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鉄道の街

7月27日木曜日。曇り。朝は23℃、日中は28℃。昨日から急に涼しくなりました。暑すぎるのも困りものですが、真夏に涼しいのもチョッと淋しい感じ。わがままなものです。

今日は休診日でしたが、私用で朝から出ずっぱりでした。夕方、江ノ島線の上り線から大野工場を覗いて見たら、遠くに10000形ロマンスカーHiSEの先頭車1両だけがポツンと留置されているのが見えました。長年せっかく3両で保存されていたのに相方2両が解体されてしまってさぞや寂しい思いをしているのでは・・・。

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さて今日は先週の連休、九州行きのレポートの続きを。7月16日日曜日は鹿児島中央駅から「はやとの風2号」に乗って11時11分に吉松駅に到着。少々乗り継ぎ時間があるので、改札を出て駅周辺を散策してみました。

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吉松駅はかつては鹿児島本線と日豊本線の接続駅。熊本、宮崎、鹿児島の各方面からの線路が集まる交通の要衝として繁栄していました。

駅構内には「大正二年十月八日吉都線全線開業百周年記念碑」と「明治三十六年九月五日吉松駅開業百周年記念碑」。

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その左隣には8620型蒸気機関車の動輪。刻印を探すと48674の文字がありました。長らく鹿児島機関区で入換に従事して昭和47年3月に廃車になったカマです。

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そして左端に草に埋もれかかった「肥薩鐡道開通記念碑」。これは明治42年11月21日に人吉~吉松間が開通したことによって、鹿児島から福岡、門司、さらに関門連絡船を介して大阪、東京まで繋がったことを記念したもの。

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鹿児島本線は昭和2年に八代から海岸沿いの新線が開通し、さらに日豊本線も昭和7年に霧島越えルートが開通したことにより、以後は肥薩線と吉都線の単なる二つのローカル線の接続駅となりました。

駅構内北側には小さな鉄道資料館。看板にはかつての蒸気機関車の写真が掲げられていました。

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そして隣接してC55形蒸気機関車52号!!。

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C55形は昭和10年から12年にかけて62両製造された旅客用蒸気機関車。数ある国鉄蒸気機関車の中でも、私が最も好きな形式です!。

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この52号機は戦前から九州にいて、鳥栖、大分、宮崎、若松を経て昭和47年3月に吉松へ。本機の除煙板(デフレクター)は昭和28年7月に小倉工場で試験的に改造された唯一無二の独特の形状。

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そして直径1750mmの水かきの付いたスポーク動輪。

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手入れが行き届いて現役然とした足回りに感激。

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区名札も南九州の特徴だった砲金製のものがそのまま取り付けられていました。

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キャブに上がってみると、各種メーター類も良く残っていました。

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焚口戸も動きそう。

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炭水車(テンダー)は大分時代にロングラン用にD5112のものと振り替えられています。しまった!。刻印を確認して来るのを忘れました。

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復元して走らせたら、大いに観光客の呼び水になりそうですが・・・。

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さて先を急がねばなりません。下の写真は吉松駅の跨線橋から北方向を望んだところ。先で右へ岐れて行くのが吉都線、左に岐れて行くのが肥薩線八代方面。

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長くなって来たので、続きはまた後日に~。

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