいの市庁舎も再建されたもの。

DSC06282 (2) 

そこから少し北へ移動すると、今朝外観だけ眺めたリガ大聖堂。1211年に建設が始まり18世紀後半に現在の姿になったバルト三国最古の歴史をもつ教会。

DSC06283

中に入ると美しいステンドグラス。

DSC06294 (2) 

DSC06285 (2) 

そして背後には重厚なパイプオルガンが。

DSC06293 

大聖堂の南側にはかつての修道院の回廊も良い雰囲気でした。

DSC06300 (2) 

だいぶ長くなって来たので今回はこの辺で。続きはまた次回に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日はだいぶ間があいてしまいましたが、夏の旅行記の続きを(前回は9月12日でした)。

8月12日の早朝便でフィンランドのヘルシンキからリトアニアの首都ヴィリニュス入り。夜は市内のレストランへ。

DSC05986 (2) 

梨とゴートチーズのタルタル、パイクパーチのフィレ・クリームレモンソース・・・。

DSC05976 (2) DSC05981 (2) 

そしてブルーベリーアイス。遅くなってもまだ明るいのが嬉しい~。

DSC05982 (2) DSC05985 (2) 

食後は夜10時まで開いているスーパーマーケットを覗きに。朝4時から動いているので長~い1日でした。

8月13日の朝は残念ながら雨降りでした。例によって旅先では時差に関係なく早朝に覚醒してしまうので、人気の無い雨のヴィリニュスの街を一渡り散策。

DSC05988 

日中の賑わいがウソの様です。

DSC05989 (2) DSC05990 (2) 

DSC05992 DSC05991 

DSC05996 DSC05995 (2) 

DSC05987 

さて朝食後はリトアニア第2の都市カウナスへ。第二次世界大戦中にはリトアニアの暫定首都となっていた街です。

まずは杉原記念館へ。ここは第二次世界大戦中に杉原千畝が領事として勤務していた旧日本領事館。

DSC06017 (2) 

ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した際に、ポーランドに住むユダヤ人に対してシベリア鉄道経由での亡命を助けるためにビザを発給。6000人以上の命を救ったそうです。

DSC06004 (2) 

当時の執務室がそのまま。写真や資料が展示されています。

DSC06006 (2) DSC06010 (2) 

その後カウナスの旧市街へ。

DSC06021 (2) DSC06022 (2) 

カウナス城はドイツ騎士団の侵攻に備えて建造された要塞。

DSC06026 (2) 

DSC06023 (2) 

旧市庁舎は18世紀のバロック様式の建造物です。

DSC06042 (2) 

チョッと覗いた近くの聖ペテロ&パウロ大聖堂の内部は見事でした。

DSC06060 (2) 

DSC06063 (2) 

その後ヴィリニアウス通りを散策。

DSC06058 (2) 

カフェやレストラン、土産物店などが並んでいました。

DSC06051 (2) 

途中のレストランでランチ。階下へ降りるとなかなか良い雰囲気でした。

DSC06084 (2) DSC06081 (2) 

DSC06068 (2) 

ビーツの冷製スープとツェペリナイというジャガイモの中に挽肉の入ったリトアニア料理を頂きました。

DSC06071 (2) DSC06073 (2) 

なかなか美味でした。

DSC06077 (2) DSC06079 (2) 

さて午後からはひたすら北上してシャウレイという街へ。道中延々と続く広大な風景は北海道に似た雰囲気!?。

DSC06097 (2) 

途中日本ではなかなかお目にかかれないコウノトリの姿を何度も見かけました。

DSC06108 (2) 

目指すはシャウレイ近郊にある「十字架の丘」。まずは近くの土産物店で十字架を購入して願い事を記入。それを持って丘へ向かいます。ちょうど日本の絵馬みたい!?。

DSC06138 (2) 

緑の平原の中に続く道を辿ると前方に丘が見えて来ました。

DSC06132 (2) 

近付いて見ればそこには無数の十字架が林立していました。

DSC06117 (2) 

一説では14世紀頃に他国から侵略を受け続けていたリトアニア人が十字架やキリスト像を持ち寄ったのが始まりとか。

DSC06111 (2)

真ん中の階段を登って行くと・・・。

DSC06131 (2) 

もはや新たな置き場所など無いくらいにたくさんの十字架が。

DSC06122 (2) 

旧ソ連時代には3度にわたりブルドーザーでこの丘を撤去されたそうですが、リトアニア人はすぐに新しい十字架を立て続けたのだそうです。

現在ではユネスコの無形文化遺産に登録されています。

DSC06129 (2) 

さてここまで来ればラトヴィアとの国境もそう遠くありません。

DSC06140 (2) 

国境を越えてラトヴィアの首都リガを目指しますが、長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さてチョッと遅くなりましたが、今日は9月22日日曜日の北海道行きの続きを。前日21日土曜日の夜に北海道入りして札幌駅頭のホテルに投宿。

DSC07241 (2) 

翌朝は雲が多めながらも晴れていました。この日の札幌の気温は最低13℃、最高20℃。朝はヒンヤリ~。

DSC07253 (2) 

札幌駅構内には札幌ドームで開催されているラグビーワールドカップ2試合4か国の歓迎横断幕が飾られて賑やかでした。

DSC07264 (2) 

ホームへ上がってみると9月末で引退が決まっている「クリスタルエクスプレス」による臨時特急「ラベンダーエクスプレス3号」が発車を待っていました。

DSC07267 (2) 

平成元年12月デビューだそうですから、長きにわたり良く頑張りましたね~。

DSC07265 (2) DSC07269 (2) 

「ラベンダーエクスプレス」を見送ってから、われわれは9時26分発の「区間快速いしかりライナー」に乗車。小樽には10時07分に到着。車両は731系通勤型交流電車でロングシートなのが残念でした。途中風光明媚な石狩湾に沿って走りましたが、窓ガラスが汚れていて美しい車窓の写真は撮れず~。

DSC07272 (2) 

小樽駅はまだまだ“昭和”の風情が色濃く残った感じでした。かつてC62型蒸気機関車重連が牽引して全国に名を馳せた急行「ニセコ」や、函館から稚内まで12時間以上かけて北海道を縦走していた急行「宗谷」、キハ82系の特急「北海」など、青函連絡船を介した対本州の名列車が発着した長大なホームはほぼ当時のまま!?。

DSC07273 (2) 

4番線の函館寄りには味のある古そうな駅名看板が残っていました。

DSC07279 (2) 

ホーム上には石原裕次郎の写真が。幼少期を小樽で過ごした縁で小樽に記念館があったそうですが、2017年8月末をもって閉館になってしまったそうです。

DSC07280 (2) 

さてここからは10時53分発の倶知安行きに乗車。

DSC07281 (2) 

かつての北海道2大幹線のひとつ函館本線と言えども、今や小樽から長万部まで直通する列車は夜の2本のみ。他の時間帯は必ず倶知安で乗り継がねばなりません。

やがて函館側から2両編成の気動車が入線して来ました。

DSC07282 

札幌側はキハ150系。JRになってからの1993年から1995年に27両造られた高出力車両です。

DSC07293 (2) 

内装も近代的。

DSC07295 (2) 

一方、函館側はキハ40系。旧国鉄によって1977年から1982年にかけて888両製造され、日本全国の非電化路線に投入された形式で、JR北海道は157両を承継しましたが今ではだいぶ数が減ってしまいました。

DSC07287 (2) 

車内は札幌圏の都市近郊輸送対応のためにシート配列が2+1に改造され、つり革が取り付けられていますが、それでも国鉄時代の雰囲気が色濃く残っています。

DSC07297 (2) 

出力は高出力のキハ150系が非力なキハ40系の2倍強。後ろから押してもらって峠を越えることになります。

DSC07291 (2) 

普通の旅行者なら新しくて乗り心地の良いキハ150系に乗るのが正解ですが、われわれは“鉄”の端くれですから敢えて国鉄型のキハ40系に座席を確保。

札幌からの「快速エアポート95号」が到着したら、乗り継ぎ客で車内はアッと言う間に満席になってしまいました。座れずに立っているお客さんも。驚いたのはスーツケースやリュックを担いだ外国人が多いこと。

DSC07277 (2) 

小樽を発車すると直ぐに上り勾配にさしかかりオモタイ峠越えになります。やっぱり窓ガラスが汚れていて車窓の写真が撮れないので、以下、2014年9月21日に撮った走行写真を織り交ぜて・・・。

(下は2014年9月、小樽~塩谷間のキハ150形)

IMG_7263 

最初の駅は塩谷駅。ホームは長大ですが無人駅。

DSC07298 (2) 

次の蘭島駅は海が近くてかつては海水浴時期には賑わったそうですが・・・。やはり無人駅。

DSC07299 (2) 

そして余市駅。ここは「山線」区間では小樽に次いで乗降客数が多くて有人駅。ニッカウヰスキーの工場の最寄り駅で、ここで外国人を含む大勢の方が下車して行かれました。

DSC07301 (2) 

次の二木駅、然別駅、銀山駅と無人駅が続きます。

DSC07303 (2) DSC07305 (2) 

DSC07307 (2) DSC07308 (2) 

下の写真は2014年9月に撮った然別~銀山間の「SLニセコ号」の写真。

IMG_7357 

小沢駅では初めて列車交換。キハ150系2連でした。

DSC07309 (2) 

DSC07311 (2) 

そして倶知安駅に12時10分に到着。ここでも外国人の方が多数降りて行かれました。

DSC07315 (2) DSC07316 (2) 

さて、ここから12時35分発の長万部行きに乗り継ぎ。乗り継ぎ時間が25分あるので駅周辺の散策が出来るかと思いきや、乗り継ぎ客が多くて既に乗車位置に列が出来ていました。長時間立ちっぱなしでは辛いので、そのままその列に付くことに。入線して来たのはキハ150系の単行でした。

DSC07318 (2) 

倶知安の次の比羅夫駅では外国人4人連れが下車。写真は撮れませんでしたが、駅の旧事務所は民宿になっており、ホーム横には離れの個室(コテージ)が。季節によってはホーム上でバーベキューが出来るそうで・・・。

以後、ニセコ、昆布、蘭越(らんこし)、目名(めな)、熱郛(ねっぷ)と無人駅が続きます。

DSC07319 (2) DSC07325 (2) 

DSC07327 (2) DSC07331 (2) 

2000年に有珠山噴火で室蘭本線が不通になった際にはこの函館本線山線が迂回ルートとして整備され、往年の賑わいを取り戻したことがありましたが・・・。

DSC07334 (2) 

かつての蒸気機関車の名撮影地、上目名駅は目名と熱郛の間に有りましたが、1984年に廃駅となりました。

DSC07338 (2) DSC07341 (2) 

乗り降りのほとんど無い昼下がりの車内はまったりムード。でもリュックやスーツケースを携えた旅行者が多くて満席です。

DSC07343 (2) 

DSC07352 (2) 

熱郛駅で単行のキハ150系と交換。

DSC07353 (2) DSC07355 (2) 

DSC07360 (2) 

かつては寿都鉄道の起点で優等列車も停車していた黒松内駅も今や無人駅。

DSC07361 (2)

次の二股駅は北海道内唯一のワラ1形有蓋貨物車を再利用した駅舎。

DSC07365 (2) 

DSC07366 (2) 

そして終点、長万部に14時07分着。

DSC07378 (2) 

DSC07371 (2) 

長万部は北海道の2大幹線、函館本線と室蘭本線の分岐駅で鉄道の要衝。かつては30両近い蒸気機関車が配置されていた長万部機関区を擁していましたが、今では閑散としていました。ホームの長さだけは昔と変わらず。

DSC07376 (2) 

DSC07380 (2) DSC07379 (2) 

側線に待機していたキハ40形は室蘭本線用。やはり1両編成。

DSC07382 (2) 

DSC07370 (2) 

やがて函館方向から4両編成の臨時特急「北斗91号」がやって来ました。臨時とは言えたった4両編成とは。

DSC07383 (2) 

キハ283系特急気動車は1995年から2001年にかけて製造された振子式車両です。

DSC07389 (2) 

今度は室蘭方向からDF200形ディーゼル機関車に牽引されたコンテナ貨物が側線に入線して来ました。

DSC07400 (2) 

それを追いかけるように14時35分発の「スーパー北斗12号」函館行きが入線して来ました。

DSC07402 (2) 

こちらは2006年から増備されたキハ261系1000番台。

DSC07408 (2) 

今度は「スーパー北斗12号」に道を譲ったコンテナ貨物が発車!。

DSC07411 (2) 

長~い貨物列車を眺めるのは楽しいものです。

DSC07421 (2) 

貨物列車を見送ってから遅いランチにしようかと駅前に出てみましたが、食事が摂れそうなお店は無し。

DSC07431 (2) 

長万部の駅弁は「かにめし」が有名ですが、今や駅や車中では駅弁は買えません。買えるのは街中のデパートやスーパーのイベント会場のみ。何かヘンです。

DSC07432 (2) 

結局昼抜きで15時23分発の「スーパー北斗13号」に乗り込むことに。

DSC07440 (2) 

南千歳で下車して2分の接続で「エアポート164号」に乗り換え新千歳空港へ。

DSC07442 (2) DSC07445 (2) 

当初の予定は札幌へ戻ってもう1泊し、9月23日月曜日の夕方に帰宅する予定でしたが、台風17号が真正面から迫って来たので急遽そのまま帰宅することに。23日中に帰れなくなって24日休診にする訳にもいきませんから~(涙)。

DSC07446 (2) 

ちなみに23日の北海道は大荒れの天気だったようですが、飛行機は欠航にならずに飛んだようでした。やれやれ~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

9月21日土曜日。曇り。朝は20℃、日中は23℃。

2週連続の3連休の入口、クリニックはとっても平穏でした。皆様連休でどこかへお出かけでしょうか。それとも大和市内の中学校が運動会だったから!?。診療終了時間にそのままアッサリ終了~。

診療終了後は急いで羽田空港へ。連休を利用して“乗り鉄”の旅に出発!。でも俄かに発生した台風17号の今後の進路がとっても心配。

DSC07211 (2)

羽田空港で友人と合流してJL523便札幌(新千歳)行きに搭乗。九州、沖縄方面では欠航便が出ていましたが、当便は10分遅れで無事離陸。機種はボーイング777-200でした。

DSC07212 (2) DSC07214 (2) 

空港からはエアポートライナーで札幌駅へ。到着後直ちに駅近のホテルに荷物を置いて夕食を摂りに街へ繰り出しました。駅頭や街中にはいつもは小柄な中国人が目立つのに今宵はやけに屈強で巨大な外国人がたくさん。それもそのはず札幌ドームではラグビーワールドカップが開催中で、本日21日はオーストラリアVSフィジー戦、そして明日22日はイングランドVSトンガ戦なのでした。

DSC07246 (2) 

われわれは今回も海の幸を堪能。

DSC07216 DSC07218 DSC07220 DSC07224 

DSC07222 DSC07228 DSC07231 

DSC07226 DSC07227 DSC07233 DSC07234 

明日の北海道地方は天気が良さそうですが問題は明後日の夜に無事帰れるかどうか。思案のしどころです~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日は夏の旅行の報告の続きを。前日8月11日はヘルシンキ空港近くで1泊して翌8月12日の早朝便でリトアニアの首都ヴィリニュスへ。

DSC05768 (3) 

7時45分発のフィンエアーAY1101便ヴィリニュス行きに搭乗。

DSC05769 (2) DSC05771 (2) 

機種はブラジル製のエンブラエル190型機100人乗りでした。写真は搭乗機の隣に駐機していた同型機。

DSC05776 (2) 

飛行時間は僅か1時間15分。航路上は殆ど雲の上でした。

DSC05784 (2) 

降下を開始して雲を抜けると眼下にリトアニアの大地が見えて来ました。

DSC05789 (2) 

予定通り朝9時に到着。降り立ってみると空気はヒンヤリとしていました。20℃までないかも知れません。こじんまりとした空港でターミナルビルはまるで鉄道の駅舎みたい。

DSC05794 (2) 

まずはヴィリニュスから30kmほどに位置するかつての首都トラカイを訪問。湖上の島に建てられたトラカイ城へ。

DSC05838 (3) 

14世紀後半に建設され、一時は廃墟になっていたそうですが近年復元されたそうです。橋を渡って入場。

DSC05808 (2) 

内部の撮影には入場料とは別に撮影料がかかるので写真はありません・・・。

DSC05815 (2) 

内部は広くて見応えがありました。

DSC05822 (2) DSC05831 (2) 

湖畔のレストランで昼食後、ヴィリニュスへ戻って聖ペテロ&パウロ教会へ。

DSC05841 (2) 

ロシアからの解放を記念して17世紀後半に建造されたヴィリニュスを代表するバロック様式の建築物。

DSC05848 (2) 

1668年から7年かけて建設。さらに内装に30年あまり。2000以上の漆喰彫刻が飾られています。

DSC05851 (2) 

教会前の交差点ではトロリーバスがポールを振りかざしながら左折中~。

DSC05879 (2) 

横浜市でも1959年から1972年まで走っていたので私は記憶にありますが、若い方は知らないかも。

DSC05882 (2) 

その後は小高い「3つの十字架の丘」へ。17世紀初頭に殉教者の死を悼み建てられた十字架は一旦スターリンによって破壊されましたが、1989年に再建。ここからはヴィリニュスの街が一望できます。

DSC05900 

城壁に囲まれたヴィリニュス旧市街を一渡り眺めてから旧市街へ。ヴィリニュスの旧市街は「歴史地区」として、1994年に世界ユネスコ文化遺産に登録されています。

DSC05889 (2) 

下の写真は、1503年から1522年の間に建てられた城壁にあった5つの門のうち現存する唯一の門「夜明けの門」。

DSC05906 (2) 

それを城内から見たところ。

DSC05911 (2) 

城門から旧市街へ入って行く道は観光客がたくさん。

DSC05910 (2)

下の写真、左手は聖アンナ教会、右手はベルナルディン教会。

DSC05919 (2) 

聖アンナ教会は形の異なるレンガを巧みに使った火焔式ゴシック建築の傑作・・・なんだそうです。

DSC05924 (2) 

旧市街のメインストリート、ピリエス通り。

DSC05940 (2) 

そして旧市街の中心、大聖堂へ。

DSC05944 (2) 

DSC05958 (2)

内部には聖カジミエルの礼拝所。

DSC05948 (2) 

正面の屋根にある聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの3聖人の像は、旧ソ連時代には撤去されていましたが、1996年に再設置されたそうです。

