医療法人 恒和会 宗内科・循環器科:神奈川県大和市鶴間にある循環器専門医による内科、循環器科クリニック tel:046-293-7774 fax:046-262-4445 E-mail: naika@yamatoclinicmall.com

予約はこちら!!
宗内科・循環器科 ホーム > 院長ブログ

« 前 | メイン | 次 »

木曽路のD51

2月13日金曜日。晴れのち曇り。朝は0℃、日中は11℃。北日本では台風並みの爆弾低気圧で大荒れだった様ですが、当地も大気の状態は不安定。午後診療が始まる頃は暗雲が立ち込めていました。厚木や藤沢では午後3時過ぎに竜巻が発生。怪我をした方はいらっしゃらなかった様で何よりでした。

今日は祝日と休診日が繋がって当クリニックは連休明け。混雑を覚悟していましたが、それほどでもなくて少々拍子抜け。特に午後からはガラガラでした。竜巻注意情報が出たせいでしょうか?。・・・と思いきや、診療終了間際の6時頃になってカルテが山積みに。あれれっ!?。

2月14日土曜日。晴れ。朝は-4℃、日中は11℃。相変わらずの寒波です。

今日のクリニックはそれなりに混雑。インフルエンザの方はいまだにポツリポツリといらっしゃいます。診療終了後は溜まっていた事務仕事を頑張ってこなしておりました。

今日はバレンタインデー。私めにまでチョコレートをめぐんで下さった皆様、ありがとうございました~。

2月15日日曜日。晴れ。朝は-2℃、日中は12℃。

折角の好天の休日でしたが、外は午後から強風に。花粉の試練を受けるのではないかという恐怖にかられて、珍しく外出せずに自宅に引きこもっておりました。

・・・そんな訳で、今日は写真が無いので、古い機関車ネタで。

下の写真は今書店に並んでいる「蒸気機関車」という季刊誌。2010年の夏に創刊された新しい雑誌の最新号(2015Winter、Vol.19)です。今回の特集は“木曽谷のD51 中央西線蒸機時代”。

DSC03741

表紙をめくると「D51 200本線復帰へ」の文字。

DSC03742 

木曽谷とD51形蒸気機関車200号機の繋がりは、現在京都の梅小路蒸気機関車館で保存されている本機が現役時代最後に活躍していたのが、木曽谷を走る中央西線中津川機関区だったということ。昨年10月、このD51200を修復して本線復帰をさせるというビックニュースがJR西日本から発表されました。下の写真は京都の梅小路蒸気機関車館で(2010年6月13日、再掲)。

IMG_0972 

長きに亘って梅小路で構内の体験乗車用の小運転に使われていましたが、本線走行のためには大掛かりな検査が必要なため、今までは構内から外へは出られませんでした。

IMG_0943 

煙突が短く切り詰められているのは中津川機関区でトンネル通過の際の煤煙対策で集煙装置を取り付けていた名残。

IMG_0906 

下の写真は集煙装置を取り付けたD51200の現役時代をプロトタイプとした模型の写真。トンネルを通過する際に上部の蓋を閉めて煙を後方に誘導し、煙が車体にまとわり付かない様にするのです。因みに末期は青ナンバーでした。

DSC03833 DSC03841 

私自身は現役時代のD51200に出会ったことはありませんでしたが、蒸気機関車時代の中央西線には昭和46年9月と昭和47年8月の2回訪問。どちらも土曜日の夜23時過ぎに新宿発の夜行急行「アルプス11号」を使っての夜行日帰りでした。

2回目は当時の記録を見ると、昭和47年8月26日土曜日に新宿発23時10分の「アルプス11号」に乗って塩尻駅に翌27日日曜日の4時51分着。塩尻6時37分発の普通客車列車824列車で木曽福島7時41分着。牽引機はDD51だったのでしょうが、写真も記録も残っていません。木曽福島駅に降り立つとあまりの雨に呆然。線路端でカメラを構えることは出来そうもなく、とりあえずホームから見えた機関区に向かいました。

img455 

当時は機関区の事務所に行ってお願いすると、自由に構内に入れて下さいました。見学者名簿に記名をして腕章を付ければOK。ガリ版刷りの手造りの冊子まで下さいました。そこには構内での注意事項に加えて、配置機関車番号や・・・。

DSC04603 

蒸気機関車の構造の解説・・・。

DSC04599 

さらに貨物列車の時刻表まで!。

DSC04597 

以前に本ブログで、機関庫内や構内入換え用のC12の写真はお目にかけたことがあるので、今回は隣接する木曽福島駅構内の塩尻側で撮影したD51の写真を・・・。

機関庫内を見てから駅方向に目をやると、そこには重連の貨物列車が停まっていました。10時16分発の896列車です。

img478

前はD51351で木曽福島機関区所属。昭和15年日立製。昭和46年10月5日に横手機関区から転入して来たため、木曽路では珍しいシールドビーム付き。

img482

発車時刻が近付くと黒煙が上がり、手前のトラ塗りのポールのスピーカーから発車合図のブザーが鳴り響き・・・。

img484 

汽笛二声、ゆっくり動きだしました。

img485

次位のD51348は中津川機関区所属。やはり昭和15年日立製。こちらは昭和45年7月15日に富山機関区から転属して来たため、こちらも木曽路では珍しい浜松工場製の重油タンク付き。

img486

2台のD51は次々と豪快にドレインを切って加速。

img487

img488

地響き立てながら眼前を通過して行きました。

img489

後ろに続く黒い貨車も今となっては貴重ですが、写真は無し。

img490

続いて10時40分発の3893列車がやって来ました。青ナンバーのD51777が牽引。

img494 

中津川機関区の古参で、昭和17年汽車製造製。

img496 

続いて11時2分着の1891列車牽引のD51698が切り離されて給水給炭のために機回しされて来ました。

img467 

昭和17年日立製。中津川機関区所属。昭和45年10月7日に稲沢第一機関区から転属。

img469

そして11時30分に発車!。

img475

爆煙でしたが、豪雨のために霞んだ写真に。

img476

img477

休む間もなく今度は11時36分着の6851列車牽引のD51192が機回しされて来ました。

img450 

中津川機関区所属で昭和14年大宮工場製。昭和45年11月3日付けで稲沢第一機関区から転属して来た機関車。

img453 

そんな時に見慣れない気動車が通過。

img452 

「きそ4号」の運用に入っていた試作気動車のキハ91でした。

う~ん、次から次へとキリがありません。翌日は学校があるのでそろそろ引き上げないと・・・。帰りは木曽福島発14時32分のキハ181系気動車特急「しなの2号」で名古屋に16時29分着。16時53分名古屋発の「ひかり60号」で18時55分東京着。

img456 

天気の良い時にリベンジしたいと思いながら、機を失してしまい、翌年の昭和48年7月には電化開業によって木曽路のD51は全廃されてしまいました。残念~。

「しなの」には瀟洒な真新しい振子電車381系が導入されましたが、40年以上経ってもまだ381系は残っています。

| | コメント(0) | トラックバック(0)

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 木曽路のD51

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.yamatoclinicmall.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2530

コメントする

詳細 パソコン画面表示 スマートフォン画面表示