DSC05961 (2) 

さて今宵はこの近くのホテルに投宿しますが、長くなって来たので続きはまた後日~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日はこの夏休み期間のご報告を。

8月11日日曜日は早朝に家を出て成田空港へ。まずはフィンエアーAY072便でヘルシンキへ向かいます。定刻9時50分発でしたが15分ほど出発が遅れました。

DSC05639 (2) 

機種はA350-900。広々として静かなエアバスの新鋭機です。297席。

DSC05640 (2) 

飛行機ファンではないので細かなことは判りませんが、外部のモニターカメラが垂直尾翼に付いているようで斬新な視点から離着陸を見ることが出来たこと、一部のトイレに外が見える窓が付いていたこと、それに室内環境が良くなって静粛性が向上したことや、気温も湿度も適度に保たれて寒さに震えたり口が乾燥したりすることがなかったことなど、素人の私にも判る在来機種からの改善点がたくさん。

DSC05646 (2) DSC05657 (2) 

日本海を跨ぐと、あとは8割以上ロシア上空を飛び続けて9時間余り。雨のヘルシンキ空港に現地時間の午後2時過ぎに着陸しました。

DSC05665 (2) DSC05672 (2) 

ヘルシンキの空港ターミナルはあちらこちらで工事中で、ボーディングブリッジの無い工事現場のようなところに駐機。バスでターミナルビルに移動して入国手続きを済ませました。その後一旦空港直結のホテルにチェックインしてから早速ヘルシンキの街へ!。

空港発16時発のフィンエアーシティバスでヘルシンキ中央駅まで。所要20~30分。往復で12.60€。

DSC05680 (3) 

駅は時間の関係で外観のみ。残念~。

DSC05681 (2) DSC05685 (2) 

雨上がりのせいか気温は20℃を下回っていました。長袖の上着を着てちょうど良い位。早足で一生懸命歩いても汗が出ません。

街の中心部はトラムが頻繁に行き交っていました。

DSC05684 (2) 

下の写真右手の茶色い建物はヘルシンキを代表する老舗高級デパートのストックマン。北ヨーロッパ最大の売り上げと売り場面積を誇るデパートですが、ここも駆け足で・・・。

DSC05686 (2) 

街中ではデパートなどの大型商店や土産物店は開いていましたが、今日は日曜日のこととて17:00閉店のお店も多く、本場のmarimekkoのお店は既に閉まっていました。

 DSC05691 (2) 

ストックマンの角を港方向へ曲がると、広い中央分離帯部分の公園がエスプラナーデ公園。

DSC05688 (2) 

通り沿いには有名ブランド店やホテル、カフェ、土産物店、さらに大使館などの公的機関も。ムーミンカフェもチョッと覗いてみました。

DSC05692 (2) DSC05698 (2) 

右手に港を見ながら更に進むと左手に連邦政府庁舎と大統領宮殿。

DSC05701 (2) 

その先の小高い丘の上にはロシア正教のウスベンスキ寺院が聳え立っていました。

DSC05706 (2) 

DSC05712 (2) 

丘の上から来た道を振り返ったところ。

DSC05713 (2) 

運河には白鳥、そしてたくさんのカモメ。

DSC05702 (2) DSC05720 (2) 

港にはエストニアのタリンとを結ぶカーフェリーが入って来ました。

DSC05722 (2) 

さて少し戻ってヘルシンキ大聖堂へ。

DSC05726 (2) 

白亜の壁に緑のドーム。階段には多くの人が腰かけて寛いでいました。

DSC05734 (2) 

ヘルシンキ大聖堂の前にあるレストランで夕食。機内食がお腹に残っているのと時差を考慮してサラダとロールキャベツだけにしました。

DSC05739 (2) DSC05740 (2) 

DSC05741 (2) DSC05728 (2) 

食後はトラムを眺めながらヘルシンキ中央駅までのんびり歩いて戻り・・・。

DSC05745 (2) 

DSC05748 (2) DSC05752 (2) 

DSC05756 (2) 

来た時と同じフィンエアーシティバスで空港のホテルへ戻りました。

今回ヘルシンキは単なる中継地点。明日は朝4時に起きていよいよリトアニアに向かいます。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて2月17日日曜日には京都鉄道博物館までC62形蒸気機関車の2号機を見に行きましたが、当然他の展示車両たちにも挨拶して来ました。

京都鉄道博物館は大阪弁天町にあった交通科学館と京都の梅小路蒸気機関車館を合体させて平成29年4月29日にオープンしたJR西日本の施設。もう直ぐ3月16日には目の前に「梅小路京都西駅」が開業する予定。

P2170667 (2) 

エントランスを入ると目の前にC62形蒸気機関車の26号機が鎮座。ここには日本最大の旅客用蒸気機関車C62形が1号機、2号機、26号機の3台も保存されているのです。

P2170529 (2) 

以下、歴代の車両がズラリと。いちいち解説し始めると止まらないので、敢えて写真だけ羅列させて頂きます~。

P2170532 (2) P2170536 (3) P2170538 (2) 

P2170666 (2) P2170533 (2) 

P2170539 (2) P2170544 (2)

P2170546 (2) P2170551 (2) 

P2170671 (2) P2170658 (2) 

P2170549 (2) P2170661 (2) P2170662 (2)

P2170554 (2) P2170565 (2) 

P2170567 (2) P2170674 (2)

現役のJR四国のキロ185-26は2月2日から3月3日までの期間限定の特別展示。

P2170562 (2) 

さて今度は本館から扇形車庫へ。後姿はC612とC56160。

P2170576 (2) 

現在保存車両は動態保存車両8両(営業運転車輛3両)を含む20両。全てを屋内に収容するのは困難。

P2170580 (2) P2170585 (2) 

P2170633 (2) P2170640 (2) 

P2170643 (2) P2170655 (2) 

P2170599 (2) P2170601 (2) P2170603 (2) 

P2170605 (2) P2170619 (2) P2170621 (2) 

P2170623 (2) P2170625 (2) P2170627 (2) 

現在SL検修庫ではD51200が修理中でした。

P2170637 (2) P2170629 (2) P2170632 (2) 

さらに写真はありませんが、SL第2検修庫ではC571がバラバラ状態になっていました。

ここに来るといつもアッと言う間に時間が経過してしまいます~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

クリニックの私の部屋の壁には今年も性懲りもなく蒸気機関車のカレンダーが架けてあります。「昭和を駆け抜けた国鉄の名列車カレンダー」の2月は急行「ニセコ」でした。

DSC03288 (2) 

先頭に立つのはC62形蒸気機関車の2号機。知る人ぞ知る、国鉄蒸気機関車のスーパースターです。

DSC03287 (2) 

引退後は昭和47年の鉄道100年を期してオープンした京都の梅小路蒸気機関車館(現、京都鉄道博物館)で保存されていましたが、最近になって大規模修繕を受け昨年11月に約1年半ぶりに復帰。久しぶりに僚機と4両交代で構内運転の役割の一端を担うことになりました。この機に友人と見に行く機会を伺っておりましたが、前もっていつ運用に就くか判らない上に、こちらのスケジュールや天気、気温、日照時間などを考慮して、やっと2月17日日曜日にそのチャンスが巡って来ました。

朝10時東京駅発の「のぞみ」で昼過ぎに京都入り。駅近くで昼食を摂った後、やおら京都鉄道博物館へ。普段の行動パターンに比べると随分ノンビリですが、それは閉館前のターンテーブルでの転回を見ることが最大の目的だから。

京都鉄道博物館の新館を一渡り見てから扇形機関庫へ。構内展示運転のSLスチーム号の仕業に就く火の入ったC622と久しぶりに対面しました。

P2170591 (2) 

檻の中のライオン状態とは言え、日本最大の旅客用蒸気機関車は威風堂々、周囲を圧倒する迫力があります。

P2170590 (2) 

デフレクター(除煙板)の燕マークは、かつて東海道本線で特急「つばめ」を牽引していた頃に取り付けられたもの。

P2170594 (2) P2170595 (2) 

3軸の動輪は国内最大の直径1750mm。

P2170606 (2) 

油で鈍く光る足回りは、公園の静態保存機とは異なり“生きている”証拠です。

P2170596 (2) 

全長21.48m、重量145.2t、最大出力2163PS、最高速度100km。

P2170587 (2) 

年代的には私自身はC62形の現役時代にギリギリ間に合わなかった世代。あと数年早く生まれていれば・・・。

P2170683 (2) 

P2170685 (2) 

もちろん周囲の親子連れに混じって、変なオジさん2人連れも構内運転のトロッコに乗り込んで喜んでおりました。

P2170638 (2) 

さて本日最後の展示運転が終わると、静々とターンテーブルへ。

P2170696 (2) 

P2170698 (2) 

P2170701 (2) 

ピタッとド真ん中に乗ったところで転回開始。

P2170704 (2) 

ゆっくりとサービスで2回転。

P2170707 (2) P2170710 (2) 

145tの巨体が軽々と回転します。

P2170712 (2) P2170713 (2) 

P2170714 (2) P2170715 (2) 

P2170716 (2) P2170717 (2) 

途中で汽笛吹鳴のサービスも。

P2170718 (2) 

P2170719 (2) P2170720 (2) 

P2170722 (2) P2170730 (2) 

P2170731 (2) P2170733 (2) 

そしてバックで整備線へ。

P2170740 (2) 

P2170748 (2) 

P2170752 (2) 

ここで給水、給炭、火床整理(カマ替え)。

P2170757 (2) 

その後、再度ターンテーブルで転回の後、バックで今夜の寝床となる留置線へ。

P2170767 (2) 

兄弟機、C61形と並びました。

P2170770 (2) 

P2170773 (2) 

この時点で閉館まではあと僅かの時間。

P2170789 (2) 

京都鉄道博物館を後にして、京都駅から新幹線「のぞみ」に乗車。真っ暗になった車窓を眺めながら帰路に就いたのでした。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

2月11日月曜日。前日網走から札幌入り。明けて札幌は晴れたり曇ったりの不安定な天気でした。最高気温は-3℃でしたが、-19℃を体験した身には大したことありません!?。

DSC02865 (2) 

下は朝6時半頃の札幌駅南側。

DSC02867 (2) 

下は小樽側を見たところ。

DSC02869 (2) 

急いで朝食を済ませて札幌発7時49分のライラック3号に乗車。

DSC02888 (2) 

途中、晴れて青空が見えたかと思ったら次の瞬間に吹雪になったりで、とっても不安定な天候の中を789系6両編成は軽やかに疾走。

DSC02909 (2) 

岩見沢、美唄、砂川と蒸気機関車の時代を知る世代には懐かしい駅に停車しつつ・・・。

DSC02911 (2) DSC02915 (2) 

滝川駅には8時41分着。滝川は帯広、釧路を経て根室に至る根室本線の起点駅です。

DSC02924 (2) 

でも2016年8月の台風10号の被害で、未だに東鹿越~新得間は不通になったまま。そのまま廃止が取り沙汰されています。

DSC02930 (2) 

折しも根室本線のローカル列車が到着。

DSC02931 (2) 

キハ40単行ですが、雪で顔が良く判らないので・・・。

DSC02934 (2) 

後ろへ回ってみましたが、こちらはもっと真っ白でした。

DSC02935 (2) 

駅前ローターリーにいたタクシーを捕まえて、ここから約4km、10分ほどで札沼(さっしょう)線の終点、新十津川駅に到着!。

DSC02943 (2) 

かつては函館本線の札幌の隣駅である桑園駅から留萌本線の石狩沼田までを結んでいましたが、1972年(昭和47)年6月に新十津川~石狩沼田間が廃止され、それ以降新十津川駅を行き止まりとする長大な盲腸線となってしまいました。

DSC02945 (2) 

近年は札幌近郊の沿線はベットタウン化が進み、さらに北海道教育大学札幌校や北海道医療大学など学校が数多くあることから、北海道医療大学駅までは電化されて6両編成の電車が走る近代的な路線に変貌しています。1991年(平成3年)からは「学園都市線」(がくえんとしせん)という瀟洒な愛称で呼ばれています。

一方電化されなかった北海道医療大学駅 ~新十津川駅の末端区間は、2020年5月7日付で廃線となることが決定して明暗を分けることに。そんな訳で今回は乗り納めに来た次第。

駅舎内に掲げられて時刻表を見ると・・・!。

DSC02947 (2) 

2016年(平成28年)3月のダイヤ改正以降、浦臼駅 ~新十津川駅間は1日1往復のみの運行となっています。10時ちょうどの上り始発列車は日本一早い最終列車でもあるのです。

本来は無人駅ですが、平日は午前9時から正午まで、土・日・祝日は午前9時から午後3時まで観光案内所がオープン。

DSC02948 (2) 

入場券の販売や終着駅到達証明書の発行を行っています。

DSC03071 (2) 

窓口の上には札沼線のポスターが。存続をかけて様々な努力がなされた様ですが、残念なことに2018年(平成30年)10月12日までにすべての沿線自治体が廃止を容認・・・。

DSC02962 (2) 

廃線が決まってから新十津川駅の乗降客数が急増。カレンダーに記入された降車人数を見れば、今年になってから日曜日には22~43人もの降車人数を記録している模様。

DSC02957 (2) 

さて列車到着前に人気の無いホームへ。下は札幌方向を見たところ。

DSC02949 (2) 

そして下は反対方向の線路の終点、石狩沼田方向を見たところ。

DSC02950 (2) 

ホームから駅舎を見れば、こじんまりとした典型的ローカル駅舎の姿。

DSC02956 (2) 

写真だけ見ていると人煙希なる秘境駅に見えるかも知れませんが、実はここは新十津川町の中心。直ぐ裏手には6階建ての立派な空知中央病院(下の写真の右側に見える建物)が聳え、近くには図書館や町役場も。

DSC03009 (2) 

つまり人が居なくなって利用されなくなったのでは無く、利便性の点で振り返られなくなった訳で、厳しい現実が・・・。

9時28分に下り1番列車かつ最終列車が到着。

DSC02967 (2) 

次々に乗客が降りて来ましたが・・・。

DSC02974 (2) 

やはり地元の方はいらっしゃらないようでした。

DSC02978 (2) 

車両はキハ40系気動車の402番。国鉄時代の1980年1月富士重工製です。

DSC03005 (2) 

登場時は全国均一の朱色(いわゆる首都圏色)を身に纏っていましたが、現在はJR北海道標準色を基本に扉も黄緑色に塗った特別色。

DSC02979 (2) 

1992年8月にワンマン化改造、1996年3月に札沼線末端区間用強馬力化改造を受けた車両。

DSC02986 (2) DSC02987 (2) 

改造は受けていても車内は国鉄時代そのもの。窓は二重窓で窓下には灰皿を撤去したネジ穴跡が。

DSC02983 (2) 

下は二重窓から駅舎を眺めたところ。

DSC02988 (2) 

冷房は無し。扇風機には国鉄のJNRマークがそのまま。

DSC02985 (2) 

下り列車を運転して来た運転士さんが上り方の運転台に乗り込み・・・。

DSC03017 (2) 

10時00分の定刻に発車。乗客はボックスあたり2~3人程度で、ほぼ100%同業者でした。

DSC03019 (2) 

車窓は真っ白な雪景色。

DSC03031 (2) 

沿線には結構人家が有りますが、途中駅での乗降客は無し。

DSC03033 (2) 

間違って途中下車でもしようものなら・・・。

DSC03024 (2) 

明朝まで列車は来ませんのでご注意を~。

DSC03037 (2) 

豊ヶ丘駅周辺は丘陵地帯でしたが、それ以外は広大な北海道らしい風景が広がっていました。

DSC03040 (2) 

下は豊ヶ丘駅舎。

DSC03039 (2) 

11時17分に北海道医療大学駅に到着。ここから先は電化区間に入ります。乗って来た気動車は1つ先の石狩当別まで行きますが、多くの乗客はここで電車に乗り換え。

DSC03054 (2) 

隣のホームには721系近郊形交流電車6両編成が待っていました。

DSC03056 (2) 

11時29分発札幌行きは、それまでの気動車とは異なり静かで軽快な走り。

DSC03057 (2) DSC03058 (2) 

途中駅では次々と乗客が乗り込んで来て、札幌に12時15分に到着するころのは6両編成なのに座れない乗客がたくさん。若い人が多いのはやはり学校が多いからでしょう。

札幌で途中下車して昼食後、新千歳空港へ。

DSC03065 (2) DSC03051 (2) 

雪祭り最終日の午後、新千歳空港は大混雑でした。新千歳16時00分発JAL516便はボーイング767-300。羽田には17時40分着。

DSC03077 (2) DSC03079 (2) 

北海道よりも気温ははるかに高いはずですが、やっぱり風が吹けば寒いのでした~。完。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日は2月10日日曜日の網走行きの続きを。流氷砕氷船を降りて今度は能取岬へ向かいました。2016年10月以来の再訪。見覚えのある縞々の灯台が見えて来ました。

DSC02760 (2) 

不思議とこの辺りには雪が積もっていませんが、何と風が強過ぎて極寒地のパウダースノーは吹き飛ばされてしまうのだそうです。

DSC02762 (2) 

ここからも斜里岳が見えました。

DSC02770 (2) 

灯台の先の断崖まで行くと、流氷の漂うオホーツク海が一望のもと。

DSC02765 (2) 

天気が良いので青と白のコントラストが美しい~。

DSC02772 (2) 

写真だけ見ているとあまり寒く無さそうに見えるかも知れませんが・・・。

DSC02782 (2) 

今日の最高気温は-7℃。そこに風が吹けば体感的には・・・寒くないはずがありません。

DSC02792 (2) 

セーター、ダウン、さらにその上に古いスキーウェアを纏っているので、太って見えるかも知れませんが「誤解」しないで下さいませ~。

DSC02777 (2) DSC02779 (2) 

下の写真は、海岸線まで降りて先ほどの能取岬を見たところ。

DSC02799 (2) 

さてそこから女満別空港へ戻って遅めの昼食。空港からも斜里岳が見えましたが、見る場所によって姿が変わります。

DSC02805 (2) 

14時10分発札幌行きJAL2714便に搭乗。

DSC02804 (2) 

使用機が遅れて到着。

DSC02813 (2) 

そのために出発は5分遅れ。使用機材はブラジル製の「エンブラエル170」76人乗り。

DSC02815 (2) 

札幌新千歳空港までは僅か50分のフライト。新千歳空港からはJR北海道で札幌駅までは37分。

DSC02832 (2) 

なぜわざわざ札幌に!?。そう、今日は雪まつり最終日でした。

DSC02850 (2) 

会場内は国内外からの観光客で混雑していました。

DSC02856 (2) 

このご時世だからかプロジェクションマッピングを多用したものが多くて、純粋な雪像で見せるものは少なめ。

DSC02859 (2) DSC02861 (2) 

DSC02862 (2) 

混んでるし寒いしでそこそこでホテルへ逃げ帰りました。明日はチャンと“鉄”します~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日は先日の網走行きの続きを。2月10日日曜日の網走地方は晴れ。昨夜女満別空港から網走入り。記録的な寒波に見舞われた一昨日ほどではないにしても、かつて経験したことが無いほどの冷え込みです~。

DSC02628 (2) 

網走は朝7時30分時点で-14.7℃!。

DSC02631 (3) 

今日の最高気温は-7℃だそうで・・・。

DSC02634 (2) 

ホテルの窓から外を見ると晴れてそれほど寒そうには見えませんでしたが、外に出てみると・・・ギョギョ!!。

DSC02638 (3) DSC02639 (3) 

まずは流氷観光砕氷船「おーろら」の第一便9時30分発に乗船するために、ホテルからほど近い乗船場へ。乗船場は道の駅「流氷街道」に併設されています。

乗船場から見る海はとっても寒そう。

DSC02640 (2) 

水は冷たそうでもカモメなどの海鳥は元気。でも良く考えてみれば水温の方が外気温よりはるかに暖かいはずで、現に水面からは水蒸気が立ち込めていました。

DSC02641 (2) 

砕氷船は2隻体制で、われわれが乗船した「おーろら」は後続の「おーろら2」を残して予定時間より早く出航しました。

DSC02646 (2)

写真は後続の「おーろら2」ですがわれわれが乗船している「おーろら」もほぼ同型。

DSC02648 (2) 

港内を氷を割りながら進行。

DSC02650 (2) 

後方を見ると航跡がくっきりと残っています。

DSC02651 (2) 

港の出口付近も氷に覆われていました。

DSC02653 (2) 

港から出ると彼方には知床半島の付け根にある斜里岳(標高は1547m)の姿がクッキリ。

DSC02655 (2) 

船は文字通り“砕氷”しながら沖合の流氷帯を目指します。

DSC02660 (2) 

割れた氷が氷上を滑って行きます。

DSC02664 (2) 

DSC02665 (2) 

やがて沖合に見えていた流氷帯に到達。減速して流氷帯に突入しました。

DSC02672 (2) 

それまでの薄氷だったのが一気に厚くなりました。

DSC02680 (2) 

一面に広がる氷に覆われた海原はなかなか壮観です。

DSC02690 (2) 

乗客は日本人よりも外国人の方が多いくらいで国際色豊か。

DSC02687 (2) 

寒さは厳しくとも乗客達のテンションは異様に高め。特に暖かい国々から来たと思われる人達は極寒を存分に楽しんでいるようでした。

DSC02709 (2) 

船は方向を変えながらゆっくり航行。

DSC02717 (2) 

流氷帯の中を縦横に航行してくれました。

DSC02721 (2) 

DSC02733 (2) 

やがて流氷帯を出て加速。

DSC02741 (2) 

港に向かって帰路に。

DSC02743 (2) 

出航から約1時間後に帰港。

DSC02751 (2) 

なかなか充実したクルーズでした。

DSC02753 (2) 

日によっては流氷帯が遠ざかって見られないことも多いそうですが、今日はとってもラッキーでした。

DSC02757 (2) 

さて場所を変えて流氷を眺めようと思いますが、長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

前日までの厳しい寒さがウソのように2月4日月曜日の朝は13℃、日中は19℃まで上がって4月中旬並みの気温。その翌日の2月5日火曜日の朝は4℃、日中は11℃と気温が乱高下。そしてその週末の2月8日金曜日から更に全国的に寒波に見舞われて厳しい寒さとなり、2月9日土曜日の朝は氷点下で当地でも雪が降りました。

そんな中、2月9日土曜日の診療終了後は羽田空港へ。空港で友人と合流して記録的寒波に見舞われている北海道へ向かいます。計画段階ではまさかこんな日になるとは思ってもみませんでした。

東京発17時45分発女満別行きJAL569便はボーイング737-800。

DSC02611 (2) 

昨日からの寒波の影響で、北へ向かう便の中には欠航が目立ちましたが、時折雪が強く降る中を無事に羽田を離陸。昨年はこの段階で欠航になって断念した経験がありましたので飛び立っただけでホッとしました。

DSC02614 (2) DSC02615 (2) 

羽田で離陸までに時間を要したので定刻19時30分より少々遅れて女満別空港に到着。

空港建物外の温度計はマイナス19.3℃でした!!。

DSC02617 (2) 

今宵は網走バスターミナル近くのビジネスホテルに投宿。ホテル内で夕食は摂れないので、装備を固めて凍てつく街へいざ出撃!。外は歩いている人の姿はほとんど無し。足元の雪は日中でも解けないので凍結することなく滑りません。

DSC02623 (2) 

でも寒さは尋常ではありません。ううっ、とても遠くまでは行けず、最寄りの居酒屋さんに飛び込みました。

北海道では建物内の暖房は本州よりも強めで、厚着をしていると汗ばむくらい。しばし海の幸を楽しんで・・・。

DSC02621 (2) 

暖かい店内から外へ出ると、来た時よりも一段と寒く感じました。

DSC02624 (2) 

小走りにホテルまで帰って大浴場に~。

明日は流氷を見に出かけます。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日はだいぶ古いネタになってしまいましたが、1月14日成人の日の最終回を。

アイランドホッピング2日目の午後は、まず沖縄那覇12時50分発のRAC0853便で奄美大島へ。

DSC02312 (2) 

ここから飛行機が変わってDHC8-Q400CCで50人乗りのプロペラ機。

DSC02315 (2) 

開発はカナダのデ・ハビランド・カナダ社、その後会社の売却、再編により製造はボンバルディア・エアロスペース社。RACでは2016年2月に導入開始されたそうです。

DSC02319 (2) DSC02321 (2) 

プロペラは効率の良い6枚ブレード。

DSC02322 (2) 

DSC02323 (2) DSC02327 (2) 

室内は狭いけれど足回りにはゆとりがありました。

DSC02330 (2) 

またもや座席はエンジンの横。プロペラが頑張って回転しているところや車輪が格納される様子が目の前で。

DSC02328 (2) DSC02331 (2) 

上空へ上がってしばらくすると、雲が少なくなって青い珊瑚礁が眼下に見えました。

DSC02332 (2) 

機内では本日初めての飲み物サービスも。

DSC02342 (2) 

飛行時間はたったの50分。車輪が出て来て着陸~。

DSC02371 (2) DSC02372 (2) 

奄美大島着は予定の13時50分より10分ほど早着でした。

DSC02375 (2) 

晴れて朝より気温は上がって19℃になっていました。

DSC02378 (2) 

さて次の喜界島行きは15時25分発。ここで今回のホッピングで最長の1時間35分の乗り継ぎ時間が!。

DSC02381 (2) 

この時間を有効に使わないと・・・と言うことで、近くの“あやまる岬”まで足を延ばして来ました。

DSC02382 (2) 

DSC02385 (2) DSC02387 (2) 

既に陽射しは弱まっていて海の青さはもう一つでしたが・・・。

DSC02389 (2) 

それでも十分に美しい海。

DSC02391 (2) 

上空から見るのと違って潮風を体感出来ました。

DSC02393 (2) 

さらにその先の笠利埼灯台へ。

DSC02396 (2) 

海岸から見上げるとはるか高い場所に灯台が見えました。

DSC02410 (2) 

タイムリミットが迫る中、坂道をぜーぜーしながら小走りで上がると・・・。

DSC02408 (3) DSC02397 (2) 

灯台の建物は何の変哲もないもの。

DSC02407 (2) 

でもそこからの眺望は絶景でした。

DSC02400 (2) 

ここで小休止する間も無く・・・。

DSC02401 (2) 

来た道を海岸まで速足で下りて空港へ。今度は奄美大島15時25分発のJAC3835便で喜界島へ。

DSC02411 (2) 

機種は今回初登場のSAAB340B。

DSC02415 (2) 

JALグループ最小の36人乗りのプロペラ機です。

DSC02417 (2) 

DSC02419 (2) DSC02421 (2) 

座席配置は右2列、左1列。満席でした。

DSC02423 (2) 

プロペラ機らしいやや高めのエンジン音で離陸、上昇。

DSC02429 (2) 

・・・したと思ったら、ベルト着用サインが消える事無く着陸態勢に。それもそのはず喜界島までは所要20分ですが、実際には離陸後10分で着陸。CAの方が離陸時に座ったきり着陸までそのままという飛行機には今回初めて乗りました。

DSC02431 (2) 

15時45分着。曇りで19℃でした。

DSC02433 (2) 

今回の2日間のホッピングツアーではここが唯一の出番だったSAAB340Bは人気者。老若男女、多くの方がカメラを向けていました。

DSC02435 (2) 

DSC02436 (2) DSC02438 (2) 

空港ターミナルは今回最小。

DSC02439 (2) 

DSC02442 (2) 

さて次の鹿児島行きは17時00分発なので、ここでも1時間15分ほどの乗り継ぎ時間が!。

DSC02444 (2) 

・・・ということで、ここでも急いで島の展望台へ上がってみました。

DSC02447 (2) 

上がってみれば意外に高低の大きな島なのでした。

DSC02454 (2) 

綺麗に区画されたサトウキビ畑が広がっていました。

DSC02457 (2) 

最高地点からは太平洋が一望のもと。

DSC02459 (2) 

DSC02460 (2) 

さて急いで空港へ戻って手荷物検査を受け、小さな出発ロビーに入ると直ぐに搭乗が始まりました。

DSC02465 (2) 

今度は喜界島17時00分発JAC3784便で鹿児島へ。

DSC02468 (2) 

機種は今回最もお世話になってお馴染みになったATR42-600。

DSC02470 (2) 

離陸すると眼下にはサトウキビ畑。

DSC02485 (2) 

そして空港とは対角線上にある太平洋に面した港が。

DSC02491 (2) 

屋久島上空を過ぎたところで日没。

DSC02498 (2) 

下の写真は屋久島。さすがに鬱蒼とした大きな島です。

DSC02499 (2) 

街の明かりが灯る鹿児島市内を眼下に見ながら鹿児島空港には18時05分に着陸。天候は晴れ、気温は14℃でした。そして今回最後のフライトは鹿児島18時40分発 JAL0652便東京行き。

DSC02515 (2) 

機種はボーイング767-300。261人乗り。

DSC02517 (2) 

普段乗り慣れたサイズの飛行機がやたら巨大に見えました。羽田着20時10分着。羽田は曇りで8℃でした。

DSC02531 (2) 

今回2日間乗り詰めで計14フライトをこなしましたが、意外に、体力的にも精神的にもまだまだ行けそうな感じ(!?)なのでした。もちろん“強がり”ではありません。また次のフライトを考えます~。完。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

今日は先月のアイランドホッピングの続きを。1月14日月曜日。鹿児島地方は晴れ。朝の気温は6℃。成人の日の朝5時代、鹿児島中央駅はまだひっそりとしていました。

DSC02128 (2) 

鹿児島中央のバスターミナル6時10分発の空港行きシャトルバスは満席でした。3連休最終日で、昨日は「指宿なのはなマラソン」や地元の成人式があったため普段より混雑している様子でした。

DSC02130 (2) 

鹿児島空港までノンストップで所要38分。鹿児島空港には夜明け前の6時48分着。ターミナルビルの一番はずれの離島便発着ゲート付近には小型プロペラ機が集結していました。

DSC02141 (2) 

噴煙が上がっているのは霧島あたりでしょう。

DSC02145 (2) DSC02146 (2) 

2日目最初のフライトは7時20分発JAC3721便奄美大島行き。

DSC02135 (2) DSC02137 (2) 

空港ターミナルから飛行機へ向かう連絡バスの乗客は半数が昨日から見知ったアイランドホッピングの方々でした。

飛行機は昨日もお世話になったATR42-600。48人乗りのプロペラ機です。

DSC02154 (2) DSC02155 (2)

離陸に合わせたように太陽が顔を出しました。

DSC02159 (2) 

上空から見る霧島付近は、文字通り“霧”が立ち込めていました。

DSC02176 (2) 

白く見えるのが谷間に立ち込める霧。

DSC02181 (2) 

旋回して南南西に進路を変えると、吹上浜あたりから東シナ海が見えました。

DSC02191 (2) 

そして枕崎上空を通過。

DSC02194 (2) 

本日鹿児島から奄美大島、徳之島、沖永良部島を経由して沖縄那覇まで飛ぶのは同じ飛行機、同じクルー。昨日も逆ルートで同一経路を飛んでいるので、以下のレポートは簡単に。

奄美大島には定刻の8時35分より5分ほど早く到着。

DSC02204 (2) 

天候は曇り。気温は15℃。

DSC02209 (2) 

さらに奄美大島発9時05分発JAC3841便で徳之島へ。鹿児島からの乗客に加え、奄美大島から乗って来られた乗客で満席でした。

DSC02211 (2) 

雲の上に出たと思ったら直ぐ降下。徳之島着9時35分。曇りで17℃。

DSC02222 (2) DSC02224 (2)

徳之島からは10時05分発JAC3711便で沖永良部島へ。

DSC02229 (2) 

離陸したと思ったら雲の上にも上がらないまま直ぐに着陸態勢に。予定の10時35分より10分近く早着。雨がパラついていました。気温は18℃。

DSC02243 (2) 

DSC02244 (2) 

そして沖永良部島11時05分発JAC3716便で沖縄那覇へ。ところでこのATR42-600の最前列のシート2席は何故かやや高い位置で対面の配置。いつもここに座る方はいつも居心地が悪そうです。

DSC02200 (2) DSC02251 (2) 

DSC02252 (2) 

離陸後すぐに眼下に鹿児島から奄美、沖縄を結ぶマルエーフェリーA“LINEの姿が見えました。飛行機が無い時は船が唯一の交通手段だったことでしょう。

DSC02257 (2) 

那覇までは距離があるので一気に雲の上まで。しばらくすると雲が途切れて小さな島々がのぞめました。

DSC02263 (2) 

沖縄本島に差し掛かるとまた雲が多くなって来ました。沖縄那覇には11時50分着。晴れて気温は20℃まで上がっていました。那覇ではさすがに連絡バスで空港ターミナルへ。

DSC02305 (2) 

近くにはJTAの青い「ジンベエジェット」。

DSC02307 (2) 

次の奄美大島便までは1時間あります。この隙にランチを摂るしかありませんが、出発ロビー内はどこも混雑。結局売店でゴーヤ肉まんとポーク玉子おむすびを購入して搭乗ゲートのベンチでランチを摂ることに。

DSC02310 (2) 

チョッと長くなって来たので、2日目後半戦のレポートはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日も1月13日日曜日のアイランドホッピングの続きを。東京羽田から福岡、沖縄那覇で乗り継いで沖永良部に13時20分着。

沖永良部では到着して空港外観を眺め、空港内のお土産物屋さんを覗けばもう時間がありません。

次に乗るのは沖永良部島13時55分発徳之島行きJAC3710便。直ぐに手荷物検査を受けて小じんまりとした出発ロビーへ。

DSC01993 (2) 

出発ロビーにはアイランドホッピングルートのポスターが。沖縄(那覇)-沖永良部ー徳之島線は2018年7月1日に新規開設されたばかり。

DSC01994 (2) 

ここでも優先搭乗制は堅持されていて、優先搭乗の方々が先に滑走路上を歩いて飛行機へ。

DSC01995 (2) 

飛行機では貨物室に貨物コンテナを積み込み中。

DSC01997 (2) 

下は振り返って小じんまりとした空港ターミナルを見たところ。

DSC01998 (2) 

沖縄(那覇)-沖永良部ー徳之島ー奄美大島までが同一の飛行機、同一のクルーで運行されていますので、同じCAから“おかえりなさい”と声を掛けられました。

驚いたことに乗客も半数は同じ顔ぶれ。つまりこの時点で乗客の大半がホッピング行程を辿る物好き(おっと失礼〜)である事が判明。

DSC01999 (2) 

離陸準備が整えば、今までの飛行場のようにほかの飛行機が居ないので、さっさと離陸。

DSC02002 (2) 

上空から眺めた沖永良部島はなかなか良さそうなところで、改めてゆっくり訪れたいところ。

DSC02003 (2) 

眼下には青いサンゴ礁。

DSC02005 (2) 

ところで機内誌はJAL公式の立派なものの他に、JAC独自の職員手作りの機内誌“ゆいタイム”が置かれていました。

DSC02007 (2) 

見開きのパンフレットのようなものですが、手作り感があってなかなか良い企画。

DSC02008 (2) DSC02009 (2) 

当然JALの機内誌の中の就航機種のラインナップにもこの飛行機がチャンと載っていました。

DSC02012 (2) 

離陸して水平飛行になったと思ったら直ぐ着陸態勢に。

DSC02013 (2) DSC02015 (2) 

右旋回したら前方に徳之島が見えて来ました。

DSC02018 (2) 

沖永良部よりだいぶ大きな島のようです。

DSC02022 (2) 

やがて着陸。徳之島には14時25分着。曇りで気温は21℃。

DSC02025 (2) DSC02026 (2) 

歩いて空港ターミナルに行くのは沖永良部と一緒。

DSC02030 (2) 

右後ろ姿は初めて拝みました。

DSC02032 (2) 

子だくさんの家が多いことから徳之島空港の愛称は“徳之島子宝空港”。鹿児島からはジェット機も就航していました。

ここでも乗り継ぎ時間は30分しかありませんので、空港の外観写真を撮って直ぐに手荷物検査を受けて出発ロビーへ。

DSC02037 (2) 

ここは出発ロビー内にもお土産物屋さんが完備されていました。

DSC02042 (2) 

アイランドホッピングルート開設の横断幕も。

DSC02041 (2) 

今度は徳之島発14時55分のJAC3842便で奄美大島へ。

DSC02046 (2) 

やはり同じ飛行機同じクルーです。

DSC02050 (2) 

鹿児島行きのジェット機を見送ってから離陸。

DSC02052 (2) DSC02053 (2) 

眼下に見える徳之島には結構大きな集落が。

DSC02057 (2) 

割と高い山もあるようでした。

DSC02058 (2) 

海岸線はゴツゴツしているようで。

DSC02062 (2) 

離陸したと思ったらまたまた直ぐに着陸態勢に。

DSC02071 (2) DSC02072 (2) 

奄美大島には15時25分着。晴れで気温は21℃。さすがに奄美空港は大きな空港でした。搭乗口は7つ。当然ボーディングブリッジもありました。

DSC02076 (2) 

そして本日最後のフライトは奄美大島発16時10分JAL3732便。鹿児島へ向かいます。

DSC02078 (2) 

機種はEmbraer 170で76人乗り。ブラジル製のジェット機です。

DSC02079 (2) 

DSC02082 (2) DSC02083 (3) 

やはりキャビンアテンダントは1人でした。座席は左右2席ずつ4席。

DSC02086 (2) 

下は機内から見た奄美空港。

DSC02087 (2) 

ジェット機らしく力強い離陸。

DSC02088 (2) 

みるみる高度を上げて・・・。

DSC02091 (2) DSC02092 (2) 

雲を突き抜けました。

DSC02094 (2) 

そして程なく降下開始。16時40分にはベルト着用サインが点灯。

DSC02101 (2) 

夕陽に染まった韓国岳(からくにだけ)が見えればもう鹿児島空港。

DSC02105 (2) 

鹿児島には17時00分着。曇り時々晴れで13℃。

DSC02107 (2) 

DSC02111 (2) 

ということで、朝6時15分に羽田を飛び立って6フライトをこなして夕方5時00分に鹿児島着。

シャトルバスで鹿児島市内までは約40分。鹿児島中央駅のJR九州のホテルにチェックイン。

DSC02113 (2) 

チョッと鹿児島市電に挨拶をしてから、安易にも駅構内で黒豚の定食を頂いて早々にホテルに戻りました。でも飛行機に乗り過ぎて少々精神的に興奮気味なのか熟睡出来ず。

DSC02120 (2) DSC02122 (2) 

まだこれで行程の半分。明日も早朝からフライト三昧の予定です。続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今日は1月13日日曜日の続きを。

那覇空港出発ロビー内で腹ごしらえをしたのち、今度は沖縄那覇発12時25分発JAC(日本エアコミューター)3715便で沖永良部島へ向かいます。券面に書かれた28番ゲートを探すと・・・ボーディングブリッジは無くて階下のバス乗り場でした。

DSC01929 (2) 

他の便と同じく優先搭乗の方から搭乗開始になりましたが、連絡バスに“優先搭乗”するだけ。

DSC01931 (2) 

結局1台の同じバスで滑走路上に駐機する飛行機へ向かい、バスを降りれば優先も何もなく、後からバスに乗ったわれわれの方が先に飛行機に搭乗・・・。優先搭乗された方々は腑に落ちないかも!?。

DSC01933 (2) 

搭乗には機体に付いているステップは使わず、バリアフリーの逆S字のブリッジが据え付けられていました。

DSC01934 (2) 

垂直尾翼にはチャンとJALグループの証、鶴マル。

DSC01935 (2) 

お尻のハイビスカスの花がチャームポイント。

DSC01936 (2) 

胴体から横に張り出したガニ股の車輪がチョッと武骨な感じです。

DSC01937 (2) 

この飛行機はATR42-600という機種で、フランスとイタリアの航空機メーカーが合弁事業で興したATRが製造するターボプロップ双発旅客機。48人乗り。クラシカルな外観だけれど2017年4月に就航したばかりだそうです。

DSC01938 (3) 

キャビンアテンダントもチャンと1人乗務。前方で救命胴衣の使用法を実演(ビデオではありません)されているうちにプロペラが回り始めて滑走路へ向かいます。

DSC01941 (2) 

図体は小さいけれど大型機に混じって同列に離陸の順番待ち。

DSC01944 (2) 

やがて力を振り絞って滑走開始。大型機より人間的な“頑張り”が感じられます。滑走路の凹凸がダイレクトに伝わって結構な揺れでしたが、そのうちにフワっと浮き上がって上空へ。

DSC01946 (2) 

上空で旋回して眼下に那覇空港を見ながら・・・。

DSC01949 (2) 

次第に進路を北北東へ。

DSC01950 (2) 

DSC01952 (2) 

眼下の広大な飛行場は米軍施設でしょう。

DSC01953 (2) 

それにしても海が青い!。

DSC01956 (2) 

本部半島沖の瀬底島・・・でしょうか??。

DSC01961 (2) 

機内ではキャンディーのサービスはありましたが、飲み物のサービスは無し。というのもあっと言う間に着陸態勢に入るので止むを得ないことでしょう。高度をグングン下げて定刻の13時20分よりやや早く沖永良部島に着陸。天候は晴れ。気温は19℃。

DSC01972 (2) 

ここではスロープ状のブリッジが据え付けられ、滑走路上を歩いてターミナルビルへ。

DSC01976 (2) 

前方の貨物室からはフォークリフトで貨物の積み下ろし。

DSC01980 (2) 

平屋の屋上には出迎えの方々の姿も。

DSC01978 (2) 

愛称は「えらぶゆりの島空港」。ゆりの花の栽培が盛んなんだそうです。

DSC01981 (2) 

西郷隆盛が流された時代はさぞや遠い場所だったことでしょうが、今や江戸を朝出れば昼過ぎには薩摩の果ての沖永良部島まで到達できます。

DSC01984 (2) 

到着口を出ると直ぐ隣接して出発口。

DSC01991 (2) 

次の徳之島行きの出発は35分後。どこかに行く時間はありません。空港ビルを外から眺め・・・。

DSC01988 (2) 

お土産物屋さんをのぞけばもう出発時間。

DSC01989 (2) 

長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

実は私は幼いころからの“鉄”で(何を今さら!?)、若い頃は夜行列車に身を委ねて全国津々浦々を“乗り鉄”、“撮り鉄”しながら旅をしておりました。ところがもはや夜行列車は絶滅寸前。止む無く近年は飛行機を利用して“乗り鉄”、“撮り鉄”に出かける機会が多くなって来ました。でも元々飛行機は見るのは好きですが正直なところ乗るのは少々苦手。学会出張でも国内であればいくら遠くても鉄道を利用していた時代の私をご存知の方は、昨今のように飛行機を頻回に利用していることに驚かれているかも知れません。背に腹は・・・ということです。

飛行機に乗るたびに以前から気になっていたのがマイレージ上級会員の存在。旅先で知り合った先達の方にそそのかされ(!?)、まずは書店でバイブルを2冊調達してみました。

DSC02535 (2) 

どうやらJALの場合は50,000 FLY ON ポイント、もしくは15,000 FLY ON ポイント+50回搭乗でサファイヤ会員の資格が頂けるようです。昨年の自分の実績を見ると、利用航空会社を一本化して頑張れば到達出来そう。でも大金を投資するのは勿体ない・・・ということで、15,000 FLY ON ポイント+50回搭乗を目指すことにしました。

バイブルの中に紹介されていたのが、11月~3月に催行されるJALPAKの「跳び飛びの旅 小型プロペラ機でホッピング2・3日間」というツアー。短距離飛行を数多くこなす(2~3日で8~16回のフライト)乗るためだけのツアーで、行程に観光的要素はほぼ有りませんが格安にフライト回数を稼ぐには打って付け。小型機で離発着を繰り返すのは正直怖くて私には苦行ですが、意を決して・・・。

1月13日日曜日。雲のち晴れ。朝は6℃。早朝5時代の羽田空港第一ターミナルはさすがに人影疎らでした。無人の出発ロビーを初めて見たかも!?。

DSC01828 (2) 

ショップも全て閉まっていて、この時間の食料調達は困難。

DSC01833 (2) 

今回最初のフライトは6時15分の303便福岡行き。

DSC01827 (2) 

まだ真っ暗な中、待機する飛行機はボーイング767-300でした。

DSC01835 (2) 

さすがに日曜日の早朝便とあって空席が目立っていました。

DSC01839 (2) DSC01837 (2) 

離陸するとすぐに上空の雲を抜け、まだ夜明け前の雲上へ。

DSC01840 (2) 

眼下には時折雲の切れ目から雪山の頂が。

DSC01849 (2) 

陽が昇って来るに従って空が徐々に明るくなり・・・。

DSC01857 (2) 

峰々が朝日に輝き始めました。

DSC01858 (2) 

下の写真は山口上空で画面上方は日本海です。

DSC01860 (2) 

九州上空は暑い雲に覆われていました。

DSC01863 (2) 

揺れながら雲の中を降下。

DSC01869 (2) 

雲の下まで降りて来るとやがて“海の中道”が眼下に見えて来ました。画面右上が志賀島。

DSC01872 (2) 

福岡市街地の上空を通過して着陸。

DSC01878 (2) 

福岡空港には8時15分着の予定が5分早着。雨で気温は10℃。上空には虹がかかっていました。

DSC01885 (2) 

さて次は福岡発9時30分発のJTA(日本トランスオーシャン航空)53便で沖縄那覇へ向かいます。

DSC01889 (2) 

機種はボーイング737-800。

DSC01888 (2) 

福岡の街の上空を旋回して・・・。

DSC01891 (2) 

八代、鹿児島上空を通って洋上へ。

DSC01897 (2) 

残念ながら航路上は一面の雲に覆われていました。

DSC01896 (2) 

与論島上空を過ぎて降下を始めた頃からやっと雲が途切れ始め、雲の隙間から島々が時折姿を覗かせるようになりました。

DSC01899 (2) 

DSC01904 (2) DSC01905 (2) 

沖縄本島の南岸を右手に見ながら・・・。

DSC01911 (2) 

南端を回り込んで那覇空港にアプローチ。

DSC01912 (2) 

市街地でも海の青さが本土とは全く違います。

DSC01916 (2) 

沖縄那覇には予定の11時20分よりやや早着。晴れで一気に気温が上がって21℃でした。

DSC01918 (2) 

近くにはJTAのオリジナルペイント機“さくらジンベエ”の姿が。

DSC01923 (2) 

出発ロビー内の売店でそそくさと沖縄そばと紅芋ソフトでランチを済ませ・・・。

DSC01924 (2) DSC01925 (2) 

今度はいよいよプロペラ機で沖永良部島へ飛びます。

でもチョッと長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

今年の正月は冬型の気圧配置。寒さは厳しいけれど、太平洋側は晴れ続き、日本海側は雪か雨の天気になりました。

元旦は羽田空港へ。工事中の国際線ターミナルの後ろに富士山の姿が!。

DSC01512 (2) 

今年は久しぶりに飛行機で金沢へ。北陸新幹線開業以来、北陸方面へ行くには新幹線ばかり利用していました。いつの間にかJALは6便のうち4便が小さめのボーイング737-800になっていたのは新幹線の影響でしょうか。

DSC01513 (2) 

羽田空港13:00発小松空港行きJAL187便に搭乗。元旦にもかかわらず満席でした。

北東に向けて離陸。すぐに眼下にレインボーブリッジが見えて来ました。

DSC01518 (2) 

そしてディズニーリゾート。

DSC01523 (2) 

その後旋回して徐々に北西向きに進路を変えて・・・。

DSC01527 (2) 

海を左手に見ながら小松空港を目指します。

DSC01529 (2) 

甲府上空あたりからは逆光の富士山の姿が。

DSC01532 (2) 

雲のなびき方で風向きが判りますね~。

DSC01534 (2) 

このあたりの地上は平地は白くなっているものの山地は白くなっていません。

DSC01546 (2) 

進むにつれて次第に雲が多くなって来て・・・。

DSC01548 (2) 

やがて一面雲に覆われた状態に。“日本海側”のエリアに入って来たのでしょう。

DSC01550 (2) 

小松空港周辺が雷雨に見舞われているとのことで、上空でしばらく待機した後、意を決したように雲の中へ突入。結構揺れました~。

DSC01552 (2) DSC01554 (2) 

やがて下界がぼんやり見えて来て・・・。

DSC01555 (2) 

DSC01557 (2) 

小松市上空に。定刻よりも20分ほど遅れて着陸しました。

DSC01560 (2) 

天気は雨が降ったり止んだり。時にみぞれ混じり。毎度のことながら太平洋側と日本海側の気候の違いに驚かされます。空港からレンタカーで行動開始。

翌2日は早朝から白山比咩神社へ初詣に。

DSC01570 (2) 

ここは全国2000以上ある白山神社の総本社。

DSC01587 (2) 

人出は例年よりも少なめでした。

DSC01581 (2) 

DSC01578 (2) 

創建は崇神天皇(すじんてんのう)7年(前91)とか。

DSC01579 (2) 

境内の木々は流石に立派です。

DSC01571 (2) 

雪こそ降っていませんでしたが、早朝の山の中だけあって寒さは尋常ではありません。長いこと火に当たっていたら、その日一日、全身から発する煤の臭いに悩まされることに~。

DSC01590 (2) 

白くなった山肌の木々が綺麗でした。

DSC01597 (2) 

帰りは3日。帰りの飛行機は名古屋へ抜けて静岡県沖を東上するルート。帰りは西側から富士山が良く見えました。

DSC01707 (2) 

遊んでいると3が日は瞬く間に・・・。働いていると1日が長いのにね~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて今回は夏のスリランカ紀行の最終回を。

8月13日月曜日はキャンディ郊外のペラデニア駅から約4時間。ナーヌ・オヤ駅で下車して紅茶の産地ヌワラエリアの茶畑や紅茶工場を見学。

DSC08548 (2) 

その日は古い紅茶工場を改装した個性的なホテルに宿泊。工場で使用していたエンジンも決まった時間に動きます。豊富な種類の紅茶が飲めるのもここならではでしょう。

DSC08524 (2) 

熱帯とは言っても標高1800m越えの高原地帯。夜は冷えてヒーターをつけて毛布にくるまって寝ました。明けて翌8月14日火曜日も雨。こんな気候がお茶の栽培に適しているそうで・・・。

DSC08545 (2) 

今日は道中お茶畑を眺めながら首都コロンボを目指します。

DSC08543 (2) 

見渡す限りお茶畑。

DSC08558 (2) 

茶摘みは基本的に女性の仕事だそうですが、稀に男性の姿も。働いているのは南インドからイギリス人によって連れて来られた人々で、ヒンドゥー教徒が多いそうです。

DSC08559 (2) 

水が豊富で至る所で大小の滝が見られます。

DSC08567 (2) 

DSC08569 (2) 

ここでは機械化は難しそう。茶摘み作業は人海戦術です。

DSC08579 (2) 

コロンボへ向けて移動するにつれて標高が下がり気温が上昇。寒いくらいの高原から高温多湿の熱帯に戻って来ました。川の流れも緩やかに。

DSC08587 (2) 

首都コロンボは開発が急ピッチで進む活気溢れた街でした。

DSC08593 (2) DSC08596 (2) 

DSC08645 (2) DSC08646 (2) 

DSC08659 (2) 

海岸沿いでは大規模な港湾施設の開発やホテル建設工事が急ピッチ。

DSC08632 (2) 

これは中国の一帯一路構想に基づくもので中国資本が投入されましたが・・・。

DSC08708 (2) 

中国債務の返済に窮したスリランカは“借金のカタ”に中国側に港の管理会社の株式の70%を99年間譲渡することで合意せざるを得ない事態に。先行きが案じられます~。

もちろん昔からの東南アジアらしい雰囲気の場所も。

DSC08713 (2) DSC08681 (2) 

市内のあちらこちらに仏教寺院があるのは他の街と変わりありません。

DSC08651 (2) DSC08657 (2) 

DSC08671 (2) DSC08672 (2) 

下はヒンドゥー教寺院。残念ながら閉まっていて中は見れず。

DSC08676 (2) 

そしてスリランカを代表する建築家ジェフリー・バワが設計したレストランはとってもお洒落でした。

DSC08598 (2) DSC08599 (2) 

空港へ向かう前に海岸を散歩。

DSC08696 (3) 

もちろんここはインド洋です。

DSC08705 (2) 

スリランカ航空のコロンボ19時15分発UL0454便で一路成田へ。

DSC08719 (2) 

成田到着は朝7時35分。着陸直前、上空から見た九十九里海岸はインド洋より青い!。

DSC08735 (2) 

成田空港ではANAのスターウォーズジェットの出迎えを受けました。

DSC08745 (2) 

そしてやっぱり日本の方がスリランカよりも暑いのでした~。完。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて、だいぶ間が空いてしまいましたが、年内に今年夏のスリランカ紀行の続きを片付けねばなりません。今さらですがお付き合いくださいませ~。

8月13日月曜日の朝、スリランカの古都キャンディの高台のホテルで目覚めてカーテンを開けると、雨が降ったり止んだりの生憎の天気。

DSC08371 (2) 

反対側の高台には白い仏像の姿。同じ仏教国でも日本とはだいぶ違う雰囲気です。

DSC08372 (2) 

標高はたかだか300mほどですが、熱帯とは思えないほどの涼しさ。猛暑続きの日本よりもずっと過ごし易いです~。

DSC08378 (2) 

早々に朝食を済ませてから市内を散策。

DSC08387 (2) 

アジアらしい雑然とした街並みですが、他のアジアの国に比べると清潔。

DSC08388 (2) 

果物店では熱帯だけあって種類が豊富。

DSC08389 (2) DSC08390 (2) 

中には正体の判らないモノも。

DSC08391 (2) DSC08392 (2) 

立派な白い建物は銀行でした。

DSC08393 (2) 

高台のレイクビューポイントに上がれば・・・。

DSC08396 (2) 

キャンディ湖とその周辺に広がる街の様子が良く判ります。

DSC08397 (2) 

さて今日はいよいよ鉄道移動の日。昨日までストライキで全く列車が動いていなかったので半ば諦めていましたが、ギリギリ昨夜になって労使交渉が妥結。今朝から久しぶりに運転が再開されました。

そんな訳で列車を捉えるべく街外れにあるペラデニア駅へ。ここはコロンボからバドゥッラまでのメインラインの途中駅ですが、キャンディ駅はここから分岐する盲腸線の終点。キャンディ駅にはもれなくどの列車も立ち寄るので、キャンディ駅~ペラデニア駅間は折り返す運転形式です。ジャンクション駅のペラデニア駅舎は随分とこじんまりした感じでした。

DSC08400 (2) 

時刻表を見ると各方面にそれなりの数の列車が走っているようです。

DSC08401 (2) 

出札口はありましたが改札口は無し。

DSC08402 (2) DSC08403 (3) 

ホームに出てみると架線が無いのでスッキリした構内。線路の幅がずいぶん広く見えますが、それもそのはず軌間は広軌1676mm。因みに日本のJR在来線や小田急線などは1067mm。新幹線でも1435mm。

DSC08404 (2)

下の建物は信号所でしょうか。

DSC08407 (2) 

分岐駅なので2本のホームがY字型でキャンディ方で合わさっています。

DSC08405 (2) 

駅名標も行先案内もシンハラ語、タミル語、英語の並列標記。

DSC08408 (2) 

2本のホームが合わさったホームのキャンディ方には仏様が祀られていました。

DSC08409 (2) 

日本では姿を消した腕木式信号機も現役。宗主国だったイギリス風です。

DSC08412 (2) 

駅には製油施設が隣接していてタンク車が留置されていました。

DSC08410 (2) 

下の写真はキャンディ方からバドゥッラ方面を見たところ。

DSC08411 (2) 

そしてコロンボ方面を見たところです。

DSC08413 (2) 

Y字に配置されたホームの間には中庭があって正面が駅舎。

DSC08414 (2) 

DSC08415 (2) 

線路端には保線小屋?。

DSC08417 (2) 

その前に掲げられた看板にはペラデニア駅は1867年に造られた古い鉄道駅ですとの掲示。スリランカではイギリスが1858年に敷設を開始したのが始まりだそうです。因みに日本で最初の新橋~横浜間の開業は1872年のことですので、スリランカの方が兄貴分。

DSC08418 (2) 

ホームの上屋を支える柱に使われている古レールの刻印にも1895年とか・・・。

DSC08457 (2) DSC08458 (2) 

さらに1869年なんていうのも!。

DSC08460 (2) DSC08461 (3) 

駅構内をウロウロしているうちにキャンディ方からコロンボ方面行のローカル列車がディーゼル機関車に牽かれて入線して来ました。

DSC08419 (2) 

3ドアの客車5両、3等モノクラス編成。車内は満員でした。

DSC08420 (2) DSC08421 (3) 

一番前と一番後ろの車両は半室荷物車。日本の国鉄式で言えば“ナハニ”といったところ。

DSC08423 (2) DSC08424 (2) 

冷房は無いので窓は全開~。

DSC08425 (2) 

先頭の機関車にはClass W3のプレートが付いていました。

DSC08430 (2)

どうやら元は西ドイツの1969年ヘンシェル製のClass W1ディーゼル機関車を日本からの円借款で1997年に改造整備したのがClass W3のようです。

DSC08426 (2) DSC08428 (2) 

全長12m、重量61トン、1100馬力、最高速度80km。

DSC08431 (2) 

到着後は乗客も乗員もホームで一呼吸。ひと昔前の国鉄では良く見られた光景。

DSC08432 (2) 

でも外国人観光客の多くは乗り込む様子は無く、間も無くやって来る対向列車を待っている様子。

DSC08435 (2) 

やがて乗客が乗り込んで発車合図とともに・・・あれれっ、来た道をバック!?。

DSC08436 (2) 

駅構内の外れまで後退してから転線して戻って来ました。

DSC08438 (2) 

わざわざ転線して駅構内の側線で対向列車を待避する様子。

DSC08440 (2) 

乗客を乗せたまま側線でしばらく停車していると・・・。

DSC08442 (2) 

ほどなくコロンボ方面から対向列車が入線して来ました。

DSC08445 (2) 

こちらの車両はClass S12。2012年より導入されている山岳区間用の気動車で中国製です。

DSC08446 (2) 

山岳区間の急曲線に備えて車体長は15m級と短め。1~3等車まで各クラスの車両が連結されています。

DSC08450 (2) 

われわれはこの列車が隣のキャンディ駅まで行って折り返して来るのをこの駅で待ちます。駅の一角には小さな売店も。

DSC08454 (2) 

しばらくすると先ほどの列車が向きを変えて入線して来ました。

DSC08467 (2) DSC08469 (2) 

DSC08470 (2) 

これに乗って山岳地帯の紅茶畑が広がるヌワラ・エリアへ向かいます。下の写真は1等車内。

DSC08471 (2) 

列車は厳しい勾配とカーブが続く山岳路線をゆっくりと走ります。生憎の雨模様で車窓の写真はあまり撮れず。

DSC08478 (2) 

途中駅も由緒有りそうな雰囲気。

DSC08484 (2) 

駅員さんの服装は上下とも白で凛々しい感じ。

DSC08493 (2) 

列車はどんどん高度を上げて、車窓には急斜面に広がる茶畑が。

DSC08494 (2) 

DSC08495 (2) 

目的のナーヌ・オヤ駅までは約4時間の長旅でした。ここでほとんどの観光客風の乗客が下車。

DSC08505 (2) 

天気が悪いこともあって上着があっても寒い~。

DSC08507 (2) DSC08508 (2) 

駅構内には小振りな貨車や客車が少しだけ留置されていました。

DSC08510 (2) DSC08506 (2) 

さてここから有名なセイロン紅茶の産地を巡りますが・・・。

DSC08512 (2) 

長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

最近何かと雑用が多くてブログが停滞してしまっております。気付けば今週で11月も終わり。もう少し古いネタを片付けておかなくてはなりません。という訳で今回は今月初旬の根室紀行の続きを。

11月3日土曜日は根室泊まり。翌11月4日日曜日の朝、ホテルのカーテンを開けたら外は霧で真っ白でした。駅へ向かう道すがらも霧の中。

宿から駅へ向かう道すがらも真っ白。信号も点いてるのかいないのか!?。

DSC00500 (2) 

下は根室市役所。

DSC00501 (2) 

幹線の国道44号線「根釧国道」も日曜日の朝とあってか車通りは少なめ。

DSC00502 (2) 

やがて前方に薄ぼんやり横に長~い建物が見えて来ました。

DSC00503 (2) 

根室駅です。学生時代に来た時と殆ど変わらぬ出で立ち。

DSC00504 (2) 

ここから8時22分発釧路行きに乗って釧路へ向かいます。この区間は根室本線の一部ではありますが、超ローカル区間で“花咲線”の愛称で呼ばれています。有名な“花咲ガニ”に因んだ名称でしょうが、東根室と西和田駅の間にあった花咲駅は平成28年3月に廃止になってしまいました。

今日は釧路でさらに乗り継いで新千歳空港まで鉄路で辿る計画。

DSC00508 (2) 

快速「はなさき」として釧路を5時35分に出た1番列車が8時01分に到着。これが折り返し8時22分発の根室発2番列車になります。これを逃すと11時03分まで列車がありません。

DSC00519 (2) 

車両はキハ54単行。今日は冬限定でオホーツク海沿岸を走る観光列車「流氷物語号」に使われるキハ54-507が運用に就いていました。車体には流氷が描かれています。

DSC00529 (2) 

改札は10分ほど前から開始。下は同行の友人が撮ってくれた記念写真。

DSC00515 (2) 

さすが“本線”の終点だけあってホームは広くて長いですが1線のみ。発着する列車は今では6往復の単行気動車だけで貨物列車はありません。

DSC00522 (2) 

ホームの先端には「日本最東端有人の駅」の掲示板。“有人”とわざわざ断っているのは、無人駅では隣の東根室駅が最東端だから。

DSC00525-2 (2) 

そしてその先には日本最東端の車止めが見えました。

DSC00527 (2) 

運転台は半室構造。ワンマン運転のため整理券発行機や運賃収受箱が備えられています。

DSC00530 (2) 

下は客室内。ブルー基調の明るいモケット。55人乗りですが、根室駅発車時の乗客数はその1/3くらい・・・でしょうか。

DSC00531 (2) 

8時22分の定刻に発車。加速する間もなく「東根室」駅に到着。昨日にも訪れた最東端の駅です。おやっ、乗客が2人!?・・・と思いきや、観光ボランティアの方でした。乗降客は無しで、乗り鉄らしきお2人が列車から降りて慌ただしく記念写真を撮っていました。

DSC00534 (2)

東根室駅を8時26分に発車して根室の街を抜けると、途端に人煙希なる原野が広がります。

DSC00537 (2) 

ワンマン列車なので運転士さんは扉の開け閉めや改札業務も一人でこなします。

DSC00540 (2) 

やがて西和田駅が見えて来ました。

DSC00542 (2) 

待合室は古い貨物列車の車掌車を流用したもの。北海道ではしばしば見かけます。乗降客は無し。8時34分発車。

DSC00543 (2) 

しばし走って・・・。

DSC00545 (2) 

昆布盛駅に停車。やはり乗降客無し。8時39分発車。

DSC00552 (2)

次は落石駅。昨日写真撮影をした場所の最寄り駅です。交換施設のある駅らしい駅ですが、やはり乗降客は無し。8時44分発車。

DSC00557 (2)

昨日写真撮影した落石海岸あたりでは速度を落としてゆっくりと走行。

DSC00570 (2) 

6月1日から11月30日までの期間、花咲線では最東端の東根室駅での停車時間を延ばし、美しい車窓区間で列車速度を落として観光客への配慮をしてくれています。

DSC00572 (2) 

昨日に引き続き今日も快晴~。

DSC00575 (2) 

次は別当賀駅。ここも乗降客無し。

DSC00586 (2) 

やはり待合室は車掌車でした。8時57分発。

DSC00588 (2) 

時折、警笛が鳴ったり制動がかかったりするのは、エゾシカが横切るから。

DSC00589 (2) 

次の初田牛駅にも誰もいません。

DSC00593 (2) 

ここは立派な!?待合室でした。9時05分発。

DSC00595 (2) 

そしてかつて標津線との接続駅だった厚床駅ではホーム上に人影が!。

DSC00600 (2) 

でもその方は写真を撮っているだけで列車には乗らず。地元の方が1人降りて行かれました。9時12分発。

DSC00601 (2) 

姉別駅では本日初の乗客の姿が!。お1人乗車。

DSC00604 (2) 

待合室に「ルパン三世」が登場しているのはモンキー・パンチが地元の北海道浜中町の出身だから。9時19分発。

DSC00605 (2) DSC00605 (3) 

次の浜中駅でも乗客あり。見送りの方の姿も。9時28分発。

DSC00608 (2) DSC00610 (2) 

そして根室駅と釧路駅のほぼ中間に位置する茶内駅では初めて対向列車が待っていました。ホーム上には4~5人の乗客の姿が。

DSC00614 (2) 

対向のキハ54-508はこちらキハ54-507の相棒の流氷物語号ラッピング車両。

DSC00618 (2) 

無人駅ですが駅舎は有人駅時代からそのままの北海道らしい建物でした。9時35分発。

DSC00624 (2) 

次の糸魚沢駅では乗降客無し。9時44分発。

DSC00627 (2) DSC00628 (2) 

糸魚沢駅から次の厚岸駅までの間は別寒辺牛(べかんべうし)湿原が広がっていて、ここでも列車はゆっくり走ってくれます。

DSC00631 (2) DSC00633 (2) 

DSC00638 (2) 

たくさんの水鳥が見えました。もう冬の使者、白鳥の姿も。暖かいとはいえ、もう11月ですからね~。

DSC00652 (2) 

DSC00642 (2) DSC00656 (2) 

湿原の中をカーブしながら線路がひかれています。

DSC00657 (2) 

DSC00659 (2) 

そして根室と釧路を除くと沿線で唯一の有人駅である厚岸駅に着きました。跨線橋も本日初めて見ました。ホーム上では10人ほどが列車を待っていました。9時58分発。

DSC00670 (2) 

次の門静駅はやっぱり誰もいませんでした。10時03分発。

DSC00679 (2) DSC00681 (2) 

DSC00685 (2) 

尾幌駅では2人乗車。ここも待合室は車掌車。10時11分発。

DSC00690 (2) DSC00692 (2) 

DSC00694 (2) 

次の上尾幌駅でも2名乗車。

DSC00701 (2) 

2面2線の島式ホームと単式ホームが構内踏切で結ばれる構成。立派な白塗りの駅舎が健在でした。10時20分発。

DSC00702 (2) DSC00704 (2) 

別保駅では2名乗車。10時35分発。

DSC00718 (2) 

武佐(むさ)駅では2名乗車。もう釧路の街中に入って来ました。10時40分発。

DSC00722 (2) 

次の東釧路駅は根室本線と釧網本線の分岐駅。

DSC00727 (2) 

立派な駅舎がホームから離れて残存していました。ホームとの間には何本も側線が引かれていたのでしょう。10時42分発。

DSC00728 (2) 

そして釧路川の鉄橋を渡ると・・・。

DSC00729 (2)

この列車の終点、釧路駅に到着。10時46分着。

DSC00731 (2)

営業キロは135.4km、2時間24分の旅でした。やっぱり鈍行列車は楽しい~。

DSC00735 (2) 

駅構内には11時42分発根室行き快速「ノサップ」が停車していました。車両は11月1日に出発式が行われたばかりの「地球探索鉄道花咲線」ラッピングトレインのキハ54-521。

DSC00747 (2) 

さてここからは釧路発11時24分発の特急「スーパーおおぞら6号」に乗り継ぎ。本当はさらに鈍行でゆっくり行きたいところですが、翌日は仕事ですからね~。

DSC00740 (2) 

最近のJR北海道の特急列車には車内販売が無いので、まずは釧路駅で飲料、食料を調達。

DSC00755 (2) 

車両は北海道では第2弾の振子式気動車特急283系。

DSC00752 (2) 

2013年10月までは最高速度130kmの俊足を誇っていましたが、2011年5月に発生した石勝線での脱線火災事故により減速、減便が行われて現在の最高速度は110km。

DSC00761 (2) 

11時24分の定時に発車。283系は1995年に試作車、1996年に量産車が登場。1997年3月に営業運転が開始されてから早くも20年以上経過して、各所に疲れが出ている感じでした。発車後は釧路駅で調達したばかりの「花咲かにめし」で腹ごしらえ。

DSC00763 (2) DSC00767 (2) 

釧路駅を発車して市街地を抜けるとしばらくは海岸線を疾走。

DSC00769 (2) 

最初の停車駅白糠駅を発車して、厚内駅の手前から進路を内陸に変えてしばらく走ると池田駅。

DSC00778 (2) 

さらに走って大都会の帯広駅を発車し、次の停車駅新得駅を過ぎると狩勝峠にさしかかります。長大なトンネルを抜けて落合方面への根室本線と別れて石勝線へ。

DSC00789 (2) 

普通列車が無いため特急しか停まらないトマム駅を14時00分に発車。

DSC00790 (2) DSC00791 (2) 

占冠駅、新夕張駅を通過し・・・。

DSC00792 (2) 

旧夕張線を追分駅へ向かって山を降りると、北海道らしい平原が広がります。

DSC00795 (2) 

ほどなく南千歳駅に15時07分到着。ここで15時09分発のエアポート144号に乗り継いで新千歳空港駅に15時12分に到着。

DSC00797 (2) 

17時00分発のANA072便(ボーイング777-300)に乗れば東京羽田空港には早くも18時40分には到着。

DSC00803 (2) 

1日中鉄道に乗っていただけじゃないかって?。もちろんそれが目的ですから~。

たった2日間ながら北海道の鉄道を堪能した旅でした。完。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

日々の雑事に追われてなかなかブログが書けませんが、今日はいまだに完結していない夏のスリランカ紀行の続きを。

8月12日日曜日はダンブッラから古都キャンディへ移動。市場を見学してから高台にあるホテルへ一旦チェックインしました。下はホテルから眺めた小雨混じりのキャンディの街。

DSC08261 (2) 

夕刻になってから街へ出て、街の中心部で伝統舞踏のキャンディアン・ダンスを鑑賞。

DSC08266 (2) DSC08279 (2) 

DSC08280 (2) DSC08283 (2) 

その後、屋外でファイアーウォーキングを見物。

DSC08296 (2) DSC08297 (2) 

DSC08300 (2) 

そうこうしている間に、ほど良い時間になって徒歩で仏歯寺へ向かいました。

DSC08306 (2)

仏歯寺はスリランカを代表する仏教寺院。スリランカ人口の7割を占めるシンハラ人はほとんどが仏教徒ですので、仏陀の歯を安置するここ仏歯寺には国中から多くの人々が参拝にやって来ます。

DSC08307 (2) 

八角形の堂は“シンハラ建築様式”というのだそうです。

DSC08308 (2) 

例によって靴を脱いで屋内へ。お堂へ向かう通路の天井は美しく装飾されていました。

DSC08313 (2) 

このあたりは1998年にテロで爆破されたそうで、新しく描き直されたもの。

DSC08310 (2) DSC08311 (2) 

お堂は2階建てになっていて1階には象牙が飾られた祭壇が。

DSC08315 (2) 

同じ仏教でも日本のお寺とはだいぶ雰囲気が異なります。

DSC08332 (3) 

代表的な観光地なので、地元の方ばかりでなく欧米や中国などからの観光客もたくさん。

DSC08335 (2) 

特に2階はお参りする人達の大行列。1日に3回のプージャ(お祈り)の時だけ仏歯が納められている祭壇の扉が開かれて仏歯が入っている金色のケースを見ることが出来るのですが、その最終回の18時30分を目指して行ったので身動きがとれないほどの混雑でした。

左側の列は近くまで行ける列ですが敬虔な信者の方が多くて列の進みは遅々たるもの。それに写真撮影は禁止なので、われわれは右側の列を選択しました。右側の献花台の前の列は、祭壇からは遠いけれど写真撮影は可能です。

DSC08320 (2) 

ゆっくりとお堂の前に進んで行くと奥の方に扉が開いた祭壇が見えました。

DSC08326 (2) 

お参りする人々の間から、仏歯が入っている金色のケースが一瞬見えました!。

DSC08329 (2) 

全容はハッキリ見えませんでしたが、掲げられていた写真で見ると黄金に輝くケースが・・・う~ん、やっぱり近くで見たほうが良かったかな~。

DSC08330 (2) 

本堂から外に出て人混みから逃れると、年に1度開催されるペラヘラ祭りに50回も参加したラージャという象の剥製が展示されていました。

DSC08343 (2) 

南国とはいえ、夜は気温が下がって寒いくらいに。

DSC08345 (2) 

雨に濡れた古都の風情を楽しみながらホテルへ戻りました。

明日はいよいよ列車で移動します。続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

11月3日土曜日は朝から根室近くの落石で根室本線の列車を撮影。根室でランチ後は折角ここまで来たので納沙布岬まで足を延ばすことに。

岬の先端には白い灯台。

DSC00475 (2) 

北海道では初めて明治7年初点灯。昭和5年に現在のコンクリート造灯台に改築されたそうです。

IMG_8404 (2) 

付近には北方館、望郷の家、オーロラタワーや最東端のお土産物屋さんや食堂などが。でも観光客はとっても少なめ。

IMG_8393 (2) 

学生時代に訪れた時にもここで写真を撮った記憶が・・・。ただその時は悪天候で北方領土は見えませんでした。

IMG_8406 (2) 

でも今日は遠くまでスッキリ見えて・・・。

DSC00469 (2) 

意外に近くに島影が見えました。

DSC00471 (2) 

歯舞群島、水晶島・・・でしょうか。

IMG_8391 (2) 

IMG_8397 (2) 

コンパクトカメラのズームでも下の写真くらい大きく見えます。

DSC00472 (2) 

DSC00473 (4) 

その背後にも島影が。

DSC00482 (2) DSC00481 (3) 

下は地面に記された北方領土の位置関係。

IMG_8408 (2) 

でも実際の島影がどの島なのか今一つはっきりしません。

IMG_8414 (3) IMG_8415 (2) 

IMG_8420 (2) IMG_8421 (2) 

やや北側に目を移すと国後島の「羅臼山」(らうすやま)882m・・・でしょうか。

DSC00474 (2) 

さらに遠くに国後島の「爺々岳」(ちゃちゃだけ)1822m・・・たぶん。

IMG_8409 (2) 

下はオーロラタワーから見た納沙布岬付近。

DSC00490 (2) 

さて、その後は根室へ戻って東根室駅を表敬訪問。ここはご存知のように日本最東端の駅として有名。

DSC00496 (2) 

駅舎も無いホームだけの無人駅で、時刻表を見ると上り6本、下り5本が停車するようです。駅がここにある理由は・・・う~ん。

DSC00495 (2) DSC00494 (2) 

本来は落石に戻って夕方の列車を撮影をする予定でしたが、落石の撮影ポイントまでの道程が意外に厳しかったので、安楽にも東根室~西和田間で東根室15時55分の下り列車を迎撃することに予定変更。

定刻通り夕陽にステンレス車体を輝かせながらキハ54単行列車がやって来ました。

IMG_8432 (2) 

IMG_8439 (2) IMG_8453 (2) 

IMG_8460 (2) 

IMG_8466 (2) 

本日の仕事はこれでおしまい。今宵は根室泊まりです。続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

11月3日土曜日。晴れ。文化の日は広い範囲で秋晴れとなりました。

今日はANA987便6時15分東京(羽田)発の札幌(千歳)行きに搭乗。早朝便とあってか、さすがの札幌便でも座席数の少ないボーイング737-800でした。

DSC00370 (2) 

夜明けの東京を眼下に見て・・・。

DSC00374 (2) 

北上すれば、ほどなく雪を冠した山々が見えて来ました。

DSC00379 (2) 

上空から見ると意外に狭い津軽海峡を越えると、既に降下を開始していました。

DSC00382 (2) 

北海道の渡島半島を掠めて・・・。

DSC00388 (2) 

蝦夷富士(羊蹄山)を遠望すれば・・・。

DSC00389 (2) 

ほどなく旋回して新千歳空港に着陸。本来は7時45分着の予定でしたが、羽田で遠い滑走路からの離陸になったため10分遅れで到着しました。

DSC00392 (2) 

札幌からは根室中標津行きのANA4881便に乗り継ぎ。定刻でも僅か20分の乗り継ぎ時間しかありませんでしたが、遅れて乗り継ぎ時間が10分となったため、地上係員のお姉様が一緒に走って下さいました。

DSC00394 (2) 

機種はボンバルディアDHC8-Q400、74席のカナダ製プロペラ機です。プロペラ機は与那国島以来かも。こんな小型機に対してもチャンとボーディング・ブリッジが接続していました。でもとっても急傾斜で先端部に小さな“階段”がアダプターとして付いていました。

DSC00396 (2) 

プロペラが勢い良く回転し始め、独特のエンジン音を響かせて離陸。ジェット機より健気で一生懸命な感じがします!?。

DSC00397 (2) DSC00398 (2) 

離陸すると直ぐに眼下には夕張あたり(?)の山々が。

DSC00401 (2) 

11月の北海道というのに雪は大雪山系の高みに僅かにあるだけ。

DSC00411 (2) 

しばらくすると広大な十勝平野が広がりました。

DSC00416 (2) 

異様な形の山は活火山の雌阿寒岳。画面左の湖はオンネトー。

DSC00432 (2) 

そして一部雲に隠れた阿寒湖と雄阿寒岳。雄阿寒岳の陰に見えるのはペンケトー・パンケトー。

DSC00436 (2) 

だいぶ高度が下がって来たところで摩周湖の姿が。右端、遠くに見えるのは斜里岳でしょうか。

DSC00438 (2) 

根室中標津空港の周囲は広大な牧草地。

DSC00445 (2) 

定刻の9時00分よりやや早めに到着。ここでもチャンと先端部に小さな階段状アダプターが付いたボーディング・ブリッジが備え付けられていました。

DSC00449 (2) 

DSC00450 (3) 

根室中標津空港には札幌便が3往復、東京便が1往復就航しています。

DSC00451 (2) 

根室中標津空港到着後、根室近くの根室本線(花咲線)落石~別当賀間へ。ここは鉄道ファン御用達の有名な撮影ポイントなのです。

10時をだいぶまわって落石海岸の三里浜に到達しましたが、落石10時29分着の下り列車が通過する時刻には撮影ポイントまで間に合わず。手前で通過するのを見送ることになってしまいました。

IMG_8354 (2) 

えっ、列車はどこって??。下は上の写真の画面右上を拡大したもの。チャンと写っていたでしょ!。

IMG_8355 (2) 

列車通過後、本来の撮影ポイントを目指して、獣道のような踏み分け跡を辿ります。

DSC00465 (2) 

意外に起伏が大きくて険しい道程を辿ること約20分。

DSC00467 (2) 

撮影ポイントに立つと、眼下に三里浜が一望出来ました。下は落石岬方面。

IMG_8366 (2) 

そして反対側、別当賀、浜中方面。

IMG_8367 (2) 

やがて落石駅発11時23分の釧路行き上り列車がやって来ました!。

IMG_8368 (2) 

最果て列車はキハ54形ディーゼルカーの単行。

IMG_8370 (2) 

でも画面に海を大きく入れるには魚眼レンズが必要なようで・・・。

IMG_8373 (2) 

私の持参した18mm広角では最大に入れてもこの程度までしか・・・。

IMG_8376 (2) 

でも茫洋たる感じは伝わりましたでしょうか~。

IMG_8388 (2) 

気温が上がって汗だくになりながら来た道を引き返し、根室駅近くでランチにすることに。根室と言えばやっぱり・・・えへへ~。

DSC00468 (2) 

長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

10月1日月曜日。晴れ。朝は25℃、日中は31℃。台風一過で気温が上がり、10月としては記録的な高温となりました。

台風24号は非常に強い勢力で和歌山県に上陸して本州を縦断。

DSC09796 (2) 

各地に爪痕を残しながら、1日正午に北海道の東の海上で温帯低気圧に変わりました。

DSC09797 (2) 

台風が最接近した深夜から未明にかけては、かつて経験したことが無いような暴風雨。木造築25年のわが家は、あわや吹き飛ばされるのではないかとドキドキしながら一夜を過ごしました。

下の写真は朝通勤時の近所の道路。木の枝や看板、ゴミ箱、ビニ傘などが散乱・・・。小田急線は少々遅れながらも動いていましたが、首都圏のJRや京王線などではしばらく電車が止まっていたようです。

DSC09794 (2) 

天気が回復してクリニックは朝から混雑。皆さん、寝不足気味で少々お疲れ気味でした。血圧がいつもより高めの方がちらほら。若い方よりも耳の遠いご高齢の方の方が元気かも!?。

診療終了後は大和市医療センターへ。今宵は大和市医師会へ新たに入会を希望される先生との面談。若い先生と面談していると何だか元気を頂けます・・・なんて、私も段々年寄り臭くなって来ました~。

10月2日火曜日。晴れ。朝は16℃、日中は26℃。今日は爽やかな天気になりました。クリニックは今日も混雑。特定健診・長寿健診は終わりましたが、まだしばらくは結果説明で受診される方は多め。

診療終了後は大和市医師会理事会。さらにその後は来年1月の大和市医師会創立60周年の打ち合わせ。ふ~っ。

10月3日水曜日。晴れのち曇り。朝は17℃、日中は25℃。また週末に台風が接近する予報で、晴れの天気は今日までだそうです。今日のクリニックは比較的平穏でした。インフルエンザワクチンは取り敢えずの分だけ入荷。前々から予約して頂いていた定期通院中の方から打ち始めました。今後順調に入荷するようでしたらその他の方の予約も開始する予定ですので、少々お待ち下さいませ~。

診療終了後は小田急ホテルセンチュリー相模大野で開催された相模原市内科医会の睡眠時無呼吸症候群の講演会に出席。得るものの多い内容でした。

さて今日も夏のスリランカ紀行のレポートを少しだけ。8月12日日曜日はダンブッラから約70km離れた古都キャンディへの移動日。下はキャンディ近郊で見かけたヒンドゥー教寺院。スリランカはシンハラ人を主とした仏教徒が70%を占めますが、ヒンドゥー教徒10%、イスラム教徒8.5%、キリスト教徒11.3%の多民族、多宗教国家です。

DSC08190 (2) 

キャンディの街に着いたところで、先ずはやっぱり駅近くのキャンディ・マーケットへ。中庭のある2階建てで、地元の人と観光客で大賑わいでした。

DSC08192 (2) DSC08236 (2) 

1階が食料品関係。

DSC08214 (2) 

山積みの大きな葉っぱはお皿としてして使うもの。

DSC08196 (2) 

品物は豊富ですが、何だか判らないモノもたくさん。

DSC08193 (2) DSC08198 (2) 

レンズ豆、ひよこ豆、粟、・・・。

DSC08200 (2) DSC08202 (2)

DSC08201 (2) DSC08199 (2) 

多くの料理に用いるココナッツ。

DSC08203 (2) DSC08204 (2) 

DSC08205 (2) DSC08206 (2) 

色とりどりの野菜や果物。

DSC08207 (2) DSC08208 (2) 

DSC08209 (2) DSC08210 (2) 

DSC08211 (3) DSC08212 (2) 

DSC08231 (2) DSC08230 (2) 

DSC08213 (2) 

DSC08232 (2) 

DSC08229 (2) DSC08228 (2) 

DSC08216 (2) 

お肉はもちろんスーパーのようにパック詰めされていません。

DSC08218 (2) 

DSC08219 (2) DSC08220 (2) 

店頭で解体中~。

DSC08227 (2) 

魚は新鮮そうですが、チョッと買う気になれないかも!?。

DSC08222 (2) DSC08224 (2) 

DSC08226 (2) 

2階は衣類や装飾品、お土産物など。

DSC08235 (2) 

DSC08234 (2) 

マーケットは買うものは無くとも眺めているだけで飽きませんね~。

長くなって来たので続きはまた後日に。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

お彼岸の3連休が明けて早くも9月も終盤に入りましたが、秋雨前線と台風24号の影響で連日雨降り。あんなに暑かったのが嘘のように涼しくなって、9月27日木曜日には日中17℃までしか上がりませんでした。

クリニックは、9月25日火曜日は雨脚が強かったせいかさほど混雑しませんでしたが、9月26日水曜日は周辺のクリニックが休診のせいもあってか混雑気味でした。かぜ症状の方が徐々に増えて来た感じです。

さてインフルエンザワクチン接種が今年も10月から始まりますが、今シーズンも各メーカーさんからのワクチンの供給が悪そうです。前もってどのくらいのワクチンが入って来るかが現時点では見通しが立たず、お約束出来ないため、外部からの予約につきましてはもうしばらくお待ち頂きたいと思います。ある程度目途が立ちましたら予約枠を開放させて頂きます。

さてチョッと古いネタになってしまいましたが、この夏のスリランカ紀行の続きを。

前夜はダンブッラに泊まり、8月11日土曜日は早朝からシーギリヤへ。スリランカへ観光で来た人は必ず訪れるスリランカを代表する観光地です。

まずはシーギリヤ博物館で概略をお勉強した後、シーギリヤ・ロック登頂へ。入場券は30ドル。

DSC08141 (2)

入口を入ると正面に聳える大きな岩山の姿が。

DSC07921 (2) 

ここでも周囲には猿がたくさん。

DSC07930 (2)

登山口は世界中からの観光客で渋滞中。

DSC07932 (2) 

DSC07933 (2) 

延々と石段が続きます。

DSC07936 (2) DSC07937 (2)

上を見上げると岸壁の経路上でも延々と人波が続いています。

DSC07942 (2) 

DSC07943 (2) 

さらにその先には螺旋階段が。

DSC07944 (2) 

DSC07941 (2) 

上から眺めると緑の大地が広がっています。

DSC07945 (2) 

後ろを振り返るとこんな感じ。

DSC07947 (2) 

途中、“シーギリア・レディ”と呼ばれる美女のフレスコ画があって、5世紀の作品ですが鮮やかな色彩が残っていました。残念ながら撮影禁止。

DSC07949 (2) 

階段をさらに進むと北側の広場に到着。ここで小休止。さらにここからも階段が続きます。入口の両脇にはライオンの足。

DSC07955 (2) 

もう少しで頂上です。

DSC07957 (2) 

近くで休息していた方がイタズラ猿にペットボトルを奪われて・・・。

DSC07964 (2) 

ようやく辿り着いた頂上は意外にも広くて約1.6haもあるそうです。

DSC07985 (2) 

王宮から少し下ったところにある水の溜まった場所は王のプール。

DSC07979 (2) 

DSC07976 (2) 

プールサイドには玉座も。

DSC07980 (2) DSC07983 (2) 

下を眺めるとシーギリヤ・ロックへのアプローチ、先ほど辿って来た道が見えました。

DSC07973 (2) 

隣に見える小高い山の頂にも石窟寺院があって登山者が見えました。

DSC07966 (2) 

さてしばし頂上で過ごしてから帰路へ。

DSC07986 (2) 

もちろん下りの方が体力的には楽ですが、常に下を見ながら歩かなければならないので、高所恐怖症の身にとってはかえって辛いかも。

DSC07991 (2) 

広大な眺めもあまり目に入りません~。

DSC07992 (2) 

DSC07993 (2) 

先ほどのライオンの入口まで降りて来ました。

DSC07994 (2) 

帰路は渋滞知らずでスムーズでした。

DSC07996 (2) 

ランチはプールサイドからシーギリヤ・ロックを眺められるホテル・シーギリヤで。

DSC08001 (2) 

よーく見ると山頂に人影が見えます。

DSC08002 (2) 

ランチ後は麓を散策。シーギリヤ・ロックは見る角度によって様々な表情。

DSC08019 (2) 

象に乗っての散策は人気があるようでしたが、それなりのお値段なので・・・。

DSC08020 (2)

われわれは水牛車で周辺を巡る小ツアーに参加しました。

DSC08030 (2) 

まずは水牛車に揺られて近隣の村へ。バナナの花やカシューナッツの実などが見られました。

DSC08042 (2) DSC08044 (2) 

下は村の水田。二毛作だそうです。

DSC08045 (2) 

水牛車から降り、今度は人力(!)の船に乗り換えて湖を渡ります。

DSC08052 (2) 

下は水上から見たシーギリヤ・ロックの遠景。

DSC08048 (2) 

対岸に上陸すると、足場が付けられたココナッツの木が。登ってもいいと言われましたが・・・。

DSC08057 (2) 

ここではココナッツを使った郷土料理造りのデモンストレーション。

DSC08058 (2) DSC08067 (2) 

DSC08070 (2) 

出来たものをご馳走になった後、三輪車でスタート地点へ戻って小ツアーは終了。

DSC08069 (2) DSC08071 (2) 

意外に中身の濃いツアーでした。

さてダンブッラへ戻って今度はダンブッラ石窟寺院へ。石窟寺院のアプローチにも猿がたくさん。

DSC08084 (2) DSC08086 (2) 

殺生が禁じられているせいか、猿たちは人間を全く恐れずにリラックスしている様子。

DSC08089 (2) 

お供え物の蓮の花を食べる猿も。

DSC08090 (2) DSC08091 (2) 

ここは1991年にユネスコ世界文化遺産に登録されたスリランカでも有数の石窟寺院。

DSC08092 (2) 

第1窟から第5窟まで5つの石窟が並んでいます。

DSC08094 (2) 

もちろんここも土足厳禁。

DSC08095 (2) 

それぞれの石窟の中には多くの仏像が祀られていました。

DSC08097 (2) 

天井の壁画も見事。

DSC08099 (2) 

同じ仏教でもわが国とはだいぶ違った様相です。

DSC08103 (2) 

DSC08105 (2) 

DSC08116 (2) 

5つの石窟を巡っているうちにだいぶ陽が傾いて来ました。

DSC08118 (2) DSC08132 (2) 

早朝のシーギリヤ・ロック登頂から始まって長い1日でした。

続きはまた後日に。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

9月17日月曜日。石垣島地方は晴れて最低気温28℃、最高気温32℃。旅先の常として朝早く目が覚めたので近くの高台まで日の出を拝みに。残念ながら流れの速い雲が邪魔をして水平線からの日の出は見ることが出来ませんでした。

DSC09507 (2) 

DSC09528 (2) 

日の出は6時30分頃。その後は朝食前にしっかり周辺を散歩。

DSC09498 (2) DSC09516 (2) 

DSC09496 (2) DSC09490 (2) 

DSC09541 (2) DSC09550 (2) 

運動後、お腹が空いたところでしっかり朝食。何と健康的なことでしょう。毎朝こうありたいところですが現実は・・・。

朝食後は午前中島内でゆっくり過ごしました。

DSC09581 (2) 

気温が上がって来て白い道はやっぱり暑い~。

DSC09595 (2) 

でも両脇花の道はやや涼しいかも。

DSC09589 (2) 

緑の向こうに見える海原は真っ青。

DSC09412 (3) 

南の島のこととて花と蝶はそこかしこに。

DSC09401 (3) DSC09415 (3) DSC09402 (3) 

DSC09488 (2) DSC09495 (2) DSC09497 (2) 

DSC09499 (2) DSC09615 (2) DSC09540 (2) 

DSC09543 (2) DSC09535 (2) DSC09539 (2)

下はもっとも多く姿を見かけたスジグロカバマダラ。

IMG_8342 (2) 

やっぱりお決まりの水牛車にも乗せて頂きました。“牛歩”の速度が丁度良い雰囲気。

DSC09602 (2) 

IMG_8343 (2) 

さて遊んでいると時間が経つのは速いもの。

DSC09629 (2) 

もう帰らねばなりません。12時45分の船で石垣港へ戻りました。その後石垣港近くの老舗郷土料理店「磯」でランチ。近隣の土産物店や公設市場をチラッと覗いてから空港へ。

DSC09630 (2) DSC09632 (2) 

15時25分発のANA092便は使用機材の到着遅れで30分遅れて離陸。帰りは石垣島から羽田空港までの直行便でしたので、さすがにアムラーらしき姿はありませんでした。

DSC09639 (2) 

羽田空港には19時前に着陸したものの、ちょうど激しい雷雨に見舞われて地上係員が待避中。雷雨が落ち着くまで機内に缶詰めとなりました。叩きつける雨と光る稲妻の中で、強風のために機体もゆらゆら。あまり気分の良いものではありませんでした。

これで束の間の逃避行はおしまい。次はどこへ逃げよう・・・。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて例年この時期は大和市特定健診・長寿健診の終了間際で超多忙。連日平日は朝7時過ぎから夜9時頃まで仕事に追いまくられます。そんな訳で敬老の日の連休は現実逃避の旅へ。沖縄で呆けて参りました~。

数日前まで台風22号の接近で“あわや”という状況でしたが、南寄りの進路を辿ったため何とか逃亡が実現。9月15日土曜日は午後2時過ぎに診療を終えてから羽田空港へ向かいました。17時10分発のANA1097便、ボーイング777-200で那覇へ。

DSC09193 (2) 

羽田空港混雑のために那覇到着がやや遅れたものの、夜8時半前にはもう那覇国際通りのライブハウスで沖縄料理の夕食にありついておりました。

DSC09198 (2) DSC09197 (2) 

9月16日日曜日は朝から那覇空港へ。市内は本日をもって引退する安室奈美恵のポスターだらけ。

DSC09212 (3) 

DSC09208 (2) DSC09216 (2) 

あちこちから聞こえて来るラジオや店舗のBGM・・・。

DSC09217 (2) 

はては空港まで乗った“ゆいレール”の駅構内でも安室奈美恵の楽曲がかかっておりました。

DSC09219 (2) DSC09220 (2) 

DSC09221 (2) DSC09222 (2) 

そして空港内にももちろん。

DSC09231 (2) 

あっ、私は“アムラー”ではありませんので念のため~!?。

DSC09226 (2) 

那覇空港9時25分発のANA1763便、ボーイング737-500で石垣空港へ。

DSC09229 (2) DSC09232 (2) 

離陸直後から眼下にエメラルドグリーンの海が。

DSC09240 (2) DSC09243 (2) 

途中、宮古島上空を通過。

DSC09246 (2)

DSC09248 (2) 

宮古島から橋が架かる小さな島は来間島でしょうか。

DSC09254 (2) 

さらにしばらくすると多良間島。

DSC09256 (2) 

そして石垣島が見えて来ました。

DSC09261 (2) 

那覇空港混雑で離陸が遅れたため、定刻の10時20分よりやや遅れて着陸。

DSC09264 (2) 

石垣空港は2013年3月から供用開始となった新空港。私が6年前に来た時とは違う場所になっていました。

DSC09267 (2) 

まずは街へ出て「あらかわ食堂」の“牛そば”で腹ごしらえ。その後、石垣島で一番の観光地である川平湾へ向かいました。

DSC09270 (2) DSC09313 (2) 

残念ながら、雲が多かったため海の青さは“もう一歩”といったところでした。

DSC09317 (2) 

気温は30℃チョッとで渡る風は爽やか。

DSC09318 (2) 

お決まりのグラスボートで海底の珊瑚も眺めてから、石垣港へ戻りました。

DSC09311 (2) 

石垣港から13時30分の高速船で竹富島へ。竹富島までは所要15分。ほぼ30分毎に出ています。

DSC09334 (2) 

島内はレンタサイクルで移動。

DSC09341 (2) 

下は郵便局。公共施設と言えども赤瓦にシーサーは欠かせません。

DSC09343 (2) 

石積みの塀に白い道・・・。この光景に遭いたくて実は今回で5回目の訪問!?。

DSC09348 (2) 

現在人口は350人ほど。

DSC09350 (2) 

地元の方にはあまり遭遇しませんが、観光客と観光用の水牛車にはよく出会います。

DSC09352 (2) 

赤瓦の屋根上にシーサーを据えるのは魔除けのため。

DSC09356 (2) 

同じものは2つと無くて、それぞれとっても個性的。

DSC09388 (2) DSC09344 (2) DSC09342 (2) 

DSC09571 (2) DSC09573 (2) 

DSC09554 (2) DSC09596 (2) 

さて集落を抜けて西側のコンドイ浜へ。木のトンネルを抜けると・・・。

DSC09382 (2) 

白砂のビーチが眼前に!。

DSC09364 (2) 

でも陽射しが白砂に反射してとっても暑い~。

DSC09365 (2)

白い砂の正体は珊瑚や貝の破片。

DSC09379 (2)

波は静かで遠浅なので絶好の海水浴場ですが、泳いでいる方は少なめでした。

DSC09367 (3) 

一旦チェックインして小休止の後、夕陽を見に再度西桟橋へ。日の入りは18時30分ころ。

DSC09432 (2) 

残念ながら雲が多くて海に沈む夕日を眺めることは叶いませんでしたが・・・。

DSC09431 (2) 

刻々と変わる空と海の色を堪能することが出来ました。

DSC09458 (2) 

日が暮れれば満天の星!。久空振りに星空を眺めました。

長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

9月8日土曜日。晴れ。朝は26℃、日中は32℃。台風一過後の今週後半は連日30℃越えの日々になりました。

週末のクリニックは、週半ばの悪天候で来院出来なかった方や体調を崩した方で結構混雑。特に早めの時間はバタバタしていましたが、午後からは比較的平穏でした。

診療終了後は、新横浜経由で新幹線に飛び乗って京都へ。金曜日から大阪で開催されている第66回日本心臓病学会に参加するためですが、直接大阪へ向かっても時間的に今日は参加出来る訳ではないので、京都で前泊して明朝大阪入りする予定です。

新横浜では乗車予定の「のぞみ」の前に、今や貴重な存在の700系の姿を見かけました。新幹線で西進するにつれて天気は下り坂。名古屋を過ぎてついに雨になりました。右下の写真は伊吹山。

DSC09105 (2) DSC09110 (2) 

京都駅には何とかまだ明るい時間に到着。いつものように生き残った国鉄車両たちに挨拶が出来ました。奈良線では103系に混じって205系が活躍するようになりました。

DSC09115 (2) 

緑の103系も健在。117系は湖西線用です。

DSC09125 (2) DSC09178 (2) 

改札を出ようとしたら「SHINOBI-TRAIN」が入って来ました。

DSC09133 (2) 

「SHINOBI-TRAIN」は昨年2月から運行中の忍者がラッピングされた113系電車。もちろんこれも国鉄車両です。

DSC09126 (2) 

甲賀市と伊賀市を結ぶJR草津線の利用促進を狙った企画だそうですが、デビューからは時間が経ってもいまだに注目度は高くて、“鉄”でない女性や外国人観光客の方々が盛んにカメラを向けていました。

DSC09127 (2) DSC09128 (2) 

駅近のホテルにチェックインしてから、京都市下京区の京料理「井政」さんへ。

DSC09135 (2) DSC09138 (2) 

4代目の若夫婦お2人で切り盛りされているお店。

DSC09140 (2) DSC09143 (2) DSC09145 (2)

見目麗しく美味なる料理の数々を堪能させて頂きました。

DSC09147 (2) DSC09148 (2) DSC09151 (2) 

お店を出る頃には大雨になっていました。

DSC09152 (2) 

9月9日日曜日も雨。京都駅を7時44分の新快速に乗って8時12分には大阪駅着。シャトルバスで中之島の堂島川沿いにある大阪国際会議場へ。

DSC09181 (2) 

私は特別会員FJCCなので参加費は無料です!。その代わり年会費が高いので前払いしている様なもの。

DSC09179 (2) 

今年は先日の台風被害で関西国際空港が閉鎖になったため国内外の参加者のキャンセルがあったようで、プログラムの変更や演題の取り消しが多々。

DSC09167 (2) 

さらに追い打ちをかける北海道の地震、さらに週末大雨の天気予報・・・。

DSC09157 (2) 

そんな訳で会場内は例年よりも閑散とした印象でした。下は国際会議場の最上階から見た風景。大雨・・・。

DSC09162 (2) 

プログラムは朝8時からギッシリ組まれていましたが、早朝の会場内はどこも閑散としていました。

DSC09184 (3) 

アカデミックな雰囲気を十分に堪能してから、夕刻の新幹線で帰宅の途に。帰りの道中も悪天候が続き、当然富士山の姿も拝めず。でもお陰で暑さからは解放されました~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

8月最後の1週間は立て続きにやって来た台風の影響で天候がとっても不安定で気温も乱高下。8月24日金曜日は朝の通勤時が台風の影響でとてつもない豪雨になりました。

DSC08833 (2) 

また8月27日月曜日は夜になって落雷とゲリラ豪雨。落雷による停電の影響で帰宅時の電車が乱れていました。

DSC08857 (2) 

この1週間もクリニックは連日混雑気味。長引くかぜ症状の方が相変わらず多めでした。健診で引っ掛かって受診される方も多くなりました。特定健診は予約でもはやパンパン。新たに予約をお受けする余地は全く無くなってしまいました。どうかご了承下さいませ~。

この1週間、診療時間外には8月26日日曜日に品川で内科系の講演会に出席、8月28日火曜日夜は医師会で入会希望の先生との面談、8月31日金曜日夜はシリウスで開催された大和市立病院と医師会の連携の会に出席。あとはひたすら朝に夕に特定健診の結果判定作業。あと1か月の辛抱です~。

DSC08862 (2) 

さて、今日はこの夏のスリランカ紀行の続きを。8月10日金曜日はネゴンボの魚市場に立ち寄ったあと、北東へ210kmの道程をポロンナルワへ。賑やかな海辺の街を通って内陸へ入ると、水田や畑の田園地帯。さらに進むと山あり谷あり平原あり・・・。

DSC07770 (2) 

スリランカは北海道よりやや小さい島国ですが、地形は変化に富んでいて、食事休憩を含めて約6時間の道程は、それほど長く感じませんでした。

DSC07772 (2) 

途中、前を行くトラックの荷台にはゾウが!。

DSC07777 (2) 

途中の道端では野生のゾウも見ることが出来ました(咄嗟のことで写真は撮れませんでした。残念!)。「ゾウ横断注意」や「ゾウに餌やり禁止」の標識も!。

さて今日の目的地ポロンナルワは10~12世紀の間にシンハラ王朝の首都があったところ。長い間ジャングルの中で眠りに就いていた期間もあったそうです。まずは当時の仏教の中心地で城壁に囲まれたクワドラングルへ。

DSC07778 (2) 

ハタダーゲは12世紀に建てられた仏歯寺跡。

DSC07787 (2) 

スリランカでは聖なる場所で土足、ノースリーブやショートパンツ、帽子は禁止。

DSC07803 (2) 

日に焼けた石の上は熱くて素足では歩けないので、厚めの靴下が必要です!。

DSC07790 (2) 

DSC07799 (2) 

ハタダーゲの向かい側にはワタダーゲという円形の仏塔。かつては入口のムーンストーンの上で足を洗ってから仏塔内に入ったそうです。図柄は輪廻を表わしているそうで・・・。

DSC07791 (2) DSC07800 (2) 

彫刻が施された熱い石段を上がると・・・。

DSC07795 (2) 

仏塔を取り囲む仏像たち。

DSC07796 (2) 

かつてはスリランカで豊富に取れる宝石で装飾されていたそうですが、略奪の憂き目に遭って破壊されてしまっているのは何処も同じ。

DSC07797 (2) DSC07798 (2) 

DSC07809 (2) 

このクワドラングルの中には11の建造物が集まっていて、当時ポロンナルワの仏教の中心地だったそうです。

DSC07801 (2) 

DSC07805 (2) 

DSC07807 (2) 

ふと地面を見たら赤いハンミョウの仲間(?)が疾走中。

DSC07816 (2) 

派手な装いのバスは私営の路線バス。

DSC07818 (2) 

バスの屋根にはサル。空いている車の窓を探して車上荒らしをする常習犯だそうです。

DSC07820 (2) 

ランカティラカは13世紀に建てられた巨大な仏教寺院。中には頭の取れた巨大な仏像。

DSC07830 (2) DSC07834 (2) 

白い漆喰の塔、キリ・ヴィハーラ。最近塗りなおされてはいますが、700年以上ジャングルに眠っていたにもかかわらず発見時もほとんどオリジナルの塗りのままだったそうです。

DSC07837 (2) 

こちらは小振りの塔。名前は・・・?。

DSC07840 (2) 

下はお土産物屋さん。遺跡の周辺にはたくさんの野良犬とサルがうろうろ。

DSC07847 (2) 

スリランカでは動物の殺生は禁じられていて、違反すれば終身刑になるそうです。

DSC07844 (2) 

さて更に奥へ進むとガル・ヴィハーラ。一枚岩に彫られた石像群が。座像の高さは4.6m。

DSC07851 (2) 

石室内にも座像。

DSC07855 (2) 

立像は高さ7m。

DSC07859 (2) 

そしてその横には全長14mの涅槃像。

DSC07861 (2) 

多少様相は異なりますが、日本と同じ仏教国。地元の方々がお参りしている姿は日本と相通ずるものがあります。

長くなって来たので続きはまた後日に~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

先週の木曜日まで1週間お休みを頂いておりましたので、先週末は何となくまだお休みモードが続いておりましたが、今週からは本格始動です~。

週明けの8月20日月曜日は雨のち曇り。朝は20℃、日中は26℃で、先週来の涼しさが続いていましたが、台風接近に伴って8月21日火曜日は30℃、そして8月22日水曜日は32℃まで上がり、暑さがまた戻って来ました。

クリニックは気温変化が大きいためか、長引く喉かぜ、咳かぜの方がたくさん。周辺のクリニックはまだお休みのところがあるようで、持病の薬を切らして駆け込んで来られる初診の患者さんがちらほら。8月21日火曜日昼は大和市医師会事務局で会計業務。8月22日水曜日の診療終了後は武蔵溝の口で2年後に開催予定の大学同門会の打ち合わせ。

さて遅くなりましたが今日は夏季休診期間のレポートを。今年も例年の如く前々から休みに入った途端に現実逃避の旅に出ることを企てておりました。今回の目的地はスリランカ。ところが出発日が近付くにつれて台風13号が徐々に接近してくるではありませんか!。いよいよ進路がヤバくなって当日朝に成田空港に着けない可能性が濃厚になって来たため、出発前夜の8月8日水曜日の診療終了後に暴風雨の中を急遽成田空港へ向かいました。夜10時過ぎに空港近くのホテルにチェックイン。

明けて8月9日木曜日の朝はモロに台風13号の暴風域。朝9時に銚子を通って北東方向へ・・・。

DSC07580 (3) 

コロンボからの折り返し便は成田に朝7時35分到着予定でしたので、最悪欠航かと覚悟して「真っさらで予定の無い贅沢な1週間の過ごし方」を真剣に考えながら空港へ行ってみると、ありがたいことに折り返し便は遅延するものの約3時間遅れで到着予定。1時間半遅れで出発の予定になっていました。出発掲示板を見ると、台風直撃にも拘わらず各社とも意外に欠航は少なめ。

DSC07581 (2) 

DSC07584 (2)

外の様子を見ると欠航にならなかったのが奇跡に思える状況でしたが・・・。

DSC07585 (2) 

当初の変更時間通りに1時間半遅れでスリランカ航空UL0455便のエアバスA330-300は成田空港を飛び立ちました。

DSC07591 (2) DSC07595 (2) 

乗員は全員スリランカ人で機内放送は英語と日本語。CAはお腹~背中周りを露出した南国らしい制服でした。台風の影響で結構揺れました~(涙)。

DSC07611 (2) DSC07616 (4) 

成田~コロンボ間は所要9時間20分。時差は3.5時間。機内誌を手に取ってみると、一部英語、シンハラ語、タミル語が併記されているものの、メインはシンハラ語でした。

DSC07624 (2) 

シンハラ語はアルファベットとは全く異なる字面で、一体何が書いてあるのやら・・・。

DSC07619 (2) 

スリランカ上空に差し掛かると緑の多い大地が見えて来ました。

DSC07629 (2) 

かなり高い山の姿も。

DSC07630 (2)

高度を落として来ると緑の大地。まるで成田周辺に似た光景で雑木林の間に田んぼやゴルフコース(?)かと思いきや・・・。

DSC07637 (2) 

雑木林に見えた緑はヤシの木でした。う~ん、南国だ!。

DSC07639 (2) 

コロンボ近郊のバンダラナイケ国際空港には1時間ほど遅れて着陸。外へ出てみれば、気温は猛暑の日本より涼しい28℃程度。

DSC07644 (2)

到着後、空港内でスリランカ・ルピーに両替。1円が1.38ルピーでした。

DSC07677 (2) 

到着後は空港近郊のネゴンボという海沿いの街へ。ネゴンボはスリランカ最大の漁港をもつ街ですが、空港に近いので玄関口としてビーチ沿いにたくさんのホテルが並んでいます。今宵はスリランカ出身の有名な建築家ジェフリー・バワが初めて設計したホテル「ジェットウイングラグーン」に暗くなってからチェックイン。洗練された室内は・・・撮り忘れましたが派手さは無くて至ってシンプル。風変わりなのはバス、トイレが外にあること(ちょっと落ち着きません)。あとはお湯さえチャンと出てくれたら完璧でした!?。

DSC07672 (2) DSC07674 (2) 

夕食はスリランカ風のものを。左上は真ん中に卵を落とし込んだお椀型クレープ、ビッタラ・アーッパ。なかなか美味でした。スリランカ料理はもちろんカレーばかりではありません。

DSC07648 (3) 

8月10日金曜日は曇り空。明るくなってみればホテルの敷地は広大。

DSC07685 (2) DSC07695 (2) 

ホテル玄関から道路を渡るとインド洋が広がっていましたが、波は荒くて冬の日本海の如し。この季節は南西モンスーンの影響で西海岸は天気が悪いのだそうです。

DSC07698 (2) 

敷地内にはヒメコモンアサギマダラの姿が。

DSC07691 (2) 

植物はよく判りません・・・。

DSC07701 (2) DSC07704 (2) 

さて朝食を済ませてから街へ。大勢の人出賑わっていたのは漁港と隣接する魚市場でした。

DSC07722 (2) 

現地の人ばかりで観光客は皆無でしたが、ここはやっぱり突入するしかないでしょう。

DSC07720 (2) 

意外にも扱われている魚は日本人に馴染みの種類ばかりでした。

DSC07718 (2) 

那覇の牧志公設市場で見かけるような色とりどりの熱帯魚風は全く見かけません。

DSC07715 (2) DSC07716 (2) 

DSC07717 (2) 

漁港に隣接した市場ですから、もちろん鮮度は抜群!。

DSC07716 (2) DSC07723 (2) 

でも周辺に散らばったゴミから発する生臭さはかなり強烈です~。

DSC07725 (2) 

包丁ではなく鉈(なた)で魚を裁くのが日本と違うところ。周辺の人が鉈を持って歩いているのでチョッと怖い!?。

DSC07719 (2) 

港には無数の小型船が集結していました。

DSC07727 (2) DSC07729 (2) 

日本の漁船よりカラフル。

DSC07736 (2) 

道路の反対側にも渡ってみたいけれど、交通量が多くて渡るのは容易ではありません。日本と同じ左側通行なのはイギリス領だった影響でしょうか。

DSC07730 (2) 

車は日本製、バス、バイク、3輪車はほとんどインド製。

DSC07731 (2) 

タクシーは3輪車がほとんど。

DSC07740 (2) 

商店の看板はシンハラ文字で電話番号以外は解読不能。

DSC07743 (2) 

郵便ポストは昔の日本風でした。

DSC07739 (2) 

街はあまりゴミは落ちていなくて意外に清潔。

DSC07744 (2) 

民家の庭先にはパパイヤの木。

DSC07747 (2) 

これから世界遺産の古代都市ポロンナルワへ向かいます。長くなって来たので続きはまた後日~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

6月22日金曜日。晴れ。朝は19℃、日中は28℃。貴重な梅雨の晴れ間になりました。

クリニックは朝から混雑。体調が悪い時やご高齢の方はなかなか雨の日には来にくいもの。久しぶりに晴れると混雑します。

当院が予約制にしたのは2009年7月のことで既に9年になりますが、内科の性格上、かぜ、腹痛の方や急に体調を崩された方など予約外で受診される急性疾患の方も多くいらっしゃいますので、完全予約制には出来ません。あくまで“予約優先”という程度の緩い予約制です。そんな訳で調子の悪い時にはガマンせずに受診して下さって結構です。また天気の悪い時には予約があってもどうぞ無理はなさらずに~。

6月23日土曜日。曇りのち雨。朝は20℃、日中は24℃。 昨日とは一転して天気が悪くなりました。クリニックは朝のうちは予約外の方で混雑しましたが、雨が降り出した昼前には待合室が閑散としていました。

診療終了後は所用で羽田から夕方の飛行機で福岡へ。羽田は大雨でしたが福岡は晴れていました。

DSC07051 (2) DSC07053 (2) 

6月24日日曜日の福岡地方は晴れ。朝は20℃、日中は29℃。午前中に仕事が終わって、帰り際に櫛田神社を覗いて来ました。

DSC07068 (2) 

櫛田神社は古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社。

DSC07063 (2) 

現在7月1日から15日にかけての博多祇園山笠に向けて準備中。

DSC07061 (2) 

近所では祭りに向けて安全祈願の神事が執り行われているところでした。

DSC07067 (2) 

境内には博多祇園山笠の飾り山が常設展示されています。下の写真は表と裏。

DSC07056 (2) DSC07057 (2) 

博多祇園山笠のクライマックス「追い山」は7月15日の午前4時59分、一番山笠が櫛田入り奉納を皮切りに合計8つの山笠が次々に櫛田入りを行い、まだ薄暗い博多の街へと駆けだして行くそうで・・・。いつかは見てみたいものです。

さて櫛田神社を後にして空港へ向かう途中、毎度のことながら博多駅へ挨拶に。

DSC07073 (2) 

特段珍しい車両の姿は無し。

DSC07070 (2) DSC07075 (2) 

そんな中、新幹線の電光掲示板の横に「博多南線」の掲示板を発見。日中は1時間に1本の運行ですが、ちょうど良い時間に列車があったので乗ってみることに。

博多南線はその筋では有名なのでご存知の方も多いかと思いますが、山陽新幹線の終点博多駅から車両基地(博多総合車両所)までの回送線を旅客線化した路線。

新大阪からの「こだま」が到着して、そのまま博多南行きになります。車両は今や貴重な500系8連。700系やN700系が運用に就くこともあるそうです。

DSC07088 (2) 

DSC07092 (2) 

旅客営業上は在来線扱い。営業キロは8.5kmで運賃は200円。それに特定特急券100円が必要なので、計300円かかります。特急扱いですがJRグループで唯一列車名の無い特急。

DSC07082 (2) 

たった300円で動いている新幹線車両に乗れるので、かなりお得!?・・・なんて考えていたら、案の定日曜日とあって新幹線車両に乗車すること自体が目的と思われる親子連れがたくさん乗っていました。

DSC07095 (2) DSC07100 (2) 

DSC07096 (2) DSC07101 (2) 

発車して少しスピードが乗って来たところで、本線から岐れて高架線下へ。

DSC07107 (2) DSC07102 (2) 

左手に車両基地が広がって来たところがもう終点です。所要時間はたったの8分。物足りなくて“降りたくない~”と駄々をこねる子供たちも。

DSC07109 (2) 

ホームの有効長は8両ギリギリでホーム幅も普通よりだいぶ狭い感じ。

DSC07112 (2) DSC07114 (2) 

DSC07117 (2) DSC07119 (2) 

ホーム上で車内清掃をしてこのまま折り返し博多行きとなり、さらに博多から新大阪行きの「こだま」として運用されるようでした。

DSC07123 (2) 

日中は1時間に1本なので、荒涼とした車両基地のはずれにある小駅を想像していましたが、みどりの窓口もある立派な有人駅でした。

DSC07125 (2) DSC07126 

これで寄り道はおしまい。夕方の飛行機は梅雨前線に煽られて結構揺れました~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

6月4日月曜日6月5日火曜日は晴れて気温が上昇。特に月曜日は各地で今年一番の暑さを記録し、北海道内陸部では軒並み30℃超えに。当地でも28℃まで上がりました。ところが一転して6月6日水曜日は朝から雨で終日17~19℃。一気に関東甲信、東海、近畿地方が梅雨入りとなりました。

クリニックは特定健診・長寿健診の方々で連日混雑していましたが、かぜ症状や体調を崩されて受診される方は少なめ。健診は既にだいぶ先まで予約枠が埋まって来ました。受診ご希望の方はどうぞお早めにご予約下さいませ~。

さて今日はまたまた5月27日日曜日の山口行きレポートの続きを。山口線の長門峡駅でSL「やまぐち」号のD51200の発車シーンを狙いましたが見事に撃沈。気を取り直して今度は徳佐駅の発車シーンを狙うことに。徳佐駅は12時43分の発車。先回りして待ち構えていると、定刻通りになかなかの煙を吐きながらやって来ました!。

IMG_8158 (2) 

煙が客車に少々かかりましたが・・・。

IMG_8168 (2) 

まあ許容範囲内!?。

IMG_8170 (2) 

大きな汽笛を鳴らしながら眼前を通過して行きました。

IMG_8178 (2) 

直ちに撤収してSL「やまぐち」号の終点津和野へ。津和野着は12時59分。到着後ほどなく客車の入換作業が始まりました。

IMG_8187 (2) IMG_8197 (2)

入換作業が終わるとゆっくりターンテーブルに近付いて来て・・・。

IMG_8201 (2) 

そろりそろりとターンテーブルに乗りました。

IMG_8207 (2) 

その後ゆっくりと方向転換。

IMG_8211 (2) IMG_8212 (2) 

IMG_8214 (2) IMG_8216 (2) 

IMG_8218 (2) 

留置線に入ってしばし小休止。

DSC06664 (2) 

ここで復路に備えて点検と給水を受けます。

DSC06668 (2) 

DSC06671 (2) 

留置線に入ったのを見届けてわれわれも駅前のカフェでしばし小休止。

DSC06682 (2) 

さて下り15時17分発の下り列車に乗るべく津和野駅へ戻ると、D51200は既に客車の先頭に立ってスタンバイしていました。上りSL「やまぐち」号は15時45分発。

DSC06685 (2)

客車は5両編成で前後に展望車が連結されています。最後部5号車のスハテ35形から順に眺めてみます。

DSC06686 (2) 

戦前の客車に見られた採光窓の付いた二重屋根構造。

DSC06687 (2)

一見とてもクラシカルな客車に見えますが、車端には昭和29年6月新潟トランシス製造を表わす標記が!?。

DSC06712 (2) 

実はこの編成、「最新技術で快適な旧型車両を再現」したJRグループ最新の客車なのです。もちろんドアは旧来の手動ドアではなく自動ドア、照明は電球色LED、温水洗浄便座付き洋式便器、車椅子スペースも完備。

下の写真は4号車オハ35形と3号車ナハ35。

DSC06688 (2) DSC06689 (2)

日除けのブラインドも古風に演出。

DSC06707 (2) 

旧型客車には無かった冷房装置は目立たないように取り付けられています。

DSC06708 (2)

2号車スハ35、そして1号車オロテ35形は1等車を示す白帯。

DSC06690 (2) DSC06691 (2)

オロテ35形はグリーン車扱いで大型リクライニングシートが備えられています。

DSC06703 (2) DSC06698 (2) 

そして先頭にはD51形蒸気機関車200号機。

DSC06704 (2) 

罐圧は十分に上がって時折安全弁が吹いていました。準備万端。

DSC06694 (2) 

DSC06696 (2) 

下は相棒が撮ってくれたツーショット。

IMG_3765 (2) 

さて発車を見届けることなく15時17分発の益田行きに乗車。

DSC06714 (2) DSC06717 (2) 

山陰本線との接続駅、益田には15時58分着。

DSC06719 (2) DSC06721 (2) 

ここから萩・石見空港まではバスでも12分ほど。たった2便の東京便が就航しているだけの小さな空港でした。

DSC06723 (2) 

折り返し東京便が降りて来て17時45分発ANA1104便になります。機種はA320。意外にも満席に近い状態でした。

DSC06725 (2) 

羽田空港には19時20分着。

夜行日帰りの旅は充実していましたが、年齢的にそろそろ辛くなって来たかも!?。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

6月2日土曜日。晴れ。朝は18℃、日中は25℃。今週末は好天に恵まれました。予報では梅雨入り前の貴重な週末の晴れ間になるかも(?)。

クリニックは朝早い時間帯が混雑。季節柄か春の健診で引っかかった方が多くいらっしゃいました。土曜日はお勤めの方が多いので国保の特定健診の方は少なめですが、動悸や胸痛を訴える方が多くてやっぱり検査は多めでした。

診療終了後は東京駅へ。そのまま東北新幹線「はやぶさ」に飛び乗って仙台経由で松島まで出かけて来ました。

DSC06747 (2) 

目的地は松島の瑞巌寺。瑞巌寺は平安時代の初めに創建され江戸時代に伊達政宗によって再興された由緒あるお寺。平成20年から「平成の大修理」と震災被害を受けた参道の復旧工事が行われていましたが、この春全ての工事が終了。6月24日の落慶法要に向けて現在様々な行事が開催されています。

(下はJR東日本の情報誌“トランヴェール”6月号の記事)

DSC06816 (2) 

日が長い季節とは言え、診療が終わってからでもまだ明るいうちに松島に着けるとは新幹線さまさまです。

参道の途中には津波到達地点を示す立札がありましたが、結構本堂近く。

DSC06748 (2) DSC06754 (2)

今宵の目的は瑞巌寺落慶記念コンサート「竹原ピストルin瑞巌寺」。

DSC06749 (2) DSC06752 (2) 

落慶記念で竹原ピストル・・・う~ん、チョッと面白そうということで足を延ばした次第。

DSC06794 (2) 

会場は本堂。何と国宝の建物内そのものの中です!。

DSC06761 (2) 

建物は書院造で屋根は入母屋造本瓦葺。

DSC06758 (2) 

コンサートの入口とは思えませんね~。もちろん靴を脱いで下駄箱にしまっての入場ですが、素足は厳禁で靴下着用が義務付けられています。

DSC06762 (2) 

会場内は残念ながら一切撮影禁止ですが、桃山文化を伝える彫刻や襖絵は豪華絢爛。コンサート開演前には一般的アナウンスに加え、立ち上がらないようにとか、足を踏み鳴らさないようにとか、周辺を触らないようにとか、国宝ならでは(!?)の諸注意がありました。

開演時間19時ちょうどに一角の襖が開いてTシャツにバンダナを巻いた普段の出で立ちの竹原ピストルが登場。金箔に松があしらわれた襖絵の前でコンサートが始まりました。私の席は前から7列目の正面。それでも真ん中よりは後ろでしたが、とても狭い会場なので、ちっ、近い~。

DSC06788 (2) 

楽器はギターとハーモニカだけ。独特の世界観の歌を持ち前のハスキーボイスと抜群の歌唱力で2時間近く熱唱。荘厳な雰囲気の中で迫力のステージでした。

帰りは真っ暗な境内を通り抜けて・・・。

DSC06768 (2) 

DSC06770 (2) 

仙石線の松島海岸駅へ。

DSC06771 (2) DSC06773 (2) 

21時04分発の電車で仙台駅に21時41分着。

DSC06774 (2) DSC06776 (2) 

仙台駅で在来線ホームを偵察に行きましたが、珍しい車両は見当たらず。

DSC06777 (2) DSC06779 (2) 

今晩は最近東側に新しく出来たJRのホテルに投宿することにしました。

DSC06781 (2) 

翌朝カーテンを開けると眼下に仙台駅。

DSC06796 (2) 

DSC06810 (2) 

居ながらにして駅の観察が出来る“鉄”にはうってつけの部屋だったのでした。

DSC06804 (2) 

朝食を済ませて早々の新幹線で帰宅の途に。

あれっ、ここまで来て松島は?、青葉城は??。今回は日曜日夕方に用事があるので直ぐ帰らねばなりません。まあ、またの機会にね~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

6月1日金曜日。晴れ。朝は19℃、日中は26℃。梅雨入り間近にしては湿度が低めで久しぶりに清々しい朝になりました。

クリニックは朝から混雑。6月になったからでしょうか(!?)、しばらくいらっしゃっていなかった方がちらほら。かぜ症状の方も増えて来ました。特定健診・長寿健診は本日スタート。検査もバタバタしてました。

さて今日も先日の山口行きのレポートの続きを。山口線の長門峡に5月27日日曜日10時22分に到着。後続(・・・とは言っても1時間半以上あと)のSL「やまぐち」号を迎え撃ちます。ビデオとカメラを設置して準備万端。

やがて遠くに汽笛が聞こえて、昨年から本線運転に復帰したばかりのD51形200号機が長門峡駅構内に入って来ました!。おぉ、素敵な黒煙!!。

IMG_8128 (2) 

ところが発車時間が迫って来たところで一陣の風が。ああっ、煙が流れてしまう~。

IMG_8130 (2)

その上に発車の汽笛を吹鳴したところで、列車から駆け下りて来た興奮したお兄さん2人が画面内に入って来るではありませんか!。

IMG_8131 (2) 

さらに動き出した機関車を追いかけて疾走!!。あ~ぁ~。

IMG_8132 (2) 

煙もショボショボだし・・・。

IMG_8135 (3) 

少し出始めた煙も横に流されるし、人物を画面から外すと客車の後ろが切れるし・・・。

IMG_8141 (2) 

ワタワタしているうちに・・・。

IMG_8144 (2) 

D51200は悠然と眼前を通過して行きました。

IMG_8147 (2) 

散々な結果に終わりましたが、ビデオに記録されたドラフト音と汽笛はとっても素敵でした。気を取り直して先へ進みますが、続きはまた後日~。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

気が付けば5月も最終週に突入。5月28日月曜日5月29日火曜日は晴れたり曇ったりでしたが、5月30日水曜日は昼過ぎから雨になりました。5月28日月曜日には早くも九州北部と四国、山口が梅雨入り。平年より8日早い梅雨入りだそうです。

今週のクリニックは概して平穏な日々でしたが、ややかぜ症状の方が増えた感じ。いまだに大和市内の所々でインフルエンザが局地的に燻っているようです。火曜日の昼は大和市医師会事務局で会計業務。水曜日の昼は当医療ビル6件7科のミーティング。

さて今日は先週末の続きをレポートします。5月26日土曜日に東京発22:00の「サンライズ瀬戸」に乗車。23時23分の熱海発車後に寝る態勢に入りましたが、振動と騒音の中でも意外に良く眠れて、次に外を見たら大阪に運転停車中でした。しっかり起き出したのは5時25分の姫路発車前。

DSC06554 (2) 

外は朝日に照らされた日本の田園風景。

DSC06555 (2) 

流れる車窓風景を個室寝台から眺める至福のひととき。こんな機会を味わえるのは、今や定期列車ではこの「サンライズ」だけ。

DSC06566 (2) 

6時少し前に“おはよう放送”が入りました。

DSC06577 (2)

岡山着は6時27分。私どもはここで下車。

DSC06586 (2)

高松行きのマリンライナーがお出迎え。これに乗って瀬戸大橋から朝の瀬戸内海を眺めてみたい衝動に駆られましたが・・・。

DSC06594 (2) 

「サンライズ」はここで分割され、まずは6時31分に「サンライズ瀬戸」高松・琴平行きが発車して行きました。

DSC06590 (2) 

その後6時34分に「サンライズ出雲」出雲市行きが発車。

DSC06595 (2) DSC06598 (2) 

「サンライズ」を見送った後、岡山駅構内のカフェで軽く朝食を摂り・・・。

DSC06603 (2)

新幹線ホームへ上がると、東海道ではとうに見られなくなった500系「こだま」に遭遇しました。貴重な500系にも乗りたいけれど・・・。

DSC06605 (2) 

先を急ぐために今回は7時15分発の「さくら541号」鹿児島中央行きに新山口まで乗車。

DSC06608 (2) 

新山口には8時26分着。新山口では黄色単色塗りの山陽路の115系が。

DSC06609 (2) DSC06614 (2) 

新山口からは山口線に乗車します。後発の山口行き普通列車でも良いのですが、乗り心地を体験するためにわ